2026年5月19日火曜日

自転車世界一周 - 18

 自転車世界一周 - 18    

「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その18。

真の東京

彼は、並外れた礼儀正しさの持ち主だった。そして、日本の自転車界の重鎮、カービー氏。彼はミカドの国で初めてダルマ自転車を走らせ、最初のセーフティ、最初のクッションタイヤ、最初の空気入りタイヤ装着の自転車に乗った人物だ。彼らと共に、他にも紳士たちがいた。間もなく、私たちは東京の途方もなく広い通りに出た。東京は、直径8マイル(約13キロ)、人口200万人近い大都市だ。私たちはここで数日間滞在し、そして横浜に戻り、再び東京へ行き、この二つの都市を3週間近く往復した。

私の意見では、形容詞を多用する作家たちによって、東京について世の中に多くの熱狂的なナンセンスが広められてきた。確かに日本には美しいものがたくさんあり、作家がトルコ絨毯のような文体で書き綴りたくなるような魅力がある。しかし、「日本的」という言葉は美しさと同義ではなく、東京は大衆的に見ればむしろ醜い場所でもある。確かに、古い城を守る巨大な石造りの城壁、木々に縁取られた長く静かな堀、門の上に建つ奇妙な白塗りの中国風の家々には独特の趣がある。桜が満開の頃には、上野公園はさぞかし美しいだろうし、東京の皇室霊廟である芝公園には、神社や神道の社、時を経て緑化した大きな青銅の灯籠があり、金漆塗りの素晴らしい石棺を見ることができる。そして、街路には数多くの美しい光景が見られる。寺院の周りでは、様々な人々が行き交う様子に魅了されるだろう。しかし、これらは東京の姿ではない。実際、6月の午後のロッテン・ロウ、土曜の夜の妖精の灯りが輝くアールズ・コート、リッチモンド・ヒルから見たテムズ川の描写がロンドンの描写にならないのと同じように、これらは東京の姿ではない。

東京は陰鬱な空間が広がる場所だ。その新しい文明は粗末に見え、キノコのようなアメリカの都市を彷彿とさせる。赤レンガ造りのまぶしい公共建築物は、まるでどこにでも建てられているかのように無造作に建てられている。統一性は皆無だ。高くてケバケバしい大邸宅の周りには、みすぼらしい小屋がいくつも建っている。官公庁は安っぽく、粗雑な造りだ。仮設の国会議事堂(塗装された木製の正面と小さな扉を持つ)は、まるでイギリスの競馬場の観客席の裏口を彷彿とさせる。道の向こうには、両院の議長公邸、端には2つ別荘が建っている。

道路状況は最悪で、雨上がりの銀座を走るのは忘れられない経験となるだろう。架線の数で言えば、アメリカのどの都市も東京にはかなわない。空気は電線で震えている。ある大通り沿いには、1本の電柱に240本の電話線が張り巡らされ、道路の反対側や横断する方向にも、至る所に電信線や電灯線が張り巡らされている。路面電車が何百台もガタガタと走っている。店の前には大きな梱包箱が山積みになっていて、どこもかしこも埃っぽく、活気に満ちている。

しかし、3月初旬でも、目を楽しませてくれるものはいくつかある。浅草の金龍山の近くには、一年中続くとても面白くて楽しい縁日がある。浅草寺には、隅田川から網で引き上げられた金色の観音像が安置されているが、今ではあまりにも貴重なため、人目に触れることはない。娘たちは皆、美しい肌を手に入れるために、そこへお参りにやって来る。寺院の近くには縁日が開かれ、無数の劇場、芸をするカナリアや太った女性、六本足の豚、太鼓やトランペット、そして子供たちの心を喜びで満たす無数の玩具が並んでいる。

私たちが訪れた時は、人形祭りが真っ盛りだった。東京中の女の子、小さな幼児から、自分を大人だと思っているメイドまで、皆が人形のために一週間まるまる遊ぶ。人形は美しく、精巧に作られており、しばしば日本の古風な宮廷衣装を身にまとっている。しかし、人形と人形の持ち主である7歳くらいの少女たち(髪を「お団子」にして花飾りをつけ、長くて幻想的な色の着物を着て、生意気な態度と威厳を装って歩き回る)のどちらが面白いかは、判断しがたい。ある少女の人形が別の少女の人形を宴に招待し、すべてが礼儀正しく荘厳に行われる。そして、今度は反対側から招待される。一日中、人形たちは他の人形たちを訪ねて回る。この魅力的な人形の宴は、丸7日間続く。

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浅草寺の本堂内部
南無観世音: 金竜山縁起正伝
明治45年発行
国会図書館所蔵