スティーブンスの日本旅行記 パート2-22
ヒンドゥー教の無数の神々は、この国の奇妙な伝説や神話と比べれば、容易に理解できるように思える。
この寺院の近くには、気軽に訪れて、人々にはるかに満足感を与えてくれる素敵な小さな庭園がある。日本庭園を訪れるのはいつも楽しいことだが、景観の魅力に加えて、歴史的な関心がこの庭園にさらなる魅力を与えている。池には飼いならされた鯉が放たれており、訪問者が手を叩くと、餌をもらえることを期待して、鯉が群れをなして集まる。庭園内の鉄格子には、不機嫌そうなガチョウが2羽閉じ込められている。ある歴史的な出来事を記念してそこに飼われているが、その出来事が何なのかは、同行者の博識な女性でさえ知らないようである。マレーの膨大なガイドブックにも説明されていない。鶴、雁行、昇る月、竹林といった、いつもの伝統的な主題で内装が飾られた小さな宮殿と、500年前、将軍の足利義満が瞑想にふけっていた小さな円形の茅葺き屋根の別荘が、庭園の見どころとなっている。
私が本当に楽しみたいと思っていたのは、この国で最も有名な庭園の一つである修学院離宮で、何よりも園芸が芸術として追求されている。しかし、今日はここに入ることができず、うんざりしたので、人力車車夫に帰るように伝えた。平坦な道を1、2マイル進むと、人力車車夫は別の寺院で私を降ろした。彼が私を何か特別な場所に連れて行ってくれるかもしれないと思い、彼の後を追って中に入った。神道を学んだ人なら、きっとこれらの寺院に何か特別なものを見つけるだろうが、普通の人間にとっては、一つ見ればすべてを見るのと同じことである。しかし、彼は寺院を山ほど見せようと思っているようで、さらに別の寺院へと私を急がせた。
B氏のところでは、女子神学校の副校長と、最も興味深い3人の生徒からなる代表団が私の到着を待っていた。彼らは地元の新聞で私の旅行について読んでいて、副校長の言葉によれば、「こんなに有名な旅行者に会えてとても興味津々です」とのことであった。