自転車世界一周 - 16
「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著
註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その16。
富士山を望む
そして静岡に到着し、龍で有名な神社を目にした時、あの暑さへの償いと感じた。静岡では、ヨーロッパ風のこぎれいな小さな宿を見つけ、夕食には世界一美味しいビーフステーキと最高に美味しいビールを堪能した。ウェイターは笑顔の素敵な老人だった。
また別の素晴らしい日、駿河湾沿いを長距離走り、山々を見下ろすように、いつまでも称賛されるべき雄大な富士山を眺めた。円錐形の山頂を持ち、銀色の雪に覆われたその巨大な山は、近づくにつれて大きくなり、やがて私たちの頭上にそびえ立った。そして畏敬の念を抱いた。雪解け前の早春、晴れ渡った美しい日に、その雄大な姿を目の当たりにした。私たちは尾根を迂回し、麦畑、葦原、松林、木陰に咲く牡丹、そして至る所に咲く菊が広がる吉原平野を走り抜けた。
鈴川で宿をとると、部屋の窓から永遠の美しさを誇る富士山が姿を現した。富士山は聖なる山であり、夏には白い衣をまとった巡礼者たちが持つ鈴の音が山腹に響き渡る。毎年約2万人の巡礼者が山頂まで登り、祈りを捧げる。山全体が伝説に包まれている。2000年前、富士山は一夜にして姿を現したと云われる。
女神である富士山は女性を憎み、機会があれば女性の髪をつかんで連れ去ってしまう。そのため、日本の女性は登山をする前に、十分に女性らしさを磨かなければならない。富士山の塵は非常に神聖なもので、巡礼者が草履に塵を付着させて持ち帰ると、夜になると奇跡的に戻ってくると言われている。
富士山は本当に美しい。1500年までは活火山で、毎世紀に激しい噴火を繰り返していた。最後の噴火は1707年で、1ヶ月間続き、火山灰は50マイル(約80キロ)先まで飛散し、山の麓は6フィート(約1.8メートル)もの深さの火山灰に覆われた。しかし今では、静かにそびえ立ち、山々の女神のように堂々と佇んでいる。
私たちは雪に覆われた火口に背を向け、名残惜しくも旅を続けた。途中、小さな宿屋に立ち寄った。干し柿をたらふく食べ、人々はまるで屏風から出てきたかのように、「おはようございます」と声をかけて私たちを迎えてくれた。すべてが礼儀正しく、お腹が空いたと言うと、「お腹」を気遣ってくれた。とても丁寧な人たちであった。彼らは悪態をつかないと聞いたが、いずれ文明化されれば分かることだろう。
箱根山地と呼ばれる、大きな山は、自転車では通れない山並みが行く手を阻んでいた。私たちは山地を迂回し、ルートを外れて熱海という小さな集落に数日滞在することを考えた。私たちは伊豆半島へと進路を変えたが、それは容易なことではなかった。この国の悪路の厳しさに身をもって知る前に、その地を去ることを許さなかったかのようだ。結局、山を越えなければならず、道はひどく荒れていた。土は黒く粘り気があり、道は急勾配だった。自転車は泥の塊を巻き上げ、車輪が回らなくなるまで進み、時々座り込んでポケットナイフでチェーンについた泥を取り除かなければならなかった。自転車を担いで進もうとしたが、油っぽい泥の上を滑るように進んだ。
太陽がシトロン色とサフラン色の雲の向こうに沈むと、恐ろしく荒涼とした景色に変わり、風は不気味なうめき声を上げながら吹き荒れた。気温は容赦なく下がり、自転車についた泥は5分も経たないうちに鋼鉄のように硬くなった。私たちは指を温めようと息を吹きかけ、足を踏み鳴らし、雪の中を進んだ。登りは果てしなく続いた。山頂にたどり着いたものの、反対側は500もの曲がりくねった崖だった。疲れ果てて熱海の小さなホテルに入り込んだのは午後8時。15マイルの道のりを5時間かけてやって来たのである。
熱海はなんて素敵な場所だろう。そして、そこで過ごした日曜日は、なんとものんびりとした素晴らしい時間だった。そこには気取ったところは何一つなかった。ただの小さな村で、古く不揃いな建物が並んでいたが、温泉地として非常に有名だった。


