2020年11月20日金曜日

門弥の陸船車

 先日、本庄市のHPを見ていたら、門弥の記事が2020年10月1日で更新されていた。

「このたび歴史民俗資料館の増田館長が、多くの研究者の協力を得て門弥の陸船車の構造を研究し、久平次の陸船車はあくまで”世界最古のクランクペダル式を採用した自転車機能”であり、門弥の陸船車こそが”世界最古の自転車機能”である、と結論づける学術論文を発表しました。」

とある。以前「本庄市歴史民俗資料館研究紀要第4号」平成20年3月発行は読んでいるが、この論文は見ていない。ぜひ一読したいものである。

既に門弥についてはご存知と思うが、ここで簡単に触れておく。
この話の端緒は中日本自動車短期大学論叢、第13号、1983年発行の日本自動車史の資料的研究 第7報、250年前、彦根藩士「人力自走車」創製の記録(1729年ー徳川吉宗の代)大須賀和美著

である。

この昭和58年の中日本自動車短期大学の大須賀先生が、久平次の古文書を解読した時から始まる。大須賀氏は「人力自走車」として自動車前史に特記されるべき貴重な資料という観点から調査研究をしていた。

新製陸舟奔車之記4頁より

ところが、2003年に自転車技術史研究家である梶原利夫氏が、産業考古学会総会で、「1728 ~ 1732年のわが国における自転車の発明」と題し発表した。

以下は以前私が書いた日本自転車史研究会のニュースレター第125号、2003年7月11日発行である。

日本人が自転車発明?
産業考古学会総会で、 梶原利夫氏が「1728 ~ 1732年のわが国における自転車の発明」と題し発表。
要旨は下記の毎日新聞の記事を参照。
自転車に初めて乗ったのは日本人だった?――。1861年にフランス人のミショーが発明したとされるペダル式自転車が、それより129年早い享保17(1732)年に日本で誕生していたことを示す史料を、東京の研究家が分析し、模型を復元した。当時の日本の技術水準の高さを示すものと注目される。
 彦根藩士、平石久平次時光(ひらいしくへいじときみつ)(1696~1771年)の「新製陸舟奔車之記」(滋賀県彦根市立図書館所蔵)という文書で、元自転車メーカー技術顧問の梶原利夫さん(60)=東京都北区=が、同文書と添付されていた設計図を分析した。

 文書によると、武州児玉郡(現埼玉県本庄市)で農民が作った「陸船車」と呼ばれる乗り物が江戸で評判となった。坂道も上れる車だったという。江戸屋敷詰めだった彦根藩士が、天文学などで業績を上げていた平石久平次にそれを報告。「陸船車」の動力システムは不明だったため久平次は独自に設計し、享保17年に「新製陸舟車」として完成したとされる。

 「新製陸舟車」は、木枠の舟形で前輪1個、後輪2個の三輪車型。動力は、フライホイール状の円板に、クランクシャフト状の鉄棒を組み込み、ペダル(げた)をこいで進む。文書には「一時に七里(時速約14キロ)走り候」とある。

 この史料は、約20年前に中日本自動車短期大学の教授だった大須賀和美さん(故人)が「自動車前史」として発表したが注目されず、今回梶原さんが自転車としての視点から改めて分析した。
 梶原さんは「1730年代にペダル機構の自転車が日本に存在していたことで、自転車史が塗り替わる」と話している。
 梶原さんは、所属する産業考古学会理事長の川上顕治郎・多摩美術大学教授(生産デザイン)に依頼し「新製陸舟車」の5分の1(全長30センチ)の模型を復元させた。
 川上教授は「『新製陸舟車』のペダル機構はまさに自転車そのもの。安定性から三輪にしたのは当然と思われる。しかし整地が少ない当時の道路事情もあって、普及しなかったのではないか」と話している。【木村知勇】

 自転車博物館(大阪府堺市)の中村博司学芸員の話
 自転車といえば二輪だが三輪は自転車の元祖といえるもの。ペダル機構での人力三輪車は世界的にも1800年代に登場したもの。1700年代に日本でそのような乗り物が誕生していたとすれば驚きだ。日本の技術水準の高さの証明にもなる。[毎日新聞、2003年7月5日]

当時は、このように新聞各紙でも取り上げ話題を呼んだ。
私は以前からあえて自転車と関連付けることはなく、日本で最初の舟形の人力自走車でよいのではと思っている。自動車や自転車の元祖にするにはかなり無理があるのではと考えるからである。単に日本で最初の人力自走車でよく、それだけでも十分価値ある発見である。

 今年のオリンピックは中止になったが、地元の本庄市では2019年の暮れ辺りから、この門弥の自走車を使って、聖火リレーも企てたようだが、残念ながらコロナ禍の影響で中止になってしました。
 当初は、「本年7月9日の聖火リレーでは、この復元陸船車が製作から約10年の時を経て活用されます」

としていた。
しかし、また来年早々にもその企画が復活し実行されるのでないかと思う。
本庄市もそうだが鈴木三元の故郷でもある福島県の桑折町でも現存する最古の自転車と称して三元車を町おこしに利用している。
ある面、この自転車との関連づけにより、更に自転車のよさが見直され、利用者が増えることになれば喜ばしいし、ありがたいことでもある。
だが、門弥の陸船車や久平次の新製陸舟奔車を世界最古とか日本最古の自転車などと理論づけることは、いかがなものであろうか、世界の自転車歴史研究家にこの論理で説明説得し認知されるのは至難である。
いまだにどこの国でも似たような世界最古の自転車発見という話題はつきない。
中国では魯班が自転車を発明とか、印度の古い寺院で発見された自転車レリーフ等もある。
過去にもダヴィンチやイギリスのセント・ジャイルズ教会のステンドグラス、シブラック伯爵のセレリフェール、マクミランなどが話題になったが、いまでは自転車の歴史から消えさろうとしている。