2025年7月12日土曜日

スティーブンスの日本旅行記 パート2-18

 スティーブンスの日本旅行記 パート2-18

馬は小柄ではあるものの、力強くしなやかで、まさに過酷な遠征任務にふさわしい馬である。

広島の北は丘陵地帯で、道は渓流を登り、また渓流を下って行く。この山岳地帯では、ベンガルの俊足な郵便配達員に匹敵するような郵便配達員に出会だろう。日本の郵便配達員は、腰巻きと白と青の綿チェックの薄着という、より自然な姿だった。彼の郵便袋は竹の杖に固定されている。弾むような足取りで、音楽的に「ホーン、ホーン!」と叫び、人々に道を空けるように警告する。この叫び声は、春に南から北へ急ぐ野生のガチョウの鳴き声によく似ている。

これらの山々の中で、勤勉な日本人が数エーカーの耕作地を確保するために行ってきた途方もない努力には、驚嘆させられる。堤防が築かれ、川の流れが狭められ、残りの川床は畑や庭園に転用されていた。数エーカーの堆積土のために、文字通り川床から造成される。主に山と海岸の間には、数平方マイルの平坦な地域があり、土地の広さに比べて不釣り合いなほどの人口を支えている。しかし、これらの海岸に住む人々の多くは、瀬戸内海の青い海で生計を立てている。魚は米と並んで、地方では主食となっている。

今日のサイクリングを終える頃には、天候は一変し、かなり不快な寒さになってきた。この寒い天候の中、日本人が木の骨組みと障子でできた薄っぺらな家でどうやって暖をとっているのか、その謎はすぐに解明できた。床の開口部には炭の入った火鉢が置かれ、その上に木製の枠が立てられ、その上に布団が掛けて熱を保っている。暖をとる方法は、この炬燵の下に体を入れ、肩の周りにしっかりと掛け布団を巻き付けて、中の暖かい空気が逃げないようにすることだ。このユニークな炬燵の利点は、頭を冷やしながら、必要に応じて体を温めることができる。

翌日は肌寒く、時折雪がちらつく。人々は背中を丸め、鼻を青くして、惨めそうに見えた。


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