2021年9月14日火曜日

チドリ号

 チドリ号

下の写真の店舗軒上の看板に「代理店チドリ号 タンスヤ 山内自転車店」とある。
この写真の撮影年は昭和6年ごろと、写真を提供してくれた林さんから聞いている。しかし、未だにこの時期にチドリ号と云う銘柄の自転車は記録に出てこない。昭和20年代になると、株式会社銀輪社 千鳥自転車工場 東京都港区芝佐久間町1-5 サンチドリ号、銀栄号の名前がある。果たしてこの千鳥自転車工場の自転車なのか判然としない。更に一番下の選手の集合写真をみると左上の法被を着た人物の襟元下にヒドリ自転車カッター號と書いてある。このカッター號も昭和20年代に登場する銘柄である。
昭和10年代にもチドリ号やカッター号があったのかいまのところ不明である。もしなかったのであれば①と③の写真は昭和20年代に撮影されたことになる。

以前に林さんから伺ったところでは、

チドリ号代理店山内自転車店(東京府荏原区小山町五四番地)前にて、昭和6年頃撮影。左から二人目が店主山内明延さん、そのとなりの女の子は長女の静さん当時7才。タンス屋から自転車好が嵩じて自転車店を始めたという山内さん。また彼はその頃各地で行なわれた草レースにも出場し活躍した町のレーサーでもあった。同僚の選手に、友谷富之助、勝又吉之助氏らがいた。内弟子には高木子爵の弟で石沼氏もいた。昭和9年頃、この内弟子に同店を譲り、山内さんは都合あって栃木県那須郡下江へ引越してしまった。

①の写真をよく見ると昭和20年代には見えない。昭和初期の面影を残している。アセチレンランプを付けた自転車や大正期に流行ったハンドルをアップにしたレーサータイプの自転車も見える。林さんに長女の静さんの生年月日を聞けばよかったといまになって後悔している。

荏原区(えばらく)は、東京府東京市にあった旧名、1932年(昭和7年)から1947年(昭和22年)まで。

①の写真の各自転車のハンドルに付けられた三角旗に西小山の字が見える。西小山は、東京都品川区小山で東急電鉄目黒線に西小山駅がある。

②のタンス屋時代の写真を見ると、大正期のレーサータイプの自転車が荷車の横に置いてある。山内明延さんの愛車であった。

③の草レース時代の写真を見ると会の大きな旗と、その右横の中段(しゃがんでいる)に男前の山内さんもいる。

①山内自転車店前

②タンス屋の時代

③草レースの時代
中央右が山内さん