二宮忠八と自転車
下の資料は「二宮忠八伝」関猛 著 日光書院 昭和19年発行である。
二宮忠八、自転車に乗れず
以下はその部分、
次に車をつけなければならないが、それをどうしたがよいか、色々と考へた。丁度その頃、軍隊でも二輪車や三輪車を使用することになった。その時、忠八が初めて営庭で自轉車に乗ってみた。二輪車は体の安定をとるのが難かしくてどうしても上手に乗ることができなかった。三輪車は安定もよくすぐに乗れた。このことを思ひ出して前の方に一輪、後の方に二輪をつけることにした。
その車を作るのにどうしても自分の手ではできなくて、細川喜與衛に作つて貰ふことにした。又これを飛行機の胴体に取りつけるにも、その方法を色々考へたが結局三輪車の車のつけ方を参考にした。
これで大体恰好は出来たが、さて、この飛行機を動かすのにはどうしたらよいか、何を用いるか、どういふ力によるかが大きな問題となつて残された。推進機は細川喜與衛に作つて貰つたのでちゃんと立派なものができてあるが、これを動かす動力をどうしたらよいか。と云ふ最も大きな事を解決しなければならない。忠八は夢中になつて研究した。
忠八は二輪の自転車には乗れなかったようだ。飛行機の車輪は三輪車を採用したとある。とある。
この内容は明治23年ごろの話である。おそらくその二輪の自転車とは国産の小型木製のダルマ自転車であったはずである。
飛行機の車輪(三輪車)と推進機を製作した細川喜與衛と云う人物は何者なのか、機械工作を得意とする専門家だったのか、興味深いところである。