世界自轉車旅行者中村氏の新嘉坡の滑稽業③
今回の話でとりあえずこの稿は終わることになる。結局中村氏は仕事にもありつけず、路頭に迷い橋の下で野宿することになる。そして炊事の支度をしようと焚火をしたところ、煙が周辺に漂い橋を通る人々に発見され、ひと騒動に。その後巡査も駆けつける事態となる。その結末は・・・
橋下にて巡査に叱かられる
それで氏は何處にか安眠の場所を講せねばならぬと思ふて居る內に日は全く暮れ市中は電氣燈や瓦斯燈にて昼も欺かんばかりに輝らして居るけれども中村氏の懐中は一向何物も輝らさん。しかし眠さは眠し苦しさは苦しいしはやく眠る方法をつけんと苦慮最中であったが仕樣がないから氏は宮か寺を探し始めた、しかしそれも見當らぬ、ときに1つの橋があった此橋は何ふかと橋の下を覗いて見ると川の一方は水もなく白毛布の様な白砂が奇麗にあって、水の中には星の影やら市中の燈火の影が浮いた様にあるかと思へば又くずれた様になる。しかし中村氏はこれを見て楽しむどころか、腹は空く眠むさは眠むし、何見ても面白くもなければ喜しくもない。それで何もかまわず橋の下の白砂の上に行ひて、ふろしきを枕にしてグーグーと眠ってしまった。すると中村氏は奇麗な奇麗な家に眠かされて居て、自分の側ばには美しき花毛布を敷き。テブールの上には澤山のぼたもちがある、そしてそれは中村氏の為めに用意されてある、腹の空いた中村氏に喜ぶことか喜ばないことか、一時もがまんが出來ない、それで走り寄りこれは甘ひと云ふさま行きなりにぼたもちに手を掛けた。ところが如何なることかぼたもちに羽ねが生へて向かへ飛んだ、やしまったと又追っかけて行つて取らふとした、するとぼたもちはピント飛んだ、只困まったのは中村氏でぼたもちがどふしても取れない、それで此ん度は小供が蝶々でも取る様にそっと行って取らうとする、さすれば手が届かんとするときぼたもちはピント飛んで仕様がない。嗚呼お腹が空いて空いて咽喉はギユーギューと鳴るぼたもちは取れぬ、中村氏はお腹が空ったが又お腹が立った、そこでこんどは怒った。ェーこんなぼたもちなんか有らんと云ったときに、それは夢であって空腹の為めに目は覚めた、目が覚めて見るとやばり橋の下たの白ろ砂なの上である、嗚呼まるで乞食の様だと中村氏グズグズ云って居ったがグズグズでは腹はふくれぬ。
それでこんどは米を出して川の水で洗って、それを袋に入れ砂の中に埋めて中村流の飯炊き法に依り上に火をたき始めた、それまではよかった 市中の人々がアー橋の下から煙がでるあれは何かと云つて寄つて来た、暫くの間に西からも東からも南からも北からも、あつまるものが支那人の形容で日へば壁の如く以つて垣に似たりとでも云ふ様である。そしてがやがや云って居るが、下を見れば中村氏が平然として飯を炊いて居る「ア、これは乞食が火をたいてるとこだ」と一人が云ふと「ムーそふじゃ今迄此乞食は見たことのないやつだ」と他の一人が云ふ、
甲「これはどこの乞食か支那から来たか支那人にしては顔が気がききすぎる」
乙「そうだねーそれでは支那人でもない」
丙「ャー日本人だ」
丁「そふかも知れぬ」
甲乙丙丁まるで雀の竹藪にでもは入った様である。
そのときに巡査が何事かと近寄り見れは、橋よりは煙が出で人が澤山がやがやがや云つて居る、それで橋火事でも出來たかと驚いて走りて行った、する人々がいろいろ批評するなかに中村氏は平然として飯を炊ひて居る、
そこで巡査は「オイ貴様は何をする」
中「僕はにこに飯を炊いて居る
巡査「そんなところに居る法があるか」
中「しかし居處がないから今夜仮に此處に一泊したんだ」
巡査「貴様は誰の許を得て此處に来たか」
中「誰れの許も得ない許を得る位ひならこんな處には来ない」
巡査「人の許を得ないでこんな處に来る法律があるか」
中「来ることが出來る法律がないなら来ることが出来ない法律もあるまい」
巡査「其法律のないのに何故に来るか」
中「君は妙なことを云ふ来ることが出来る法律がないなら又来ることの出來ない法律もない、して見れば法律が許さないけれども又禁じもしない、さすれば我々人民の自由ではないか」
巡査「貴様理屈ばかりこねたくる警察に引っ張るぞ」
中「此困難の中に引っ張られたり出ばられたりしてたまるものか」と
口論中に中村氏の知人某氏がやって来て
某「オイ君は中村君ではないか」
中「中村だ」
某「何ふして此處に来てるかね」
中「実は申し訳ないが無理に君の家を出て山河と云はず步るひて見たが好都合もない それでここに来て橋の下に一泊しょうしたところが此巡查君に叱を載ひて居る處だ」
某「ソーか」
と又巡査を見たところが丁度幸いに某氏の知己の巡查であつた、それで其巡査に理由を話して連れて歸りた、ところが其妻君が又驚いて「貴君は何故に私の家に来ませんでした」大変親切に取扱つて呉れるしかし中村氏も余り永く一ヶ所に止まるは自分の利益でもなく又本意でもない、それで一日も早く他に行かんと其訳を某氏夫婦に語って仕度をしてるこん度は船から行くことに極めた。某氏の妻君も大に親切にして歸るときに使ひ銭として四圓か五圓を恵んで興へた、それで中村氏も文なしの處に少しの使い銭は出来た。
中村氏の旅行談も此他に最少しはしたいと思ふしかし続き続きでは返って面白味があるまいそれで痛快のところを擇んで一言申上んと思ふ幸に御一読の栄を得は幸甚此上ない
そこで此次には如何に面白きところがあるか御待ちを願いたい。
只恨みとするところは不明の頭脳で拙ない筆、面白き事實をあまり面白くない様にすることが多い
幸に諸子推察して奥に奥あるところを知り賜え
(完)
明治41年10月25日発行「輪界」創刊号 41頁~43頁
註、今回の文中にも現在では不適切な言葉が散見されるが、明治期のそれが表現であるため、そのまま掲載した。