2009年4月5日日曜日

曲乗り

 日本で最初に自転車の曲乗りをはじめた人はいったいだれでしょうか。私がすぐに思い出すのは、あの富士山を自転車で滑降した鶴田勝三とボーンです。富士山頂で鶴田やボーンが曲乗りをしている写真が残っているからです。
 鶴田勝三は当時、自転車競技の一流選手でした。明治31年11月6日に東京上野の不忍池畔で開催された自転車大競走会の二十哩競走で、横浜バイシクル倶楽部のドラモンドとの一騎打ちで見事に優勝しています。ボーンは、ウィリアム・C・ボーン(William .C.Vaughn)というアメリカ人で、横浜商館のアンドリュース&ジョージ合名会社(横浜市山下町242番館)の社員でした。彼も自転車競技選手であり、曲乗りも得意としていました。
自転車曲乗りの流行のはじまりは、明治33年6月にパリの大博覧会に向かう途中に来日したアメリカのシッ ド・ブラック一座の興行からのようです。同一座は回向院や三崎町の東京座などで二週間ほど興行し、大盛況を博しました。この一座の興行にもボーンが一役買っていました。日本の自転車曲乗りのはじまりはどうやらこのボーンとシッ ド・ブラック一座の影響と思われます。
明治34年4月1日発行の雑誌「自転車」に読者が部門別に十傑を投票で選んでいます。その投票結果が次のように掲載されています。投票は過去にこの誌上で2回行われ、今回が3回目の投票でした。部門は全部で十傑ですから10ありまして、名望家、博識家、競走家、曲乗家、旅行家、斡旋家、実験家、着実家、自転車商店、技術家となっています。
曲乗りの名人は次のような順位でした。
1位 1,560票 小林作太郎  芝浦製作所
2位 975票  鶴田勝三   芝区公園
3位 819票  岡田芳之助  大阪北区北道頓堀通
4位 654票  山崎健之極  京橋区八官町
5位 573票  池田 勗   大阪市本町一丁目
6位 348票  梅津元晴   牛込区若松町
以下略
この投票結果をみるかぎり、どうやら自転車曲乗りの名人は小林作太郎であることが分かります。それでも鶴田はやはり2位に入っています。もちろん競走家の1位は892票を集めた鶴田勝三でした。
以下十傑に決まった人々をあげてみますと、伊東琴三(名望家)、梅津元晴(博識家)、鶴田勝三(競走家)、小林作太郎(曲乗家)、那珂通世(旅行家)、小池菊次郎(斡旋家)、北村友吉(実験家)、小柳津要人(着実家)、四七商店(自転車商店)、梶野商店(技術家)以上です。
やはりそうそうたる顔ぶれが選ばれています。伊東琴三、北村友吉、小池菊次郎は帝国輪友会の古参会員です。梅津元晴は陸軍歩兵大尉で『自転車指針』(明治35年11月1日厚生堂発行)の著者でもあります。小林作太郎は芝浦製作所(現・東芝)の工場長です。那珂通世(なかみちよ)は歴史学者(東洋史)です。小柳津要人(おやいずかなめ)は丸善社長で翻訳家です。