自転車オートバイ
自転車オートバイとは、自転車に補助エンジンを取り付けたバイクである。
当時、通常のオートバイはまだ高値であり、一般庶民は手を出せなかった。そこで開発されたのが自転車用の補助エンジンであった。一時期この補助エンジンは大きな反響を呼んだ。ホンダもスズキもこれを機に発展していったのである。その代表的なものがホンダの「カブF号」やスズキの「ミニフリー号」であった。
オートバイの歴史も古く日本では明治29年まで遡る。一番最初に日本に現れたのがドイツ製のヒルデブラント& ヴォルフミューラーで、このオートバイの試験走行を十文字信介が皇居前で走ったのが最初である。
1896(明29)年1月19日(日)付 報知新聞に、
石油発動機自転車試運転
昨年独逸で発明せられたる石油発動機自転車は、極少量の石油を用ひ円筒内の空気を熱し一種の促進機を働かして一時間六十哩を疾走するものの由にて、十文字信介は曩に之を購入し数度試運転を成したりしが、本日午後一時より、東京ホテル前より乗り初め、川岸より西方和田倉橋へ走らし、坂下門前を廻り二重橋東へ出で、緩急各種の運転を行なひつつヽ衆覧に供する由。
とある。
このニュースは他に中央新聞、毎日新聞も同様に報じている。
その後、国産化に向けやた動きも始まり、先駆者達の努力により試行錯誤の末、明治42年に、島津楢蔵が初の国産車であるNS号を完成させた。
1914年(大正3年)には、自転車の宮田製作所も国産初の市販車となるアサヒ号を発売した。このオートバイは英国製のトライアンフをモデルに製造された。
1,945年に太平洋戦争が終結してから10年を待たずして、この自転車オートバイのブームが訪れたのであった。
この時期の主なメーカーとしては、本田技研工業株式会社のホンダ・カブ号F型、BSモーターのバンビー号、株式会社トヨモータースのトヨモーターE8型、三輝工業㈱のサンライト号、日米富士自転車(株)の富士ベビーランナー号、田中工業株式会社のタス・モーターのフェザー号、東京発動機株式会社のトーハツ・パピー号、トーマスオウトユニオン社のトーマス・エンジン、仙石製作所のサイクロンペット、ブラザー精密工業のマイダーリン、宮田自転車のマイティーオート、山ロ自転車の山口ペットYB1などが発売された。
だがこの自転車バイクの流行も一時的(昭和27年~昭和30年ごろまで)であり、3年後には徐々に衰退していった。
特に1958年(昭和33年)に低価格で性能の良いホンダのスーパーカブが発売されると、他のメーカーは圧倒され、消えていくか、撤退を余儀なくされたのである。