2026年5月9日土曜日

自転車世界一周 - 13

 自転車世界一周 - 13 

「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その13。

飢えた三人組

詩人たちは、石山から見るロマンチックな秋の月、比良に降る雪の美しさ、勢多の夕焼けの輝きなど、琵琶湖の無数の美しさを歌い上げてきた。唐崎に夜降る雨を愛で、堅田に飛来する雁の群れは外国人以外なら誰しも涙を誘うと云う詩を詠んだ。

日本で扇子を百枚も買えば、そのうち九十枚には琵琶湖の風景が描かれているだろう。掛け軸がお好きなら、ナポリからヴェスヴィオ山が見えるはずがないのと同じように、琵琶湖の絵が描かれていないはずがない。もしあなたの居間に繊細な日本の屏風があるなら、スポーツ新聞の言い回しを借りれば、「間違いなく」琵琶湖が8枚の屏風に描かれているだろう。

時速15マイル(約24キロ)以下で移動していたら、琵琶湖の景色にうんざりしていたかもしれない。

琵琶湖は美しい。壮麗な琵琶湖。魅力的な琵琶湖。日本人は琵琶湖を絶賛する。京都にいた時も、琵琶湖の海岸にいた時も、琵琶湖について散々聞かされ、その後も何度も琵琶湖について尋ねられたので、私たちは身を守るために無礼な態度を取らざるを得なかった。琵琶湖のことは忘れてしまったのである。

数日間、旅は平穏無事であった。日本食にも慣れたが、いつも「量が足りない」と不満を漏らしていた。3人分の昼食が運ばれてくると、まず1人が全部取って、それが自分の分だと示し、他の2人にはその倍の量を持ってくるように要求する。給女たちは驚いた様子で深々と頭を下げ、「はい」と言った。日本の「はい」は鼻にかかった鋭い声で発音された。彼女たちはくすくす笑いながら慌てて立ち去り、騒ぎが収まると、さらに食べ物を持って戻ってきた。おそらく、役場の職員の昼食を満足させるのに十分な量だったのだろう。私たちは「もっと、もっと!もっと持ってきて!」と叫び、村中の食べ物が集められると、村人たちが私たちの食事を見にやって来た。そして、いくつかの食事は魅力的だった。

ある日、私たちは田舎の静かな谷間に立ち寄り、宿屋に入ると、礼儀正しい老人に招き入れられ、暗い通路を通って庭へと案内された。そこは平均的な郊外の裏庭ほどの大きさで、幅約3メートル、奥行き約2.4メートルほどだった。しかし、その小さな空間には、障子の付いた東屋、小石が敷き詰められたせせらぎ、そこに架かる素敵な小さな石橋、そして松や桜、ミカンなど、あらゆる種類の木々があった。どれも小さいサイズだったが、愛らしいほど均整が取れていた。ミカンはビー玉ほどの大きさで、木はゼラニウムほどの大きさだった。小川は簡単にまたげるほどで、趣のある岩はどれも洗濯かごに収まりそうなほどだった。私たち自身を除いて、すべてが優美だった。私たちは身だしなみを整えるために髪を梳かした。

まるでガリバーのように、私たちの足は広大な土地を歩き、木を通り過ぎ、川を渡り、山の途中まで登った。 1時間ほど寝転がってタバコを吸ったが、寝床はまだ何十マイルも先だった。

午後になると雨が降り出し、小さな町で雨宿りをした。細い道は土砂降りだった。自転車を宿に預け、傘を借りて散歩に出かけた。巨大な竹製の傘で、それぞれに3つずつ大きな漢字の文字が書かれていた。水たまりを飛び越えながら、あの異国風の傘をさし小道をのんびりと歩く私たちの姿は滑稽な光景だった。小さな村娘たちがベランダに出てきて、3人の外国人を見て大笑いした。村中の娘たちにお菓子を買ってあげなければならなかった。

その夜、私たちは名古屋で一夜を過ごした。14世紀のお城がある、穏やかな古い町だった。フランス軍の制服を着た兵士たちが走り回り、マキシム機関銃が街路を行き、明らかに初期の自転車が、乗り手の意思などお構いなしに猛スピードで走り回っていた。ロンドンの自転車ブームなど、名古屋の熱狂ぶりに比べれば取るに足らない。何百台、いや何千台もの自転車を目にした。私は街全体を逆走するレースに挑むと宣言したが、誰も応じなかった。
名古屋に一週間滞在して、もっと多くのことを学べたらよかったのにと思う。


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