2026年5月13日水曜日

自転車世界一周 - 15

 自転車世界一周 - 15    

「自転車世界一周」ジョン・フォスター・フレイザー著

註、『Round the World on a Wheel』(1899) は、 John Foster Fraser、 S. Edward Lunn、 F. H. Lowe の3人が、1896〜1898年にかけて世界一周を自転車で走破した記録。以下は日本旅行の部分、その15。

私たちは立ち止まることなく、雨と泥の中をガタガタと揺れながら、軽快なペースで進んだ。午後、暮れるにつれ雨は止み、素晴らしい夕焼けになった。薄明かりの中、私たちはシダに覆われた荒涼とした湿原を横切った。静寂を破るのは野鳥の鳴き声だけだった。遠くには山脈が連なり、雪を頂いた山頂は、もはや見えない太陽の光を受けて、美しいピンク色に染まっていた。道は徐々に高くなり、丘の頂上に着くと、目の前には鉛色の太平洋が広がっていた。黒く広大な海は、波一つなく、その憂鬱さを破るものはなく、白い波の帯が海岸に沿って音を立てて寄せているだけだった。

私たちは暗くなるまで、海沿いの道を走り続けた。浜名湖と呼ばれる広くて厄介な潟湖を渡らなければならなかった。激しい突風が吹き荒れ、月明かりは厚い雲に遮られていた。私たちは急いで走った。ランプもつけずに、土手の陰に隠れて進んだ。それから、小さなガタガタの木橋を渡った。何マイルも続く潟湖。幅は約6フィート(約1.8メートル)で、決して水平ではなく、板が何枚か欠落していて、どれもガタガタと音を立てていた。高さ30センチほどの橋桁も長い部分が折れていた。湾の上を風が唸り、ぐらつく橋は海に吹き飛ばされそうだった。私たちは慎重に、風を受け止めるように大きく体を傾けながら、長い距離を自転車で進んだ。しかし、板が欠落しているせいで不気味な揺れが起こり、自転車から降りる必要性を感じた。風は轟音を立て、橋は揺れ、そして、もろい橋が片側に傾いた時の恐怖は、どれほどのものだったことか!

暗闇の中を急いでいたため、二人が土手から田んぼに転落し、牡蠣の殻で補修された道を2マイルも歩かなければならなかったが、ようやくたどり着いたのは嬉しい限りだった。浜松の町に到着したのは午後8時半だった。

翌朝、私たちは再び出発した。この日は二つの厳しい登りが待ち受けていた。一つ目は金谷で、曲がりくねった道をゆっくりと登った。山頂の松林の下には、大きな黒い岩が垂直にそびえ立っており、リンゴのような顔をした十数人の日本人女性が、その岩を敬うように通り過ぎていった。伝説によると、この岩は夜になると子供のように泣いていたという(註、小夜の中山夜泣石)。しかし、「いろはにほへと」の発明者である弘法大師がそこに経文を刻んだため、それ以来、岩は泣くことはなくなった。
下山後、質素な米と魚の昼食を済ませ、バースロードによく似た魅力的な道を走り、その後、木々に覆われた長い谷間、そして、宇津ノ谷峠をジグザグに登った。そこには、切り立った赤い岩山、轟音を立てて流れる小川、そして小さな村々が点在していた。その後、再び登り始め、景色を眺めるために何度も立ち止まった。

かつては丘を貫く長さ600フィートのトンネルがあったが、数年前に崩落してしまい、今では歩行者も自転車も峠を越えなければならない。下山はそれほど長くはなかった。小屋に住む親切な女性から琥珀色の紅茶をほんの少し分けてもらい、その後1時間ほど、この上なく素晴らしいサイクリングを楽しんだ。道は谷間を緩やかに曲がりくねりながら下り、その脇には濁流が泡立ち流れていた。

道はまるで線路のようだ。日焼けで汗だくになった。


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挿絵、二人の乙女

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