踏車
下の画の踏車(ふみぐるま)の構造を見ると、何処かで見覚えのある形状である。それは陸船車の駆動部であるフライホイールのような歯車の部分と似ている。陸船車も踏車も細部はともかく駆動方法としては同じであった。
この踏車の発明は下の資料(1822年、文政5年の「農具便利論」下巻 大蔵永常 著) にも書いてあるように、 (資料③の赤線部分)
寛文年中より、大坂農人橋の住、京屋七兵衛、同清兵衛といえる人、この踏車を製作し、宝暦、安永の頃までに諸国に弘まり、今は竜骨車を持ちゆる国すくなし。
とある。寛文年中とは、1661年から1673年までの期間。農人橋は現在の大阪府大阪市中央区農人橋。
庄田門弥の陸船車が1729年であるから、60年ほど前にあたる。門弥の時代になると日本各地の田圃で踏車は普通に見られたはずである。
ことによると門弥はこの踏車をヒントに陸船車を考案製作した可能性もある。
この資料の文中にある龍骨車とは踏車以前に中国から伝来したもので、構造的には踏車より少し複雑で規模も大きい。下の「天工開物」の図を参照。
「天工開物」は、1637年頃(明の時代)宋応星によって記述された農工に関する技術書である。
門弥陸船車の駆動方式は、竜骨車 → 踏車 → 陸船車へと進化した可能性も考慮する必要がある。