雑誌『ドイツ』
下の資料は雑誌『ドイツ』より
自転車の歴史
自轉車は今日では、最も普及している交通機関である。ドイツで現在動いている自轉車は18萬ないし20萬臺と見積もられている。人々は自轉車を早くから、『小市民の自動車』と名付けて憚からなかったのである。
さて自轉車の普及は、道路の改装に負ふものであり、また空氣入りの弾性タイヤとブレーキがついていて、しかもペタルを踏まなくても獨りで進む装置、 これらを共に備へた技術的に申分のない自轉車それ自體の構造に負ふものである。注目に値するのは、戦前のドイツの大都市における自轉車利用者の数が、 その全都民と關聯させて考へると、田舎におけると同様、都民のやっと半分にすぎなかったといふ事實であった。その理由は、田舎では公の交通機関を安価に利用することが思ふやうに出来ないからであった。
自轉車もまた他の技術上の発明と同様の経歴をふんで来た。 即ち人々は最初のうちは、自轉車に偉大な成功を豫期していなかったのだ。
男爵フォン・ドレイオの脚輪機をもつて今日の自轉車の濫觸と見做すならば、自轉車の年齢は今年で百二十五歳といふことになる。ドイツ、フランス、イギリスの発明家たちは、自轉車の發展にそれぞれ貢献した。ドイツとフランスでは、クランクの推進力に関する色々の發明があった。兎に角一八六八年から七九年には、自轉車は獨・佛・英三國で相當の発展を見た。一八八八年にスコットランド人ダンロップが空氣入りタイヤに對する特許を獲得したとはいへ、 それは既に一八四五年にトムソンによって溌明されていたのである。一八九八年フイヒテル・ ザッハ會社が自動推進機のボスを市場に出したが、暫く時を経るうちに本質的な改良を加へられて、自轉車の一般的改良に非常に貢献したのであった。今日ではもはや完全と見られている自轉車も、日々改良が加へられて止まるところを知らない有様である。
ドイツ国防軍においても、自轉車は廣く用いられている。その發端となったのは、一八七〇年ペルフォールの防禦戦でフランス軍が利用した時のことである。一八八六年にドイツ國防軍が自轉車を採用し、それ以来、 この方面でもまたドイツが断然先頭をきっているのである。油といふ燃料の節約が至上命令となっている戦時下の今日、古くから利用されている自轉車が、 輸送機關の花形として大いに活躍しているのはけだし當然のことである。
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