自転車関係資料-53
西独から来た自転車夫妻
昭和43年12月20日発行「アサヒクラフ」通巻2343号 41頁~49頁
CYCLING ROUND-THE-WORLD German journalist Mr. Wolf Dieter Ahlborn, accompanied by his wife Wilma, set out cycling round the world from their hometown, Heilbronn,near Stuttgart Sept. 16, 1966. in Cairo they were detained for 49 hours by police on suspicion of espionage, when they took pictures without permission in a desert in Syria, an Arabian nomad proposed Ahlborn give Wilma to him in exchange for his two concubines, children, 450sheep and camels, and tents. They reached Japan months ago by way of Malaysia and Thailand.They found Japanese most hospitable among Asians, but learned that few people here speak correct foreign languages.
以下は抄訳
1966年9月16日、自転車世界一周のドイツ人ジャーナリスト、ウルフ・ディーター・アールボーン氏は、妻のウィルマと一緒に、シュトゥットガルト近郊のハイルブロンから世界一周の旅に出発した。シリアの砂漠で許可なく写真を撮ったため、スパイ容疑の疑いでカイロ警察に49時間拘束された。
アラビアのある遊牧民からは、2人の側室、子供、450頭の羊とラクダをやるから妻のウィルマをよこせと要求される。(当然断ったが)
夫妻は数ヶ月前にマレーシアとタイを経由して日本に到着した。
日本人はアジア人の中で最も親切であると感じたが、正しく外国語を話す人はほとんどいなかった。
なお、日本について本文の方では、
いま、この美しい日本に来て、三カ月あまり日本各地を旅して回り、その目ざましい経済の発展ぶりに驚かされている。私たちは、アジアの各地で、ほんとうに心からの客人扱いを受けたが、その中でも日本は、ナンバーワンであった。ただ残念なことは正しい外国語を話す人たちが少なかったこと、そして余りにも狭い道路は幻滅だった。にもかかわらず、いくらほめてもほめたりないのは、日本の料理である。
とある。
「余りにも狭い道路は幻滅だった」と、「正しい外国語を話す人たちが少なかった」以外は高評価であった。この悪評の2点については、現在もあまり変わっていない。
昭和43年12月20日発行「アサヒクラフ」より