これは大正9年10月4日付けの東京毎日新聞に掲載された広告です。自転車製造卸商 ㈱ 競輪社と書いてあります。所在地は東京下谷区御徒町三(停留所前)とあります。
ここで注目したいのは会社の名前です。競輪という言葉は誰が最初に考え、使用したのか分かりませんが、すでに大正期には一般的な名称だったのでしょうか。私はいままで昭和23年の競輪誕生のころから使われ始めたものと思っていました。
現在「Keirin」は、国際語になっています。
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