2021年3月18日木曜日

世界自轉車旅行中村氏②

 中村氏が赤い家に住む西洋人の奥さんから棒で打擲されたり、石を投げつけられた真相が、以下で語られる。

文中に現在では不適切な言葉が散見されるが、明治期のそれが表現であるため、そのまま掲載する。

世界自轉車旅行中村氏の新嘉坡の滑稽談(ツヅキ)

一聞生

 此日天清らかに風なき日であった。太陽は中村氏が奉公口を見出さぬとて遠慮はせぬ、それで河の水がさらさら音さして、東の方へ流るるに引きかへ、西へ西へと立ち去りてはや西山に落ちかからむとする、鳥は友を誘ふて遠方よりガーガーと叫んで帰りくる、人は業を終へて家庭の楽しみを見んと西へ東へ南へ北へと我家を辿りて帰るのである。

独り憐れは中村氏にて行かむとして旅費なく、帰らんとして宿もなし、身は捨て小舟に恨みても何の利益もないのである、それで只ボンャリとして立って居た、そのとき丈け高く容貌卑しからず、服装亦中等以上と思はるる温順なる顔付を備へたる西洋紳士中村氏の前を通りた、氏はこれを見て「モシモシ一寸待って下さい」と云へば西洋紳士は振り返りて「何か御用がありますか」と答へたから氏も静かに「少し御尋ね申上げたいことがあります」と近か寄りた、紳士も一寸立ち止どまりて中村氏の顔を見たばかりで「あちらへ行きなさい、あちらへ行きなさい」としきりに手を振りて氏を追ひ払はんとする、中村氏も何か機會を得とする最ひ中であるから又声をかけて「何んですか行けと云はるれば行きますしかしあまりと云へばあまり無理を云ひごとではありませむか」と問ひかけた、それで西洋紳士は不思議相に思ひ、「どうして」と反問したのである、中村氏はこれで話しの端緒を得たと大ひに喜こび「此市中の西洋人は皆狂人ばかりですかしてあなたも此亦気違ひの一人ですか」と云ふた、紳士は「妙なことを云はれるが何う云ふ訳です」と云た。

それで中村氏は静かに口を開き「私は自轉車を以って世界を漫避するものであります、それで甲地より乙地に至り旅費がなくなれば或は奉公し或は種々の労働をなし賃金を得て以て旅費とし、今日此處迄で来ましたところが又旅費を費ひはたし今や何か一仕事をして旅費を得なかつたときは二ッチも三ッチも行かねそれで奉公をせむを思い立ち此市中を歩いて奉公口を探しましたそれから此處の人々優さしを備ふて呉れるかと思ふたが事実は案外で或る家では打たれ又或る家では水をかけられ或る家では叱かり飛ばされ實に言語同断の有様であつた、しかしこれが此地方の習慣でありますか又此地方の礼式でありますか何にしろ実に迷惑な話しではありませむか」と云ふた。

紳士は迷惑な顔をして「決して決してそんなわけのものではない、それは日本人が惡るいのである」と云ふたそれで中村氏は「然らば日本人は如何なることをしましたか」を問ふた、それで紳士が答へて云ふには「日本人は常に金を貪るは少くないそしておまけに日本人の女を下女に雇へば日本の男が来て盗んで逃げて仕舞ふ、それで日本の下女は能く働くけれども雇ふことが出来ぬ、先達ても此町に赤ひ家がある、あの家では妻君が日本に居た時分から使って居た下女、なかなか働くからさと云って、日本を出発するときに態々連れて来た、ところが其下女は実によく働くと云って妻君も大喜であつた、するとあなた見た様な色の小黒き日本人が奉公させて下さいと云ふて来た、それで妻君もそれを下男に使った、がしばらくすると其下男が下女を連れ出して陰れてしまった、其後間もなく其妻君が他行したとき醜業婦の群には入ってかんなで削る様にお白粉を顔につけて居った、それで妻君も折角の良き下女を其男の為めに淫売にされたからくやしくてたまらない、もとよりきかん氣の妻君であるからたまらない、すぐに日本人は雇ふべからずと云ふ規約を結んだそれであなたが雇われようとしても雇はないのは無理はない」と云ふて去って仕舞った。

中村氏其話を聞き大いに後悔したけれども仕方がない、それで最早此土地には奉公する気はなくなった、それで一刻も早く他に行かんと思へども、奈何にせん懐中に分厘の貯へもなく、飛ばんとすれど羽ねもなし、実に憐れなる次第なり。それで船に乘り労働者となり、以て他に行かむと思へりされども今日の日は西山に春き如何ともなる能はず又宿に一泊せんとすれどこれ又文なしでは活動の方法なし。

つづく

明治41年10月25日発行「輪界」創刊号 41頁~43頁