ミショー型自転車がフランスで発明されたのはいつ頃なのか、いろいろと説がありますが、いまのところの有力説は、1861年と言われています。それでは、このミショー型自転車がいつ頃日本に現れたのかについては、まったく分かっていません。
明治初年頃にたくさんの自転車を描いた錦絵がありますが、三輪車を除きどれも忠実に描かれた二輪車(ミショー型自転車)はありません。唯一、正確に描かれていますのは明治10年頃の「東京府下自漫競 江戸橋石造」三代広重画です。私はこの錦絵を基準として、ミショー型自転車の日本到来は早くても明治8年以降と推定しました。ただし、これも当座の推定年であることは勿論です。他に有力な資料が現れれば、変更されるものです。
上掲の錦絵は、極めて重要な情報を提供していると思います。なぜなら、かなり正確にミショー型自転車を描いているからです。この錦絵の発行年は、正確ではありませんが、どうやら1872年(明治5年)頃のようです。ミショーの発明から約10年後ということになります。場所も横浜で、しかも外国人商館の前のようです。コートを羽織りブーツを履いた外国人風の男がミショー型自転車に乗っています。この自転車を珍しそうにまわりの人々も見ています。二人連れの日本人女性も横目で見ています。この絵が確実に明治5年に描かれたものとすれば、ミショー型自転車の日本渡来説も早まることになります。可能性としては明治5年も充分考えられる年代です。
この錦絵は、国立歴史民俗博物館所蔵のものです。
しん板車づくし 横浜鉄道図 豊重画 版元、綱島亀吉 明治5年頃