2012年12月15日土曜日

最後の将軍

 最近、最後の将軍 徳川慶喜 (文春文庫-1974.6.25) 司馬 遼太郎を読みました。
たった1行ですが、自転車の記述がありました。
231ページに、

諸事新奇なものがすきな慶喜が自転車などを乗りまわしてときどき町にあらわれるのをみて、旧幕臣たちはひそかに怨み、
ー貴人、情を知らず。

と、ありました。
 徳川慶喜については、人によっていろいろと評価が別れますが、単に自転車関係に限って言えば、見過ごせない歴史的事実があります。おそらく、日本の地で、ダルマ型自転車に乗った最初の人物ではないかと思われるからです。

モールトン博士

 アレックス・モールトン博士が、12月9日に亡くなりました。92歳でした。
 私とモールトン自転車の出会いは、岩波書店発行の「発明の源泉 」(1968年、J・ジェークス、D・ソーヤーズ他/星野芳郎他訳)でした。
 1983年に発売されたAMシリーズのAM2が欲しくなり、当時、モールトン自転車を扱っていたダイナベクター株式会社にカタロウグの請求をしました。しかし、価格の面で折合わず、購入を断念しました。
 その後、友人がこのAM2を入手し、試乗させてもらいました。思ったとおりの素晴らしい自転車でした。買わなかったことを後悔しました。他のシリーズが後にたくさん登場しましたが、どれも興味をひくものではありませんでした。いまでもAM2が一番だと思っています。

2012年10月9日火曜日

ナンバープレート

 東京都自転車対策懇談会は9月10日、自転車のナンバープレート表示や購入時のデポジット(預け金)制度の導入を求める提言をまとめました。
 はたして、その効果は?また税金の無駄遣いにならなければよいのですが。それよりも自転車が安心して走ることができる自転車専用道の整備を優先すべきだと思います。

自転車の歴史展

富山県交通公園・交通安全博物館では、11月中に自転車の歴史展を開催の予定とのことです。

(公財)富山県交通安全協会 富山県交通公園・交通安全博物館
〒931-8562
富山市高島62番地1
TEL・FAX:076-451-9300

2012年7月12日木曜日

ヴァンダラー

 日本では、相変わらずドイツ車の人気が高い、特に数年前からはアウディの自動車を多く目にするようになりました。隣近所でもアウディがありますし、私の友人もワーゲンからアウディに乗り換えています。
 アウディは、1932年にアウディ、DKW、ホルヒ、ヴァンダラーの4社が合併してできた会社です。アウディのマークである四つの輪「フォーリングス」は、この4社を表しています。

 上の写真は「ドイツ・ジャパン・ポスト」という日本で発行された新聞で、Wanderer(ヴァンダラー)の広告が出ています。日付は、1906年6月2日(明治39年)です。
「ドイツ・ジャパン・ポスト」(Deutsche Japan-Post)は、1902年に創刊、日独郵報社から発行されたドイツ語の週刊紙です。

 このヴァンダラーの広告は、ドイツの自転車らしく、シャフト。ドライブ車です。ヴァンダラーは、1886年にドイツ東部のケムニッツで創業した会社で、自転車の他にも、ミシン、バイク、自動車などを製造していました。
 下の写真は、ヴァンダラーの創業者であるヨハン·バプティスト・ヴィンクルホーファーとリチャード·アドルフ・ジェニック(Johann Baptist Winklhofer und Richard Adolf Jaenicke)です。

資料提供:松島靖幸氏

2012年6月27日水曜日

1895年のJWM紙


 ジャパン・ウィークリー・メイルの1895年12月14日号と1896年5月16日号に、自転車レースの記事が掲載されています。
 横浜のクリケットグランドでYC&AC(ヨコハマクリケット&アスレチッククラブ)が主催したレースです。
資料提供:松島靖幸氏

ヒストリアちがさき

2012年3月発行の「ヒストリアちがさき」第4号(茅ヶ崎市史編集員会編)に、「石上巡査日記から判明した日本最古の自転車ロードレース」谷田貝一男著が掲載されています。

 この自転車レースについては、昨年の9月23日~10月2日まで開催された「貞奴とその時代の自転車展」でも取り上げられました。
以下の当ブログ参照
2011年7月24日貞奴と自転車
2011年8月20日初期の自転車レース

2012年6月20日水曜日

ロスト・サイクリスト

デビッド・ハーリヒイの本、ロスト・サイクリストの概要は、下記のYouTubeで見ることが出来ます。箱根の石畳道や鎌倉の大仏の写真も出てきます。

http://www.youtube.com/watch?v=L4OcbymqwF8

http://www.youtube.com/watch?v=2u5-c6a2B4M

2012年6月19日火曜日

ニューマチックタイヤが勝利

 この資料は、ジャパン・ウイークリー・メイル紙の1893年2月11日付けのものす。
ニューマチックタイヤを装着したランブラーと旧タイプのファシルが競走し、ランブラーの方が速かったとあります。選手の力量もあるでしょうが、当然の結果のように思われます。ニューマチックタイヤの宣伝なのでしょう。
 ファシルとは、下図のような自転車です。
 イギリスのジョン·ビールが、1878年1月25日に特許取得し、その後、エリス·アンド·カンパニーによって製造されました。

資料提供:松島靖幸氏

フランク・レンズ

 この写真は、フランク・レンズが箱根の石畳道を人夫を使って、登る様子を撮影したものです。
 彼は、自転車世界一周旅行で、日本にも立ち寄り、1892年に横浜から長崎までサイクリングしています。
 デビッド・ハーリヒイの本、ロスト・サイクリストには、この写真の他に、鎌倉の大仏や東海道の松並木、岩国の錦帯橋などがあります。
 
資料提供:松島靖幸氏

2012年6月12日火曜日

大正期の自転車卸売業界

自転車文化センターの学芸員の谷田貝さんが、小論文を発表。概要は下記のとおりです。いま希望者に抜刷を無料配布しています。

「大正期の自転車卸売業界」 谷田貝一男
交通史研究 第77号   交通史学会
[要旨]
自転車の普及は大正期の卸売業界による販売から始まったので、普及状況を知るためには卸売業者の経営状況、販売状況を知る必要がある。このために卸売業者が小売業者に対して行った販売促進のための福引開催状況を通じてこれらを明らかにかにした。

福引開催は個人経営の卸売業者に販売促進効果をもたらし、店舗数の増加につながった。また関東大震災後も経営が存続した割合が高かった。大手卸売業者は関東大震災後を中心に開催したが、効果のある結果を生んだ。

一方小売業者も営業を行うに当たって必要となるものが景品として獲得できるという利点があった。

[全文を掲載した抜刷をご希望の方]
自転車文化センターにご来館の場合
情報室カウンターにて無料で差し上げます

郵送を希望される場合
送付先の郵便番号・住所・氏名(または会社名・機関名等)をご記入した用紙と郵送用として120円切手を同封され、封書の表に「抜刷希望」とお書き添えされて下記までお申し込み下さい。
(個人情報は抜刷郵送のみに使用し、他の目的では使用いたしません。)
〒10 2-0091
東京都千代田区北の丸公園2-1 科学技術館内  自転車文化センター

消防自転車

 最近フェイスブックに投稿された消防自転車の写真です。以前に何処かで見たような自転車です。

2012年5月3日木曜日

資料の追加

日本自転車史研究会のHPを一部更新しました。
資料年表に下記を追加しました。

2012年4月28日土曜日

素材にこだわった自転車展

自転車文化センターでは、4月14日から「素材にこだわった自転車展」を開催中です。
 会場に展示されている自転車の一つに、ジュラルミンでつくられた岡本自転車のノーリツ号がありますが、この自転車は、昭和22年に製造されました。以前、実際に乗車した経験がありますが、フロントフォークの強度不足を感じました。当時も腐食等による折損事故が多く発生したようです。
 フレームの素材として、鉄、アルミニウム合金、クローム・モリブデン、マンガン・モリブデン、チタン、カーボン、竹、セラミックス、グラスファイバー強化ポリアミドなどがあります。

 写真は、アメリカ製のオールド・ヒッコリー(1892年)です。
 ヒッコリー(hickory)は、クルミ科の落葉高木で、スキー板や器具の取っ手などにも利用されました。

”素材にこだわった自転車展”
 平成24年4月14日(土)~平成24年6月17日(日)
 午前9時30分~午後4時50分(入館は午後4時まで)

〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園2−1
科学技術館2階 自転車文化センター情報室

2012年4月25日水曜日

女子競輪復活

今年の7月1日から平塚競輪場を皮切りに女子競輪が開催されます。
 女子競輪は、1949年から実施されていましたが、その後、人気が低迷し、1964年に廃止となりました。
 当時の代表的な選手として、奈良県出身の田中和子や神奈川県の渋谷小夜子、山口県の畑田美千代などがいました。最盛期の1952年には、669名もの女性選手が登録されていました。

 このほど女子競輪の名称は「ガールズケイリン」と呼ばれ、正式にスタートすることになりました。競輪の低迷が続いている昨今、これを機に、競輪の再生につながればと思います。

2012年4月22日日曜日

自転車文化センター研究報告書

このたび財団法人日本自転車普及協会では、「自転車文化センター研究報告書」の第4号を発行しました。
内容は、
自転車と歩行者の共存を探るための研究・・・・・・・谷田貝一男
日本における自転車の交通安全対策の変遷・・・・・谷田貝一男
皇居周辺における歩行者とランナーとサイクリストとの関係について・・・・・・・・・・村山吾郎
などです。

2012年4月11日水曜日

美しき自転車乗り

シドニー・パジット画

 4月4日付けの神奈川新聞にコナン・ドイルの関連の記事がありました。「ホームズの世界を旅しよう ビクトリア朝の世相や文化」と題し、田中喜芳氏が書いています。
 田中氏は、シャーロック・ホームズの研究者として知られ、同時代のイラストも数多く描いています。
 美しき自転車乗りの原題は"The Adventure of the Solitary Cyclist" (孤独なサイクリストの冒険)で、シリーズ「シャーロック·ホームズの帰還」の中にあります。1903年に発行されました。
 1984年に英国グラナダ・テレビが制作したジェレミー・ブレット主演のテレビドラマ(日本ではNHKが翌年に放送)は、人気がありました。

2012年3月28日水曜日

カービーの記事

先のカービーの記事、松島さんから次のような訳文がメールで届きました。

ジャパンメールの編集者へ
拝啓、近頃試みられた東京発の自転車旅行に関し土曜日発行号にて貴社の大阪特派員の報告書を訂正させて下さい。二人ではなく三人の紳士が自転車旅行を完走していて三人目がMr.Kirbyです。更に他の一行は余力は充分でしたが重要な事情により東京へ戻ることを余儀なくされました。彼ら頑健な自転車乗りの名誉のために間違いのないように訂正させて下さい。

これも陸船車?

先般、司馬遼太郎の「酔って候」(文春文庫)を読んでいましたら、ちょっと気になる文章がありました。

225ページに、
「旦那は、その箱をしさいに見た。高さ二尺五寸、横一尺、深さ七寸ほどの箱で、箱には車輪が四つついていた。箱の内部には轆轤から着想した大小の歯車がいくつかついている。その中の心棒を一回転させると、車輪が三回転するという仕掛けで、旦那がこころみに心棒のはしをつまんでまわすと、歯車がさあっと走り出した。」

 宇和島藩でも黒船をつくろうということになり、城下の裡町四丁目、平兵衛店という裏借家に住む平人の嘉蔵に長者の清家市郎左衛門から話が持ち込まれたのでした。そこで、何でも器用に作る嘉蔵が黒船を動かす模型のような動力を製作したのです。嘉永七年(安政元年・1854年)頃の話のようです。

 これも陸船車の一つのように思われました。

2012年3月22日木曜日

Lucien Van Impe

Lucien Van Impe 1976年(YouTube)

 最近、YouTubeで、過去のツール映像を見ています。特に当時関心のあった選手は、ベルギーのルシアン・ファンインプでした。彼は、小柄ながらキング・オブ・マウンテンとも称され、ツールで6回山岳賞を受賞し、ジロ・デ・イタリアでも2回山岳賞を獲得しています。まさに山登りのスペシャリストでした。1976年のツールでは念願の総合優勝も果たしました。当時はエディ・メルクスやベルナール・テヴネなど強豪選手が大勢いました。そのような選手のなかで、彼の実績はすばらしいものでした。

2012年3月21日水曜日

Mr.R.J.Kirby


 これは、The Japan Weekly Mail、April 23, 1892(ジャパン・ウィークリー・メイル紙 明治25年4月23日)の記事です。
 カービー( Mr.R.J.Kirby)とは、東海道をサイクリングした人物です。彼は、大倉組のお雇い外国人で、当時の自転車通として本国のイギリスと日本で知られていました。

次の国内各紙にも時々登場してます。

1892年(明治25年)6月8日 東京日々新聞
英人キルベ、東京~広島間を自転車で往復
内外用達会社雇い英国人リチャード・キルベ氏はこのほど一輌の自転車にて広島まで往復五百里の旅行をなせり氏は英国にても自転車に名ある人なりという

1893年(明治26年)4月6日 横浜貿易新聞 自転車速力を汽車と争ふ 大倉組の雇英人カービー

1893年(明治26年)4月16日 東京日々新聞 カービーの自転車旅行

 リチャード・キルベとも書いてありますが、これは、Kirbyをキルベと発音したようです。

資料提供:松島靖幸氏

2012年3月14日水曜日

深谷産業

先般、友人の片野自転車店の店主からお借りした「㈱深谷産業100年のあゆみ」(平成23年8月発行)を読みました。
 深谷と言えばエディ・メルクス(日本総代理店)とブランドの月星号が有名です。