スティーブンスの日本旅行記 パート2-19
荒れた地面と雪に、ひどく不満を抱くことはない。茶屋の風上には藁の防風柵が設置され、通行人が茶屋の火鉢の周りに集まっておしゃべりしたり、煙草を吸ったりして立ち止まる姿が見られる。
日本では男女問わず、誰もが喫煙する。この国で広く使われているパイプは、長さ約15cmの小さな真鍮の管で、先端を上に折り曲げ火皿を広げたものである。(煙管)この火皿にほんのひとつまみのタバコを入れる。数回吸い込み、火鉢の縁を軽く叩いて残りを叩き出し、喫煙者が満足するまで何度も煙管にタバコを詰める。宿屋や茶屋で給仕をする女性は、タバコを服の袖の大きなポケットに入れて持ち歩き、パイプは帯やガードルに差し込んだり、髪の後ろに挟んだりしている。
今日私が通った道沿いの交差点や村の入り口に鎮座する石仏の多くは、更紗の涎かけを着けているが、その意味は言葉が通じないので分からない。涎かけは、間違いなく、ある特定の宗教行事を象徴するものである。(註、主に子どもの平安や供養、成長祈願、赤色は魔除け)
1886年12月4日土曜日、私がゆっくりとダルマ自転車で街を走っていると、重要な都市である岡山には、清潔で平坦な道路、店に並ぶ豊富なヨーロッパ製品、そして常に興味深い人々の群れなど、観察する価値が豊富にあった。長崎を出てからこれまで、日本人以外に出会った人はいないし、ここで誰かに会うことも期待していない。しかし、嬉しい驚きが私を待っていた。主要なビジネス街の一つの角に、2人のアメリカ人宣教師が現れたのである。ケアリー氏とローランド氏と名乗り、3家族が一緒にここに住んでいると教えてくれ、日曜日に泊まるように招待してくれた。明日は彼らの歓待を受け、自分の現在位置を確認する機会を得られたことを大変嬉しく思った。下関から私が通ってきた道の信頼できる地図や旅程表は長崎では何も入手できず、日々の自分の居場所も漠然とした知識しか持たずに旅をしてきた。彼らから初めて、私たちが居る街が岡山であること、そして私が今神戸から100マイル以内にいることを知った。神戸では、「マレーのハンドブック」が私を正しい道へと導く上で大いに役立つ。
小さな宣教師の自宅は松の木がある丘の上に位置している。