2021年9月12日日曜日

プロ・ロードレース

 プロ・ロードレース

自転車振興会連合会主催による日本で最初のプロ・ロードレースが小田原ー藤沢間の往復110㎞のコースで開催された。使用された自転車はロードレーサー仕様ではなくすべてトラック・レーサーであった。戦後間もない時期なので、国産の変速機の付いたロードレーサーはまだこれからといった時代であった。国産車の振興も兼ねているので、最新式の外国製ロードレーサーは使用されなかった。

以下にその辺の状況が記されている。(「競輪10年史」220、221頁)

昭和二十七年五月八日、連合会主催としてはじめてのプロ・ロード・レースが行なわれた。小田原―藤沢間百十キロ、参加五十七選手。
プロ選手によるロード・レースの試金石として、いろいろな資料を収集することを目的とするレースであった。前日午前十時から小田原競輪場において自転車検査協会の依頼もあり、使用自転車の検査が行なわれたが、いずれもトラック・レーサーで、まだ変速装置をつけたものもなく、リムも木リムで、ポンプを携行したものもないし、サドルも幅のせまいトラック用、要するにロード・レース用ではなく、純粋のトラック・レーサーばかりであった。トラック用のデリケートな構造のレーサーで、ときには相当な悪路をも克服して走り通すことは実際問題としてかなりむりがあることはたしかであったが、一面その結果はどうなるか、という興味はあった。この前日検査のあと全員バスでコースを一周して、あすの走路状況の研究をさせた。
八日午前十一時小田原市内をスタート。
二台の白バイを先頭に、そのあと二百メートル間隔で五十七選手、そのかたわらと後方を、移動審判車、審判長車、委員長車、医務救急車、報道車、見学用大型バスなどが随走、この日薄日、風ょわく良好なコンディションであった。コースは大磯から片瀬、藤沢、茅ヶ崎、平塚を経て大磯へ、そしてふたたび前記コースを一周して小田原へゴールという道順であった。先頭の一団は最後まで離れず、ゴールは二十二名がなだれをうってはいってきた。ロード・レースでは先頭梯団から離れずに走ること、これはロード・レース必勝法秘訣であるといわれている。

1着、水田 佳博(徳島) 2時間50分34秒6
2着 桝野 実(福岡) 2時間50分34秒8
3着 植村 央(東京) 2時間50分34秒8

以下三十四着までがゴール・インした。出場五十七車中、無事故三十車、六車は疲労など選手による事故で棄権、二十一車はパンクその他の事故がおきた。検査協会の調査で後日判明したことは、五車中の四車が、走行前にくらべて一・五ないし五・三ミリ程度ホイルベースがのびていて、ロード・レースに使用する自転車のばあい相当な負荷を受けることであり、使用車はこんご大いに改良されなければならないという結論に達した。


ロード・レースに関する記録一覧 (日自振主催のもの)
「競輪10年史」資料編20頁 昭和35年5月30日発行 日本自転車振興会 編

開催年月日、レース名、走行区間距離、参加選手数、優勝者、年齢、所属選手会、タイム

●昭和27年5月8日 プロサイクルロードレース 小田原一藤沢間
往復 110km 57名 水田 佳博 27歳 徳島 2時間50分34秒6

●昭和27年11月16日 第一回読売杯争奪プロサイクルロードレース  静岡一東京間
200km 36名 川北省三 33歳 東京 6時間59分38秒5

●昭和28年9月27日-29日 第二回読売杯争奪プロサイクルロードレース 東京ー大阪間 591㎞ 48名 個人 鈴木伝四郎 27歳 東京 20時間24分34秒9 

団体ゼブラチーム 木山次郎(個人4位)・鈴木伝四郎(個人1位)・伊東定義(個人8位)  東京 41時間49分7秒7

●昭和29年10月8日-10日 第三回読売杯争奪プロサイクルロードレース 東京ー神戸間 652㎞ 93名 
個人第1区 鈴木伝四郎 28歳 東京(東京ー静岡 196㎞) 6時間24分8秒9

個人第2区 富岡 喜平 33歳 東京(静岡ー岐阜 245㎞) 9時間57分38秒5

個人第3区 渡辺 輝夫 21歳 東京(岐阜ー神戸 211㎞)6時間15分59秒6

団体光風チーム 渡辺正夫(1区4位)渡辺和夫(2区3位)渡辺輝夫(3区1位)東京 23時間9分56秒2

●昭和30年4月1日 第一回全日本プロ自転車ロードレース選手権大会 藤沢・大磯・片瀬周回 200㎞ 116名 大島芳美 22歳 愛知 5時間4分50秒8