下図のクリーブランド№18は、まだ日本には輸入されていない時期の自転車である。
日本でクリーブランドが輸入れるようになったのは明治30年頃からで、その頃に伊勢善、仁籐商店、高木喬盛館などが販売するようになる。
明治33年、ヴォーガンが富士山に乗って行った自転車はクリーブランドであり、同行の鶴田勝三はデートンであった。
クリーブランド№18
価格は $ 100.00
●クリーブランドは、アメリカのメーカーで、1892年~1909年頃まで、次のメーカーがクリーブランドの銘柄で販売していた。この中で、一番古いのが上のカタログにあるH.A.ロージアー&カンパニーである。
以下、製造所の変遷
H.A.ロージアー&カンパニー、クリーブランド オハイオ州、1892-1899
アメリカ自転車会社、クリーブランド オハイオ州、1900-1901
アメリカサイクル製造会社、ハートフォード コネチカット州、1903
アメリカサイクル製造会社、ニューヨーク、1902
ポープ製造会社、ハートフォード コネチカット州、1904-1909
以上は、ザ・ホイールメンの資料より