自転車趣味の会
この会は、鳥山新一氏が代表幹事となり「自転車趣味の情熱を通じて、自転車文化を守り育てる活動を展開する」ことを目的として1993年9月に設立された。
そして第1回の集い「講演とコレクション展示」が同年11月3日(文化の日)に中野サンプラザで開催された。
鳥山さんから事前に講演を頼まれていたので、当日は早めに出かけることにした。
以下は当日の私の講演内容である。(一部加筆修正)
オーディナリー自転車について
オーディナリーとは、ご承知のように前輪の大きいダルマ自転車のことです。
それでは、最初にオーディナリーと自転車の歴史が好きになった経緯をこれからお話ししたいと思います。
まず自転車を好きになった事からお話ししましょう。それは中学2年のころで、父に丸石の内装3段の軽快車を買ってもらったことに始まります。
始めのうちは、ただ家の近くを乗り回していました。初めてのサイクリングは茅ヶ崎から小田原城まででした。
まだこの頃は自転車を趣味と感じていませんでした。
趣味として意識し始めたのは、昭和47年頃です。当時ホンダがオートバイを売るため、その見返りとして、イギリスからラレー自転車を大量に輸入しましたが、その頃のラレーの新聞広告をみて「これが本当の自転車だ!」と思った時から始まります。当時小学生や中学生が乗り回していたゴテゴテしたフラッシャー付自転車にあきあきしていたころで、そのシンプルさに強く引かれたのです。新聞広告に出ていた自転車は、ラレーのロードスターでした。さっそく平塚のホンダ販売店に行き、これを買いました。そして毎日のように乗りまわしました。古風な感じのロードスターを好きになったと言うことは、今思えば、クラシック自転車への興味をもつこれが最初のきっかけでもあったわけです。
ところが、次に興味をもったのは、クラシック自転車ではなく、同じカタログに出ていた最新式のロードレーサーでした。こんどはこれが欲しくなりました。この頃から今まで真剣に読んだ事が無かった自転車雑誌にも興味を覚えました。今度は雑誌に出ていたイタリアのチネリとかデローサなどのードレーサーが欲しくなりました。しかし、結局資金不足のためフランスのプジョーを買う事になりました。これはヤマハが輸入したもので、たしか15万円ぐらいだったと思います。ところが購入した当日交通事故に会い、1時間足らずでスクラップにしてしまいました。家の者はこの事故で自転車は止めるだろうと言っていましたが、かえって病が高じ、また自転車が欲しくてたまらなくなりました。次に買ったのは、ラレーのカールトン・ロードレーサーでした。
しかし、乗っているうちに不満なところが出てきて、1年ぐらいで飽きてしまいました。そして今度は、ルジュンのロードレーサーを買いました。これも欠陥は色々ありましたが、それでもかなり長く乗りました。そのうち今度トラックレーサーに興味が移り、ピスト車を買いました。最初買ったのはイギリスのヒュー・ポーター(Hugh Porter)でした。その後、チネリ・ピストも購入。そして、アマチュア競技の選手登録もし、3年ぐらい色々なレースに参加しました。ですがいつも予選落ちで、千メートルのタイムトライアルも1分20秒を切る事ができませんでした。最高は1分22秒でした。
その後体力の低下もあり、また以前のロードレーサーでのサイクリングにもどりました。現在もこれは続いています。
昭和55年頃、浜松に単身赴任してた頃、ミソノイサイクルで中古のラレーロードスターが目に留まり、すで欲しくなりました。これが今思えば、クラシック自転車への興味を持った最大のきっかけです。それ以来、古い自転車探しが始まりました。ラレーに始まり、トライアンプ、国産のラビット号、岡本ノーリツ号など10台程精力的に集めました。最初の内はただ夢中に自転車ばかりを集めていましたが、そのうち集めた自転車の来歴が知りたくなり、古いカタログとか雑誌等も収集することになりました。そうこうしているうちに、今度は自転車の歴史に興味が移り、以前読んだ「自転車の一世紀」をまた引っ張り出して真剣に何度も読みました。自転車の歴史の本を片っ端から読みましたが、その数の少なさに驚くと共に、なぜ日本では自転車の歴史があまり顧みられないか、疑問に思いました。そして、これからは自転車の歴史を勉強しようと決心したのです。丁度オートバイの関係で歴史研究会を主宰している名古屋の三輪さんと知り合い、自転車の歴史研究会を組織することにしました。この頃、既に亡くなられた大阪の高橋勇さんとも知り合いになり、昭和56年の5月に「日本自転車史研究会」を発足させました。
翌年の1月からは会報も作り、会員も少しずつ増えてきました。会報は現在も発行し、この11月で73号になります。また、今年の5月には自宅の庭に自転車歴史資料館もつくりました。
このように自転車の歴史を勉強しているうちに、今日のテーマでもあるオーディナリーも好きに成った訳です。
オーディナリーについては、自転車好きな方ならご存じと思いますが、この自転車は1880年代に欧米で流行した自転車です。名前が示すとおり、当時この自転車が普通車だったのです。
決して特殊な自転車ではなかったのです。ほとんどは男性が乗りましたが、勝気な女性は、ブルマーなどを着て乗ったようです。
なにしろオーディナリーは、乗ったとき、目の位置が2メートル以上になり、大変気分爽快になります。私は馬に乗ったことがありませんが、感覚としては同じではないかと思っています。
日本でも過去にオーディナリーに乗った人がいて、有名なところでは森村兄弟で、アメリカ製のゴマリー&ジェフリー社のオーディナリーを所有していました。これで明治26年(1893) に東海道をサイクリングしています。
私がこのオーディナリーに大変興味をもったのは、10年程前で、さきにお話ししたように自転車の歴史を調べているうちに、そのデザインの素晴らしさにひかれたのです。ご承知のようにこのデザインは今でもアクセサリーや服地のプリント模様などに使用されています。
それからというもの、このオーディナリーが欲しくなり、探しましたが、その様な自転車はあるはずもなく、なかばあきらめていましたが。5年程前縁あって1台のレプリカ車を手に入れました。しかし、これは当時の忠実なレプリカではなく、不格好なものでした。気に入らないので直ぐに手放しました。
それでは、最初にオーディナリーと自転車の歴史が好きになった経緯をこれからお話ししたいと思います。
まず自転車を好きになった事からお話ししましょう。それは中学2年のころで、父に丸石の内装3段の軽快車を買ってもらったことに始まります。
始めのうちは、ただ家の近くを乗り回していました。初めてのサイクリングは茅ヶ崎から小田原城まででした。
まだこの頃は自転車を趣味と感じていませんでした。
趣味として意識し始めたのは、昭和47年頃です。当時ホンダがオートバイを売るため、その見返りとして、イギリスからラレー自転車を大量に輸入しましたが、その頃のラレーの新聞広告をみて「これが本当の自転車だ!」と思った時から始まります。当時小学生や中学生が乗り回していたゴテゴテしたフラッシャー付自転車にあきあきしていたころで、そのシンプルさに強く引かれたのです。新聞広告に出ていた自転車は、ラレーのロードスターでした。さっそく平塚のホンダ販売店に行き、これを買いました。そして毎日のように乗りまわしました。古風な感じのロードスターを好きになったと言うことは、今思えば、クラシック自転車への興味をもつこれが最初のきっかけでもあったわけです。
ところが、次に興味をもったのは、クラシック自転車ではなく、同じカタログに出ていた最新式のロードレーサーでした。こんどはこれが欲しくなりました。この頃から今まで真剣に読んだ事が無かった自転車雑誌にも興味を覚えました。今度は雑誌に出ていたイタリアのチネリとかデローサなどのードレーサーが欲しくなりました。しかし、結局資金不足のためフランスのプジョーを買う事になりました。これはヤマハが輸入したもので、たしか15万円ぐらいだったと思います。ところが購入した当日交通事故に会い、1時間足らずでスクラップにしてしまいました。家の者はこの事故で自転車は止めるだろうと言っていましたが、かえって病が高じ、また自転車が欲しくてたまらなくなりました。次に買ったのは、ラレーのカールトン・ロードレーサーでした。
しかし、乗っているうちに不満なところが出てきて、1年ぐらいで飽きてしまいました。そして今度は、ルジュンのロードレーサーを買いました。これも欠陥は色々ありましたが、それでもかなり長く乗りました。そのうち今度トラックレーサーに興味が移り、ピスト車を買いました。最初買ったのはイギリスのヒュー・ポーター(Hugh Porter)でした。その後、チネリ・ピストも購入。そして、アマチュア競技の選手登録もし、3年ぐらい色々なレースに参加しました。ですがいつも予選落ちで、千メートルのタイムトライアルも1分20秒を切る事ができませんでした。最高は1分22秒でした。
その後体力の低下もあり、また以前のロードレーサーでのサイクリングにもどりました。現在もこれは続いています。
昭和55年頃、浜松に単身赴任してた頃、ミソノイサイクルで中古のラレーロードスターが目に留まり、すで欲しくなりました。これが今思えば、クラシック自転車への興味を持った最大のきっかけです。それ以来、古い自転車探しが始まりました。ラレーに始まり、トライアンプ、国産のラビット号、岡本ノーリツ号など10台程精力的に集めました。最初の内はただ夢中に自転車ばかりを集めていましたが、そのうち集めた自転車の来歴が知りたくなり、古いカタログとか雑誌等も収集することになりました。そうこうしているうちに、今度は自転車の歴史に興味が移り、以前読んだ「自転車の一世紀」をまた引っ張り出して真剣に何度も読みました。自転車の歴史の本を片っ端から読みましたが、その数の少なさに驚くと共に、なぜ日本では自転車の歴史があまり顧みられないか、疑問に思いました。そして、これからは自転車の歴史を勉強しようと決心したのです。丁度オートバイの関係で歴史研究会を主宰している名古屋の三輪さんと知り合い、自転車の歴史研究会を組織することにしました。この頃、既に亡くなられた大阪の高橋勇さんとも知り合いになり、昭和56年の5月に「日本自転車史研究会」を発足させました。
翌年の1月からは会報も作り、会員も少しずつ増えてきました。会報は現在も発行し、この11月で73号になります。また、今年の5月には自宅の庭に自転車歴史資料館もつくりました。
このように自転車の歴史を勉強しているうちに、今日のテーマでもあるオーディナリーも好きに成った訳です。
オーディナリーについては、自転車好きな方ならご存じと思いますが、この自転車は1880年代に欧米で流行した自転車です。名前が示すとおり、当時この自転車が普通車だったのです。
決して特殊な自転車ではなかったのです。ほとんどは男性が乗りましたが、勝気な女性は、ブルマーなどを着て乗ったようです。
なにしろオーディナリーは、乗ったとき、目の位置が2メートル以上になり、大変気分爽快になります。私は馬に乗ったことがありませんが、感覚としては同じではないかと思っています。
日本でも過去にオーディナリーに乗った人がいて、有名なところでは森村兄弟で、アメリカ製のゴマリー&ジェフリー社のオーディナリーを所有していました。これで明治26年(1893) に東海道をサイクリングしています。
私がこのオーディナリーに大変興味をもったのは、10年程前で、さきにお話ししたように自転車の歴史を調べているうちに、そのデザインの素晴らしさにひかれたのです。ご承知のようにこのデザインは今でもアクセサリーや服地のプリント模様などに使用されています。
それからというもの、このオーディナリーが欲しくなり、探しましたが、その様な自転車はあるはずもなく、なかばあきらめていましたが。5年程前縁あって1台のレプリカ車を手に入れました。しかし、これは当時の忠実なレプリカではなく、不格好なものでした。気に入らないので直ぐに手放しました。
4年前に入手したアメリカ製のケネディーは、まずまずの出来なので、今はこれに乗っています。これもレプリカなのですが、ペダルとバックボーンの曲がりが気に入りません。丁度ロードレーサーのフロント・フォークのカーブと同じで、自然な曲がりが良いのです。やはりオリジナルのラッヂとかシンガー等のオーディナリーにかないません。しかし、このようなオリジナル車はなかなか手に入りません。お金を幾らでも出せ人はすぐにも入手可能なのですが、資金の少ない私には無理です。
現在、イギリスとアメリカではクラッシク自転車のマニアが沢山いて、色々なイベントを行っています。これらのクラブが年に一度集まり世界大会も行っています。今年はチェコで第13回目の大会が行われました。
来年はイギリスと聞いています。ところがサミット参加国でもある、先進国と言われる日本にクラブが無いのです。残念ながらこれらの大会に参加していません。ただ、フランス在住の小林さんがIVCA(国際ベテラン・サイクル協会)の理事になっており、一人頑張っています。
1991年の第11回アメリカ大会には、初めて私と、ここにおられる渋谷さん、それに名古屋の八神さんがオブザーバー的に参加しました。その規模の大きさと素晴らしさに感動した次第です。日本でも将来このような大会ができる日を夢見ています。それには、一人でも多くのオーディナリーやその他のクラシック自転車愛好者を増やすことが必要なのですが、今のところ残念ながらこのオーディナリーに興味を持っているのは私だけです。是非今日お集まりの皆さんの中からオーディナリーの素晴らしさに、あるいは自転車の歴史の探求に興味をお持ちいただければと思います。
現在、イギリスとアメリカではクラッシク自転車のマニアが沢山いて、色々なイベントを行っています。これらのクラブが年に一度集まり世界大会も行っています。今年はチェコで第13回目の大会が行われました。
来年はイギリスと聞いています。ところがサミット参加国でもある、先進国と言われる日本にクラブが無いのです。残念ながらこれらの大会に参加していません。ただ、フランス在住の小林さんがIVCA(国際ベテラン・サイクル協会)の理事になっており、一人頑張っています。
1991年の第11回アメリカ大会には、初めて私と、ここにおられる渋谷さん、それに名古屋の八神さんがオブザーバー的に参加しました。その規模の大きさと素晴らしさに感動した次第です。日本でも将来このような大会ができる日を夢見ています。それには、一人でも多くのオーディナリーやその他のクラシック自転車愛好者を増やすことが必要なのですが、今のところ残念ながらこのオーディナリーに興味を持っているのは私だけです。是非今日お集まりの皆さんの中からオーディナリーの素晴らしさに、あるいは自転車の歴史の探求に興味をお持ちいただければと思います。
取り止めのない話しになりましたが、持ち時間がきましたのでこれで終わりにしたいと思います。
最後にこのような会を企画主催された関係者の皆様のご苦労に敬意を表するとともに、今後のご発展をお祈りいたします。ご静聴ありがとうございました。(オ)
最後にこのような会を企画主催された関係者の皆様のご苦労に敬意を表するとともに、今後のご発展をお祈りいたします。ご静聴ありがとうございました。(オ)
(残念ながら鳥山氏は今年5月に逝去されました)
1993年9月30日付け
日本輪業通信