2025年7月25日金曜日

スティーブンスの日本旅行記 パート2-25

 スティーブンスの日本旅行記 パート2-25

枝は垂直の支柱に水平に伸び、数百平方ヤードの広い庇を形成している。東海道側には、この巨木を模した小さな松の木も広がっている。 

湖を見下ろす山々の斜面に雪が積もり、小さな汽船や多くの帆船が穏やかな水面を行き交い、雁も飛んでいる。左手にこれらの美しい景色、右手に茶畑を望みながら、東海道は松並木を抜け、湖岸沿いの多くの村々を通り過ぎて行く。

中山道は、乗馬鞭の製造で有名な草津村で左に分岐する。石部を通り、横田川を渡るところまで東海道は平坦で良好な状態を保っている。この川の交差点の近くには、3匹の猿が目、口、耳を覆っている興味深い庚申塔がある。これは「悪いことを見ず、聞かず、言わず」という意味である。この地域では主に茶の栽培が盛んで、起伏のある尾根や丘陵地帯のなだらかな斜面に、濃い光沢のある茶の木が茂り、はっきりとした畝や群落が広がっていて、とても美しい。

急な斜面をジグザグに下り、東海道は八十瀬川の小さな谷へと下って行く。丘の麓には奇妙な祠のような洞窟があり、粗雑な偶像がいくつかある。金魚の入った水槽、そして私が今まで見た中で最も粗雑な仏像が一つ安置されている。野心的な仏像彫刻家の狙いは、「大いなる静寂」の擬人化を創造することにある。八十瀬川の谷にあるこの像は、まさにこの方面における傑作と言えるだろう。かすかに口と鼻が彫られた長方形の巨石が、人間の形を朧げに削り取った直立した石板に鎮座している。これほど静謐なものはないだろう。

あと1、2マイル進むと、46マイルの旅は坂の下村で終わる。快適な宿屋が待っているが、ほとんどの日本の村と比べても良くも悪くもない。しかし、東海道沿いの宿屋の主人は、神戸以南よりもヨーロッパ人の客に慣れている。毎年夏になると、多くのヨーロッパ人とアメリカ人の観光客が人力車で横浜と神戸の間を旅する。

この宿屋で、私は初めて日本独特の制度、盲目の按摩師に出会った。


464頁

庚申塔

伊勢坂ノ下筆捨山之古跡 (書画五拾三駅)
歌川芳虎 画 明治5年
国会図書館所蔵資料

2025年7月24日木曜日

ツールとオリンピック

 ツールとオリンピック

2021年7月24日(土)晴れ

小山町でオリンピック、男子自転車ロードレースを観戦

一瞬に走り抜けて行く

先頭はヤン・トラトニク(スロベニア)、タデイ・ポガチャルのサポート役に徹する


先頭はヤン・トラトニク(スロベニア)
静岡県小山町上野
2021年7月24日撮影

2021年7月24日NHKのライブ映像より
静岡県小山町上野付近

ワウト・ファン・アールト 銀メダル
リチャル・カラパス 
タデイ・ポガチャル 
NHKのライブ映像より


以下はツール・ド・フランス
ツール・ド・フランス2025
第17ステージ 
総合成績トップのタデイ・ポガチャル
公式サイトより

第17ステージ の結果
2025年7月23日

スティーブンスの日本旅行記 パート2-24

 スティーブンスの日本旅行記 パート2-24

茶葉の粉末を、シェービングブラシによく似た、奇妙に割れた竹製のミキサー(註、茶筅)で熱湯と混ぜる。その結果、香り高いお茶が出来上がり、鼻腔には心地よいが、ヨーロッパ人の味覚にはほとんど受け入れられない。

昨日の人力車のおじさんは、郵便配達員の様に「ホーン、ホーン、ホーン!」と叫びながら、道を開けながら、私より先に進んでいく。彼が群衆を切り開き、私が後を追うように進む。その間も6マイルのペースを保ち、風車のように腕を振り回しているのを見ると、まるで私が車輪の上で忠実な侍を従え、本物の大名のように思えるかもしれない。

京都からは、日本で最も有名な街道である東海道が始まる。この道は、何世紀にもわたって今日と同じように、偉大な街道であったと言われている。京都から東京まで、325マイルにわたって伸びている。

東海道とは対照的に、中山道と呼ばれる別の道も、古都と新都を結んでいる。しかし、中山道は東海道よりもやや長いだけでなく、起伏が多く、面白みに欠ける。

京都を出た後、東海道は丘陵地帯を通る低い峠を越えて、琵琶湖として知られる美しい湖畔の大津へと続いている。

この湖はレマン湖とほぼ同じ大きさで、その美しさにおいてスイスの宝石に匹敵する。自然の美しさを深く理解する日本人は、琵琶湖にうっとりする。「琵琶湖の八景」はよく語られる。この八つの美とは「石山秋月、勢多(瀬田)夕照、粟津晴嵐 、矢橋帰帆 、三井晩鐘 、唐崎夜雨 、堅田落雁 、比良暮雪 」である。これらはすべて、湖周辺の名所である。琵琶湖の水には、様々な伝説やロマンが語り継がれている。琵琶湖の起源は、紀元前数世紀に起きた地震によるものとされ、伝説によれば、湖が形成されたと同時に、富士山が駿河平野から雄大な姿で現れたとされている。

多くの寺社があり、遠方から多くの参拝客が訪れ、その美しさを拝観する。観光客にとって特に興味深いのは、枝が水平に伸びた見事な松の木である。(註、唐崎の松)


463頁

琵琶湖を巡る

歌川広重「近江八景 石山秋月」
国会図書館所蔵資料

唐崎の松
「日本之名勝」
明治33年発行
国会図書館所蔵資料

344頁
「マレーのハンドブック」
初版は1891年
琵琶湖の部分

一部抄訳、
琵琶湖は紀元前286年の大地震によって誕生し、同時に富士山が駿河平野から隆起したと言われている。日本の詩歌や美術には「近江八景」という概念が頻繁に登場するが、この概念は他の多くの日本のものと同様に、中国から来ている。中国では、瀟湘八景と云う。或いは瀟湘の八人の美女がいたとも云われている。近江八景とは、石山秋月、勢多夕照、粟津晴嵐 、矢橋帰帆 、三井晩鐘 、唐崎夜雨 、堅田落雁 、比良暮雪 である。

2025年7月23日水曜日

「自轉車瓦版」 第11号

 「自轉車瓦版」 第11号

昭60年4月30日発行

☆4月28日、東京晴海で開催されているサイクルショーへ行く、いつもこのようなサイクルショーを見て感じることはどこのメーカの自転車もあまり代り映えしないということである。どこのブースを見てもロードレーサー、ピスト、MTB、BMXなどのスポーツ車ばかり、実用車や子供車はどこに行ったであろうか。なにも目新しいものはカーボンファイバーの自転車やディスクホイールの自転車ではないはずだ。やはりだれもが楽しく乗れる自転車が求められているはずである。このサイクルショーでの収穫は、書籍コーナーで次の本を買ったことであった。

「At Your Service - A Look at Carrier Cycles, By John Pinkerton.1983」と「Joseph Lucas the first king of road」。

☆横浜にPB商品専門店が進出、無印良質の自転車も販売される。PBとはプライベートブランド(自社開発)の略で、包装や装飾類などのムダな部分を省き、安価で質の高い商品作りを目指すもの、もちろん自転車もタイヤ、サドル・ブレーキなど最低限必要な部品で構成されたもの。大手スーパーの西友が来年中、横浜市内に計画。

★トライアスロンの第1回大会が宮古島で4月28日に開催された、日本で初めての本格的な大会。優勝者は予想どおり神奈川の中山俊行 (22才) であった。


Joseph Lucas
The First "King of the Road"
by Peter W. Card

Wholesale Catalog. December, 1897.

THE "Silver" King of the Road.

2025年7月22日火曜日

スティーブンスの日本旅行記 パート2-23

 スティーブンスの日本旅行記 パート2-23

3人の若い生徒は、まるで『ミカド』の「三人官女」のように一列に並び、先生の説明に納得してクスクス笑っている。とても可愛らしい3人の女の子で、そのうち2人はアメリカで最も人気のヘアスタイルで髪を束ねている。

生徒たちは甘いお菓子とお茶を楽しみ、帰る前に、私が翌朝に学校を訪問し、「ボニー・ドゥーン」と「蛍の光」の歌を聞く代わりに、校舎の敷地内でダルマ自転車に乗るという約束をした。「蛍の光」は「オールド・ラング・サイン」のメロディーで歌われており、その日本語の歌詞は琵琶湖近くの宇治の茶畑の伝説を記念したものであると云う。伝説によると、ある学者たちが宇治近くの人里離れた場所で学問を続けるためにやってきた。ある時、油が切れて部屋の明かりを調達することができなかったが、無数の蛍がやって来て、小さな明かりでその場所を照らした。

「学校の3人の生徒」との約束は、翌朝、最寄りの道から少し遠回りして街へ向かった。しかし、この寄り道は十分に報われた。約束されている歌やオルガン演奏以外にも、学校には多くの研究科があり、非常に興味深い。東京市場向けのレースや刺繍、自分たち用や販売用のドレスを少女たちが作り、その収益は学校の維持費に充てられる。この地で最も興味深い学問の一つは、「日本の儀式」と呼ばれるものである。これは、天皇陛下のためにお茶を点てるという、古くからの宮廷儀式を今も受け継いでいるようである。儀式を見学したいと申し出ると、いつもの襖で仕切られた小さな部屋に案内された。一組の少女たちが一列にひざまずき、小さな火鉢の横に座る。とてもきちんとした身なりの老婦人と向かい合っている。老婦人は教師である。彼女が手を叩くと、障子の一枚が静かに開き、先生の一人が小さな漆塗りの盆に小さな急須と湯呑、茶筒、その他様々な道具を持って登場する。この「儀式」には実はほとんど何もなく、茶を点てる人の優雅な動きこそが、このパフォーマンスの魅力である。使用されるお茶は細かく挽かれた宇治の抹茶で、帝の御家のために特別に栽培されている。


261頁

「大日本物産図会 宇治茶製之図 二」
歌川広重(三代)明治10年
国会図書館所蔵資料
以下同じ

宇治茶の看板
左下の自転車にも注目
「宇治茶のかほり」
大正12年

宇治茶産地略図
同上

抹茶臼ノ図
「日本山海名物圖會」 二
江戸中期

2025年7月21日月曜日

「自轉車瓦版」第10号

「自轉車瓦版」 第10号

昭和60年4月28日発行

☆真船氏からの出版情報。『まほうつかいの自転車』平塚ウタ子作、むかいながまさ絵、フレーベル館 S.57.9 、700円(児童書)。

『ザ・ファビュラス・ワールド・オブ・サイクリング 1984』マエダ工業(株)で取扱い、4,500円、写真集、192ページ、ツール・ド・フランス、ジロ・デ・イタリア、世界選手権、ロサンゼルス・オリンピックなどを収録。

『パールイズミ、イメージポスター』(2版・タテ73cm×ヨコ52cm) モデルは、ロス・オリンピック個人ロードレース2位のレベッカ・ツウィッグ選手、400円、パールイズミ有限会社。

『MOVIN' ON』 BMX、スケートボードなどを扱ったフリースタイルの新雑誌, 隔月刊、¥200- ワイルドキャット (〒155東京都世田谷区代田5-13-10)。

★60.4.18付け朝日新聞に、鶴田勝三、ボーンの自転車による富士山 の写真(明治33年)が掲載された。この写真はマエダ工業(株)の経営者、河合淳三氏が10年前、渡米した際にコロンビア社からもらい受けたもの。大阪の高橋 勇氏は、この写真を見て、自転車による富士登山はこれが最初だと説明している。

◎自転車情報何でも結構ですからお寄せ下さい。

鶴田勝三 富士山山頂で曲乗り
自転車はアメリカ製デートン号
明治33年8月21日

富士山ダウンヒル
明治33年8月21日
「私は自分のクリーブランド号に乗り、
デビンは小橇(そり)に乗った」
(ヴォーガン紀行文より)

2025年7月20日日曜日

スティーブンスの日本旅行記 パート2-22

 スティーブンスの日本旅行記 パート2-22

ヒンドゥー教の無数の神々は、この国の奇妙な伝説や神話と比べれば、容易に理解できるように思える。

この寺院の近くには、気軽に訪れて、人々にはるかに満足感を与えてくれる素敵な小さな庭園がある。日本庭園を訪れるのはいつも楽しいことだが、景観の魅力に加えて、歴史的な関心がこの庭園にさらなる魅力を与えている。池には飼いならされた鯉が放たれており、訪問者が手を叩くと、餌をもらえることを期待して、鯉が群れをなして集まる。庭園内の鉄格子には、不機嫌そうなガチョウが2羽閉じ込められている。ある歴史的な出来事を記念してそこに飼われているが、その出来事が何なのかは、同行者の博識な女性でさえ知らないようである。マレーの膨大なガイドブックにも説明されていない。鶴、雁行、昇る月、竹林といった、いつもの伝統的な主題で内装が飾られた小さな宮殿と、500年前、将軍の足利義満が瞑想にふけっていた小さな円形の茅葺き屋根の別荘が、庭園の見どころとなっている。

私が本当に楽しみたいと思っていたのは、この国で最も有名な庭園の一つである修学院離宮で、何よりも園芸が芸術として追求されている。しかし、今日はここに入ることができず、うんざりしたので、人力車車夫に帰るように伝えた。平坦な道を1、2マイル進むと、人力車車夫は別の寺院で私を降ろした。彼が私を何か特別な場所に連れて行ってくれるかもしれないと思い、彼の後を追って中に入った。神道を学んだ人なら、きっとこれらの寺院に何か特別なものを見つけるだろうが、普通の人間にとっては、一つ見ればすべてを見るのと同じことである。しかし、彼は寺院を山ほど見せようと思っているようで、さらに別の寺院へと私を急がせた。

B氏のところでは、女子神学校の副校長と、最も興味深い3人の生徒からなる代表団が私の到着を待っていた。彼らは地元の新聞で私の旅行について読んでいて、副校長の言葉によれば、「こんなに有名な旅行者に会えてとても興味津々です」とのことであった。


460頁

2025年7月19日土曜日

錦絵関連

 錦絵関連

下の錦絵は、小林幾英 画の「志ん版車づくし」明治20年ごろ

この錦絵は現在、サントリー美術館の「まだまだざわつく日本美術」で展示されている。

会期、2025年7月2日(水)~8月24日(日)10:00~18:00

※作品保護のため、会期中に展示替あり、とのこと。
小林幾英(こばやし いくひで)は、落合芳幾の門人。姓は小林、名は英次郎。飛幾亭、箴飛亭の画号。作画期は明治18年(1885年)~明治31年(1898年)頃。


志ん版車づくし」明治20年ごろ
サントリー美術館所蔵

2025年7月18日金曜日

スティーブンスの日本旅行記 パート2-21

 スティーブンスの日本旅行記 パート2-21

神戸は日本の条約港の一つであり、今日では他のどの港よりも多くの外国貿易を行っていると言われている。神戸は非常に快適で住みやすい場所であることが想像できる。外国人居留地はかなり広く、周囲は魅力的で、気候は穏やかで健康的である。

神戸と大阪で楽しい日々を過ごした。大阪から27マイルの平坦な道を、淀川に沿って進むと京都に着いた。8世紀から1868年まで京都は日本の首都であり、一般的に国の旧首都と呼ばれている。現在の人口は約25万人で、首都として栄華を誇った昔の全盛期の約半分である。

京都に住んでいるのは、アメリカ人の元海軍士官であるB氏である。彼は数年前に軍務を辞め、若い日本人に射撃を教えるというより、平和的な活動をしている。この機会は縁起の良いものであった。なぜなら、国全体が英語学習への熱意に燃えていたからである。英語は公立学校で正規の授業として導入された。B氏は京都に居を構え、今では母国語について、興味深く大勢の少年たちを教えている。紹介状を受け取った私は、淀川沿いの快適な邸宅で昼から晩まで過ごすことができた。彼の専属人力車で、午後のひとときを様々な名所を巡った。最初に訪れた西本願寺で、アメリカ人観光客の一団に偶然出会った。この寺の絵画や装飾は、日光に匹敵すると、一人の女性が熱っぽく言った。この女性は宣教師か、あるいは日本の寺院や物事に詳しい人らしい。同行者たちは束の間の観光客で、彼女の説明を熱心に聞いているが、私と同じように、寺を出てからはすぐに忘れる。日本の神話、宗教、寺院、政治、歴史、そして称号は、私がこれまで見てきたものの中で、最も混乱していて、すぐに理解するのが難しい。


459頁

2025年7月17日木曜日

ホビーホース関連

 ホビーホース関連

「THE ANALECTIC MAGAZINE」 第13巻 1819年1月~6月

註、『論説雑誌(アナレクティック・マガジン)』(1813年-1820年)は 、フィラデルフィア でモーゼス・トーマスによって出版された。

第15、ヴェロシペードまたはドライジーネ。「ロンドンの新聞より」

この独創的なマシンは、カール・フォン・ドライス男爵、王室の森林所有者により発明された。

バーデン大公、発明者によるその性質と特性の説明は、

1.整備された道路では、活動的な人間が歩くのと同じ速さで坂を登る。

2. 平坦地では、大雨の後でも時速6~7マイルで進み、これは急使と同じくらいの速さである。

3. 道路が乾燥して固まっている場合は時速8~9マイルで走る。これは馬の速さに相当する。

4. 下り坂では、全速力で走る馬に匹敵する。

その理論は、人間の歩行動作に車輪を応用することに基づいている。

動力の節約に関して、この発明は非常に古い馬車の発明に例えることができる。馬が馬車を曳くと、馬車と荷物の両方を、背中に一人で荷物を運ぶよりもはるかに簡単に運ぶことがでる。したがって、人はヴェロシペードを使えば、全重量を足で支えるよりも楽に体を動かせる。同様に、ヴェロシペードは、たった一つの踏み跡、つまり轍を踏むだけで、常に道路の最良の部分を進むことができることも疑いない。固い道では、ヴェロシペードの速さは熟練したスキーヤーのそれに似ている。なぜなら、この二つの動作の原理は同じだからである。実際、乗り手が動かない間にも、足が動いている時と同じ速さで、かなりの距離を走る。そして下り坂では、指のゆっくりとした動きだけで操作されるため、馬に付随する危険にさらされることなく、長い距離を走って馬に勝つことができ、足で瞬時に止めることができる。

2つの車輪が前後に配置され、止まり木で接続されている。止まり木にはサドルが置かれ、ライダーの座席となる。前輪は軸を中心に回転する。前方のクッションに前腕を置き、これにより装置とライダーのバランスが保たれる。

操作方法。図に示されている姿勢になり、肘を伸ばし、体を少し前に傾け、腕をクッションに置き、上昇しているように見える側を軽く押すことでバランスを保つ。舵(そう呼べるのであれば)は両手で持ち、両手はクッションに置かず、完全に自由に使えるようにする。これは、腕がマシンのバランス維持に不可欠であるのと同じくらい、マシンの操作に不可欠だからである。(注意を払えば、すぐに十分な器用さが身に付く)。次に、足を軽く地面につけ、最初はまっすぐな直線で、長くゆっくりとした動きをする。つま先が外側に向くと、かかとが後輪に接触してしまうので注意する。ヴェロシペードのバランスと方向を器用に把握できるようになって初めて、足の動きを速くしたり、高速走行中に足を上げたままにしたりする。サドルとクッションは、好みに応じて上下に調整でき、さまざまな人の身長に合わせることができる。

発明者は、2人を乗せ、交互に、または両方で推進するマシンの製作も考えている。また、3つまたは4つの車輪と女性用の座席も備え、或いは傘を付けた仕様や順風時には帆を利用することも検討している。

このマシンは機械力学における要望を満たしているように見える。これまでの試みはすべて、動力は速度を犠牲にしてのみ得られるという既知の原理に基づいて失敗した。しかし、推進原理は他のものとは全く異なる。マシン本体からではなく、外部で作用する抵抗、つまり自然に最も適合した方法、地面に対する足の抵抗から得られる。マシン本体はいわば2つのスケートによって支えられ、推進力は両足の交互の動きによって与えられる。

このマシンはドイツ語で「ドライス・ラウフマシン」、フランス語で「ドライジーネ」と呼ばれている。ドライス男爵の指揮の下、数年前に馬なしで走行する馬車が作られたが、操作には2人の召使いが必要で、非常に複雑な職人技に加え、重くて高価だったため、男爵はある程度の完成度に達した後、この設計を完全に放棄し、現在のマシンに切り替えた。十分に訓練された人は、平坦で良好な地面であれば時速8、9マイル、さらには10マイルも走行できると言われている。


『アナレクティック・マガジン』
第13巻 1819年1月~6月
以下同じ

517頁

518頁

519頁

515頁
第15、ヴェロシペードまたはドライジーネ
「ロンドンの新聞より」

2025年7月16日水曜日

スティーブンスの日本旅行記 パート2-20

 スティーブンスの日本旅行記 パート2-20

他の場所から数人の女性宣教師が訪れており、全員アメリカ人で、思いがけない形で会い、楽しいパーティーとなった。

日曜日の朝、私はケアリー氏に同行し、彼の地元の民衆が2000円の自費で建てたという素敵な新しい教会を見学した。驚くべきことではないにしても、改宗者たちの誠実さのようなものを感じさせる非常に喜ばしいものである。ほとんどの国では、改宗者たちは宣教団から提供される物質的な援助を通して、キリスト教の素晴らしさに気づくのである。彼らは、自らが奉じていると公言する大義のためにお金を使うのではなく、そこから具体的な何かを得ることを期待している。しかし、ここでは改宗者たちが自ら集会所を建て、外部からの援助なしに宣教団を支援することを申し出ている。これは、「異教徒」を自分たちの宗教に改宗させることを信じる人々にとって励みになり、日本人の性格を学ぶ者にとっては喜ばしいことである。

約500人が教会に集まり、マットを敷いた床に静かに整然と着席している。元侍の弁護士や紳士からごく普通の市民まで、白髪の老人から、母親に連れてこられた若者まで、あらゆる階層の人々が集まっている。これらの母親たちの多くは、宣教師に説得されて異教的なお歯黒をやめ、未婚の姉妹たちと同じように、白い象牙色の歯を見せて集会に出席している。好奇心旺盛な部外者たちが開いた扉の周りに集まり、中を覗き込み、立ち上がってケアリー氏の説教と賛美歌に耳を傾けている。賛美歌はアメリカと同じ旋律で歌われ、歌詞は日本語に翻訳されている。誰もが賛美歌を楽しんでいるようで、説教にも熱心に耳を傾けている。

説教の後、会衆の著名な数人が立ち上がり、説得力のある言葉と身振りで同胞に語りかける。ケアリー氏は、普通の日本人なら誰でも、特別な努力や恥ずかしさを感じることなく、公の場で流暢に、さりげなく自分の見解を説明できると私に言った。日本のキリスト教会の会衆は皆この教会に集まり、床に座り、歌い、説教を楽しそうに聞いている光景は新鮮で興味深いものである。


457頁

2025年7月15日火曜日

自転車自由自在

 自転車自由自在

下の写真は不鮮明だが、TV映像の一場面。
写真を整理していたら出てきた。
当時の記憶映像が脳裏に映し出された。
一泊二日で現地に向かったことを思い出す。まだ手元には台本も保存されている。



NHK教育テレビ
番組名 ユメディア号こども塾 
放送日時 アナログ教育  1995年04月22日(土) 午前10:00 〜 午前10:30
番組内容 自転車自由自在 ~群馬県・高崎市で録画~
出演者など、武内由紀子、フォークダンスDE成子坂、中野浩一、大津幸雄、西元良太


台本 表紙

台本の30、31頁


註、「ユメディア号こども塾」は、1995年4月8日から1998年4月4日までNHK教育テレビで放送されていた子ども向けの教育番組。
移動型教室:「ユメディア号」と呼ばれる大型バス(3台)を使って全国を巡回し、各地の子どもたちに向けて課外授業を行った。



2025年7月14日月曜日

スティーブンスの日本旅行記 パート2-19

 スティーブンスの日本旅行記 パート2-19

荒れた地面と雪に、ひどく不満を抱くことはない。茶屋の風上には藁の防風柵が設置され、通行人が茶屋の火鉢の周りに集まっておしゃべりしたり、煙草を吸ったりして立ち止まる姿が見られる。

日本では男女問わず、誰もが喫煙する。この国で広く使われているパイプは、長さ約15cmの小さな真鍮の管で、先端を上に折り曲げ火皿を広げたものである。(煙管)この火皿にほんのひとつまみのタバコを入れる。数回吸い込み、火鉢の縁を軽く叩いて残りを叩き出し、喫煙者が満足するまで何度も煙管にタバコを詰める。宿屋や茶屋で給仕をする女性は、タバコを服の袖の大きなポケットに入れて持ち歩き、パイプは帯やガードルに差し込んだり、髪の後ろに挟んだりしている。

今日私が通った道沿いの交差点や村の入り口に鎮座する石仏の多くは、更紗の涎かけを着けているが、その意味は言葉が通じないので分からない。涎かけは、間違いなく、ある特定の宗教行事を象徴するものである。(註、主に子どもの平安や供養、成長祈願、赤色は魔除け)  

1886年12月4日土曜日、私がゆっくりとダルマ自転車で街を走っていると、重要な都市である岡山には、清潔で平坦な道路、店に並ぶ豊富なヨーロッパ製品、そして常に興味深い人々の群れなど、観察する価値が豊富にあった。長崎を出てからこれまで、日本人以外に出会った人はいないし、ここで誰かに会うことも期待していない。しかし、嬉しい驚きが私を待っていた。主要なビジネス街の一つの角に、2人のアメリカ人宣教師が現れたのである。ケアリー氏とローランド氏と名乗り、3家族が一緒にここに住んでいると教えてくれ、日曜日に泊まるように招待してくれた。明日は彼らの歓待を受け、自分の現在位置を確認する機会を得られたことを大変嬉しく思った。下関から私が通ってきた道の信頼できる地図や旅程表は長崎では何も入手できず、日々の自分の居場所も漠然とした知識しか持たずに旅をしてきた。彼らから初めて、私たちが居る街が岡山であること、そして私が今神戸から100マイル以内にいることを知った。神戸では、「マレーのハンドブック」が私を正しい道へと導く上で大いに役立つ。

小さな宣教師の自宅は松の木がある丘の上に位置している。


455頁

岡山をダルマ自転車で去る

石仏の涎掛け

マレー社日本旅行案内ハンドブック 
1884 年版

2025年7月13日日曜日

「自轉車瓦版」第9号

 「自轉車瓦版」第9号

昭和60年4月24日発行

★VOGUE(ヴォーグ)号で有名なオリエント工業の小林保明氏は、この度イタリアで、1946年から1962年までに行なわれたジロ・デ・イタリア等のビデオ・カセット(イタリア語版、全12巻)を入手した。残念ながら現在、ビデオ・カセットの規格の関係で、日本のVHS あるいはベータのデッキでは見ることができない。

☆ヨーロッパのサイクリングをビデオ・カセットで!
イタリアのCINESPORTが制作したヨーロッパのサイクリングに関する最も広範で完全なドキュメンタリー映画。

映像の一部


以下はVOGUE関連参考資料
VOGUEの広告より、
プロショップ営業中
オリエント工業直営SHOPを湘南に開店いたしました。トップロードマンに愛されるVOGUEは、国内選手権はもちろん、ロスオリンピック、クアーズ、ラブニール、その他国際大会にて数々の成績を残してまいりました。そのキャリヤーとノウハウを共有し、ビルダー高比良、スタッフ矢島が、どんなリクエストにもおこたえします。何でも相談して下さい。あなたのマシーンをチューンアップするために、適切なパーツを組みつけます。
(サイクルスポーツ誌 1987年7月号)

VOGUE(ヴォーグ)
「ニューサイクリング」誌
個性時代の自転車アルバム
1990年6月増刊号

ヴォーグは純レーサー作り工房として、昭和55年に発足している。社長の高比良氏、専務の小林氏、そして両氏もプロの選手志望として自転車に接した方々だ。従って作り出されるマシンは、勝つための道具としてのポリシーが明確であり、常にレース用マシンの基本を見定めた作業を続けられており、ハデな工作などは一切省いたマシンの外見は、一見おとなしく見えるものの、そこには実はレースマシンたるかたくななものが宿っているのだ。スケルトン、材料、そして加工、全てにリアルマシンとしてのエッセンスが結実している。

2025年7月12日土曜日

スティーブンスの日本旅行記 パート2-18

 スティーブンスの日本旅行記 パート2-18

馬は小柄ではあるものの、力強くしなやかで、まさに過酷な遠征任務にふさわしい馬である。

広島の北は丘陵地帯で、道は渓流を登り、また渓流を下って行く。この山岳地帯では、ベンガルの俊足な郵便配達員に匹敵するような郵便配達員に出会だろう。日本の郵便配達員は、腰巻きと白と青の綿チェックの薄着という、より自然な姿だった。彼の郵便袋は竹の杖に固定されている。弾むような足取りで、音楽的に「ホーン、ホーン!」と叫び、人々に道を空けるように警告する。この叫び声は、春に南から北へ急ぐ野生のガチョウの鳴き声によく似ている。

これらの山々の中で、勤勉な日本人が数エーカーの耕作地を確保するために行ってきた途方もない努力には、驚嘆させられる。堤防が築かれ、川の流れが狭められ、残りの川床は畑や庭園に転用されていた。数エーカーの堆積土のために、文字通り川床から造成される。主に山と海岸の間には、数平方マイルの平坦な地域があり、土地の広さに比べて不釣り合いなほどの人口を支えている。しかし、これらの海岸に住む人々の多くは、瀬戸内海の青い海で生計を立てている。魚は米と並んで、地方では主食となっている。

今日のサイクリングを終える頃には、天候は一変し、かなり不快な寒さになってきた。この寒い天候の中、日本人が木の骨組みと障子でできた薄っぺらな家でどうやって暖をとっているのか、その謎はすぐに解明できた。床の開口部には炭の入った火鉢が置かれ、その上に木製の枠が立てられ、その上に布団が掛けて熱を保っている。暖をとる方法は、この炬燵の下に体を入れ、肩の周りにしっかりと掛け布団を巻き付けて、中の暖かい空気が逃げないようにすることだ。このユニークな炬燵の利点は、頭を冷やしながら、必要に応じて体を温めることができる。

翌日は肌寒く、時折雪がちらつく。人々は背中を丸め、鼻を青くして、惨めそうに見えた。


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2025年7月11日金曜日

ホビーホース関連

 ホビーホース関連

新しい特許発明の説明

新しい発明、特許加速装置:ウォーキング探検車 1819年

この独創的なマシンは、バーデン大公殿下の森林の所有者であるカール・フォン・ドライス男爵の発明。発明者によるその性質と特性は次のとおり。

1. 整備された郵便道路では、活発な人間が歩くのと同じ速さで坂を登る。

2. 平地では、大雨の後でも時速6~7マイルで走行、これは急使と同じくらいの速さである。

3. 道路が乾燥して固い場合、平地で時速8~9マイルで走行する。これは馬の速さに相当する。

4. 下り坂では、全速力で走る馬に相当する。

その理論は、

車輪の動きを人間の歩行動作に応用。動力の節約という点では、この発明は乗り物の非常に古い発明に匹敵する。よくできた馬車に乗れば、馬車と荷物の両方を背中に担ぐよりもはるかに楽に曳くことができる。人間も加速器を使うことで、足で体重全体を支えるよりも楽に体を動かすことができる。加速器は、回転を与えるだけなので、常に道路の最良の部分に向けることができる。硬い道路での加速器の速さは熟練したスキーヤーのそれに似ている。

実際、乗り手が動かない間でもかなりの距離を、足が動いている時と同じ速さで走る。下り坂では、指の緩やかな動きだけで誘導され、足で瞬時に停止できるため、馬に付随するリスクにさらされることなく、馬に追いつくだろう。

前後に並んだ2つの車輪で構成され、乗り手の座席となる鞍が置かれた止まり木で接続されている。前輪は軸を中心に回転し、バスチェアと同じように誘導される。前方のクッションに腕を置き、これにより乗り手と器具のバランスが保たれる。

操作方法、

旅行者は、図に示されている姿勢になり、肘を伸ばし、体を少し前に傾け、腕をクッションの上に置き、上昇しているように見える側を軽く押して平衡を保つ必要がある。操舵は両手で持ち、両手はクッションの上に置かず、自由に動けるようにする必要がある。なぜなら、腕は機械のバランス維持に不可欠であるのと同様に、両手はマシンの操縦に不可欠だからである。次に、足を軽く外側に置き・・・


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2025年7月10日木曜日

スティーブンスの日本旅行記 パート2-17

 スティーブンスの日本旅行記 パート2-17

宿屋からそう遠くないところに、イタリック体で「ヨーロッパ料理、亀屋」と書かれた目立つ看板が目に留まった。夕食にビーフステーキとビールを楽しもうという夢を思い浮かべながら店に入り、店主の若い男性に、ここはホテルかと尋ねた。彼は微笑んで頭を下げ、私が何を言っているのか全く理解していないことを仄めかした。

翌朝は霜が降り、低く流れる雲が不安定な天候を告げ、私は旅を再開した。道はほとんどの場合、海岸沿いを通っており、時には砂利の浜辺の曲線に沿っている。海岸近くの低地のほとんどは海を埋め立てられたようで、低く平らに見える湿原で、何マイルにも及ぶ頑丈な堤防と岩でできた壁によって高波から守られている。海岸沿いには漁村が点在し、最近の台風によって海水が内陸に押し寄せ、道路が流された場所が遠くまで続いている。何千人もの男女が、麓の花崗岩と頁岩の丘陵地帯の豊富な資材を利用して被害の修復に取り組んでいる。

ここの魚はどこよりも安く豊富で、漁村の宿屋の老婦人が夕食に大きなエイを料理してくれた。料理にたっぷりと黒くて臭い醤油を使っているにもかかわらず、一流の料理だった。

この部屋には真鍮で縁取りされた素晴らしい仏壇があり、魂を満たす家庭の偶像と心地よい個人的な崇拝を連想させる。

夕方、私はこの仏壇を開けて中を覗き込み、その中身についての好奇心を満たそうとした。たくさんの安っぽいキラキラ光る装飾品と銘文の入った紙切れに囲まれた小さな蝋人形が現れた。その前に、小さな磁器の皿に入った米、酒、干し魚の供え物が置かれていた。

翌朝は晴れ渡り、霜が降りていた。道路は良好で、9時までには人口の多い広島市に駐屯する部隊の軍事演習を見学した。演習は、低い土手と溝で囲まれた広場で行われていた。好奇心旺盛な野次馬の群れが、地面を蹴り、噛みつき、足で地面を蹴る頑丈な小型馬に騎乗する新米騎兵の奮闘を見守っていた。兵士が投げ飛ばされるたびに、見物人は楽しそうに笑っていた。人も馬も小柄だが、ずんぐりとして使いやすそうに見えた。騎兵隊の制服は青で、黄色の縁取りが施されている。砲兵隊は整然としている。馬は小柄ながらも力強く、まさに過酷な作戦にふさわしい馬である。 


村の宿屋に到着

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2025年7月9日水曜日

「自轉車瓦版」第8号

 「自轉車瓦版」第8号

昭和60年4月22日発行

☆福島の真船氏からの出版情報。「BMXスーパーアクション」日本テレビ発行 1,500円- 4/22。「BTRカタログ」基本テクニック解説付 200円。-丸石自転車(株)発行。「消去法もうかる車券、艇券」続了生著 S.60.4.10。泰光堂出版発行 1,500円-。

☆世界最初のMTB第1号
世界で初めてMTBが作られたのは、今から55年前の1950年代。サンフランシスコからちょっとはなれたタマルパイアス山のふもとのチャリー・カニンガム工房のゲーリー・フィッシャーがMTBを作ったのが始まり。「自転車大全科」ベストバイク社 P.49より

☆ちょっと古い情報ですが、84年9月に行なわれたケルンショーに、ラレー社からクラシック風な自転車が出展された。(自転車大全科・P.20にCHAMPION OF THE WORLDとある。「歴史ある自転車のようだ!」) 

☆戦前の自転車レースビデオ(イタリア語版)を販売。ビデオの内容は、① ANNI DI CICLISM ②FAUSTO COPPI。 価格 4,000円・申込は下記へ、(約5本の限定販売につきお早めに)


ファウスト・コッピ
ビデオの一部

同上

2025年7月8日火曜日

スティーブンスの日本旅行記 パート2-16

 スティーブンスの日本旅行記 パート2-16

午後になると、狭い車道は、世界中で見てきた中でも最も素晴らしい、新しく作られた広い砕石舗装の道路に合流する。低い水田から、なだらかで均一な勾配で、ずっと上へと、道は高くそびえる岩だらけの崖の間を、はるか先まで見事な整備が行われている。ここの山々の最上部まで続く、魅力的な家々と美しい段々畑の光景は、言葉では言い表せない。中国の段々畑で見たものに、もはや驚嘆することはない。

平坦な大通りに到達すると、新たな驚きが私を待ち受けていた。長さ約500ヤード、幅約30フィートのトンネルの入り口にいた。トンネルは中央の大きな反射板で照らされており、入ると機関車のヘッドライトのように暗闇を照らす。日本人が人力車と歩行者の移動のためにこれほどの手間と費用をかけるとは想像しがたいことだが、実際はそうなのである。この国には他に交通車両がない。一般道路用に建設されたトンネルを見つけたのは、この国だけである。ただし、私が気付いたり耳にしたりしていない同様の改良点があるかもしれない。特に照明を維持するために人を雇わなければならないので、このような場所には少なくとも料金所があるはずだが、そのような人は見当たらない。

トンネルを数マイル進むと、広い道はかなり大きな港町に突き当たる。そこからジグザグの道を北へ向かう正しいルートを見つけるのに少し苦労した。一日中時折雨が降ったが、道路の状態は概ね良好であった。夕暮れ時に村の宿屋に到着した時には、50マイルほどは走っていたはずである。休憩と夕食のために落ち着く前に、何か面白いものがないか村を散策した。


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2025年7月7日月曜日

「自轉車瓦版」第7号

 「自轉車瓦版」第7号

昭和60年4月17日発行

☆第4回岐阜サイクルショーは4月4日から5日の両日行われた。今回は昭和会(岐阜の有力自転車専門店グループ)のサイクルショーのほか、岐阜県バイコロジーをすすめる会も協賛し、自転車普及協会からクラシック自転車のレプリカ6台を借りて展示、人気を集めた。また自振協の新しいパンフレット「BICYCLE = 自転車」も配布された。

☆85サイクルショーはいよいよ4月23日から30日まで行われる。場所は東京都晴海埠頭。

完成車38社、部品67社、その他9社、ハンドメード車コーナーに24社が出品する。会場には、自転車のほかに、カタログセンター、文献、資料等の即売コーナーも設けられる。

☆ 月刊「本の街」(第45~46号 明光企画、昭59発行)という雑誌に、「自転車物語」として、神田双輪倶楽部と二六新報社をめぐる記事がある。

(上記の雑誌をお持ちの方は是非コピーをお願いします。)

☆先日、横浜の開港資料館で、「絵入りロンドン新聞」1869年をながめていたら次のページに自転車関係の絵と記事があった。p.256,270,445,449。1869年といえばミショー型自転車の全盛時代である。「なお、この絵入りロンドン新聞」は原本なのでコピーは不可能とのことであった。ただし、写真撮影は可能。

◎情報等なんでも結構ですからお寄せください。


イラストレイテッド・ロンドン・ニュース
第50巻 7月~10月
1869年

1869年7月10日 30頁の一部


イラストレイテッド・ロンドン・ニュース
クリスタル・パレスで、木曜日にヴェロシペード・レースがある。など・・・

2025年7月6日日曜日

スティーブンスの日本旅行記 パート2-15

 スティーブンスの日本旅行記 パート2-15

10ヤード四方ほどの小さな庭園には、小さな湖、洞窟、趣のある石灯籠、青銅のコウノトリ、花、そして小な木々に囲まれていた。しかしながら、長崎から続く悪天候は、まるで運命のように、私の旅の終わりが快適なものにならないようにと思わせる。雨や泥濘、そしてそれに伴う遅れがあったにもかかわらず、中国での経験の後では、日本での最初の数日間はまさに楽園のように思えた。中国への嫌悪感を抱く私の感覚に、太陽が輝き、天候や道路状況も良好な日本という国とその人々を初めて体験した時、私はどんな印象を抱いていただろう。

周囲の地域は山岳地帯で、いくつかの峰の頂上には雪が積もっている。道は時折起伏に富んでいるが、小さな谷から谷へと曲がりくねりながら長い坂を下る。薪と米を積んだ仔馬を曳いた山間の農民たちが、出迎えてくれる。藤色の蓑、幅広の菅笠、粗末な草鞋といった古き良き日本の住民の衣装は、ダービーハットや騎手服を身につけた「新日本人」の同胞たちとは際立った対照をなしている。都会育ちの日本人の急速なヨーロッパ化、政府の進歩主義政策、青い制服を着た憲兵隊、そして国全体の革命にもかかわらず、これらの山里の民たちが祖先のやり方や方法、そして古風な衣装を捨て去るまでには、まだ長い年月が必要だろう。日本は今後数十年にわたり、山里の民の保守主義と自由主義的な都市生活者は興味深い比較対象となるだろう。一方は異国の衣服をまとい、異国の風習を真似し、あらゆる面で異国のやり方を取り入れる。他方は藤色の衣装、菅笠、草鞋、そして「古き良き日本」の伝統に執着するだろう。

ほとんどの農家は藁葺き屋根である。美しく整然とした藁葺きで、様々な工夫が施されていることは言うまでもない。中には、濃い緑色の低木でできた生垣に囲まれている農家もある。生垣は、上部が茶色の藁葺き屋根の延長のように見えるように刈り込まれており、茶色の藁葺き屋根は単に色を変え、地面に向かって同じ急勾配で傾斜しているように見える。この工夫は非常に魅力的な効果を生み出し、特に、きれいに刈り込まれた数本の若い松が、まるで家の周りの番兵のように生垣の上にそびえ立っていると、その効果は際立っている。今日見られた比類のない「樹木剪定」の一つは、山を模して刈り込まれた低木である。


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