2021年4月30日金曜日

小田原の自転車商④

小田原の自転車商④

これも小田原商工名鑑より書き写す。
先の名鑑と発行年は前後するが、参考までに載せる。

小田原商工名鑑 1962年版 昭和37年3月31日発行
小田原市役所、小田原商工会議所編

 5,軽自動車及部品

小沢モータ - サイクル 小沢 薫 緑 1-45

山口自転車神奈川販売㈱ 緑1-105

(株)鈴作商店 緑2-118

 鈴甲本店 緑2-133

山本自転車 緑3-272

㈲小野自転車店 緑3-336

長崎自転車店 緑3-351

㈲小野商店 緑3-380

岡本自転車店 岡本吉次郎 新玉1-66

蓑宮自転車店 新玉1-139

越水自転車商会 新玉1-174

鈴木自転車店 鈴木信三郎 新玉2-390

岩瀬自転車店 岩瀬寿治 新玉3-441

㈲清光自動車商会 新玉3—443

遠藤自転車店 新玉3—496

小林モータース 小林金作 万年4-563

太田転車店 太田サョ 幸1-9

橋本自転車店 橋本栄一 幸1-215

杉本自転車店 杉本富美江 幸1-229

瀬戸自転車店 瀬戸幾三 幸2-269

野地サイクル 野地好幸 十字2-518

岡本自転車店 岡本 博 中島79

塩田自転車店 塩田修二 荻窪117

遠藤自転車店 遠藤作三 荻窪250

佐藤自転車店 佐藤勝美 池上8

中島自転車店 中島裕蔵 井細田112

小砂自転車店 多古7

荒井輪業商会 多古123

木村自転車店 多古341

坪井自転車店 蓮正寺250

池田自転車店 池田勘蔵 堀之内193

越水自転車店 越水マ代吉 板橋155

浦井自転車店 浦井和夫 南板橋1-77

大沢自転車店 大沢富太郎 風祭43

山崎自転車店 山崎忠良 入生田182

鈴木自転車店  鈴木辰五郎 早川81

ツユキサイクル店 露木利男 早川191

山王小型自動車商会㈲ 渋谷芳郎 山王原363

小松自転車店 小松春吉 山王原365

鈴木自転車店 鈴木喜一 山王原383

飯山自転車店 鴨宮26

竹村自転車店 竹村利久 鴨宮680

古木自転車店 古木タツ 飯泉788

上条自転車店 上条健治 中里404

中堀屋 机野正左世 成田442

片山自転車店 片山文治 栢山2648

星野自転車店 星野義秋 曽我谷津638

㈲杉崎商店 曽我原559

寺田自転車店 寺田正男 曽我別所797

鈴木自転車店 鈴木仲治 小八幡201

大川自転車店 大川六三郎 国府津1347

石田自転車店 石田喜三郎 国府津1389

内田自転車店 国府津1489

㈲鈴木商会 酒匂148

杉井自転車店 杉井登志男 酒匂504

小田原商工名鑑 1970年版 昭和37年3月31日発行
小田原市役所、小田原商工会議所編 101頁、102頁


自転車関係資料⑨

 自転車関係資料⑨

下の資料はチラシの切り抜きのようである。
はじめは新聞の広告と思ったが裏側に何も記事がないところをみると、そうではない。
いつごろのものかもよくわからないが、広告の内容からして大正初期と思われる。
更に広告主である森野自転車商店について、当時の名鑑を調べてみると、

大正5年の日本輪界名鑑と大正14年の日本輪界興信名鑑には載っているが、明治44年の帝国輪商案内には出ていない。

これらから類推しても大正初期であることは間違いない。

ところでこの資料、今日たまたま取り出したら劣化が更に進み、ビリビリと切れてしまった。そこでとりあえずコピー用紙に張り付ける。
偶々以前この資料を撮影した写真があるのでそれも下に載せる。

 この広告にあるラーヂ自転車のメーカーは、ラッヂ・ホイットワース社(Rudge- Whitworth Cycles)で、1894年10月9日にラッヂとホイットワース社が合併したイギリスの自転車メーカーである。

 日米商店との直輸入販売契約は、1906年(明治39)1月に締結され、それ以来、日米商店の主力販売銘柄になる。もともと日米商店は、その会社名でも分かるとおり、米国製品の輸入販売から始まっている。

日米商店略歴(明治期のみ)

1899年(明治32)11月、創業者の岡崎久次郎は、店名を日米商店として、京橋区竹河岸で米国製懐中電灯の輸入販売を始める。

1903年(明治36)3月に、本店を京橋から銀座三丁目九番地に移転。

同年4月2日付け時事新報に祝博覧会開設非常大割引、写真器及び自転車界へ大突貫 日米商店として広告を載せる。

同年4月5日付けの毎日新聞にも同様の広告を載せる。

同年8月14日発行の日米商店商品目録に取り扱い銘柄車として、スターリング、ウルフアメリカン、スタンホード、アメリカンを掲載。

1904年(明治37)8月23日付け東京朝日新聞に、陸軍御用スターリング自転車の広告 東京銀座三丁目 日米商店とある。

1905年(明治38)4月大阪東区大川町に大阪支店を開店。

同年9月28日付け時事新報の広告に、1905年最新形スターリング自転車とある。

1906年(明治39)1月にラッヂ・ホイットワース社とラーヂ自転車の直輸入販売契約を締結。

1907年(明治40)日米商店ラッヂ・ホイットワースのカタログを発行。

本日の状態

以前に撮影したときの状態

日本輪界名鑑 大正5年
国会図書館所蔵

日本輪界興信名鑑 大正14年
国会図書館所蔵

2021年4月29日木曜日

自轉車製造株式會社

 自轉車製造株式會社

明治36年3月10日発行の『輪友』第17号 66頁
に那珂通世博士らが関与した「自轉車製造株式會社」という組織が設立された、という記事が載っていた。

以下がその記事 
●自轉車製造株式會社の成立
紫原 和、三浦泰輔、那珂通世其他諸氏の発起に係る同會社は資本金を十五萬圓とし株式募集中なりしが頗る好況にて忽ち應募者満員となり夫々株式の割付も濟みたれば遠からず創立總會開會の運びに至るべしと云ふ

短い記事だが那珂通世らの名前があったので、目に留まる。
那珂 通世(なか みちよ、1851 -1908)は、南部藩出身の明治時代の歴史学者であり、自転車を趣味としていたことで知られている。度々この「輪友」にも登場する。

この記事にあるように自轉車製造株式會社の成立にも関与していたことは興味深い。何れにしてもただの自転車趣味人でなかったことは確かである。

三浦泰輔は、当時の実業家であり、甲武鉄道(現在は中央線の一部区間併合)の社長などにも就任している。その他の鉄道事業や食品会社、保険会社にも関係した人物である。元外務大臣の青木周蔵は、彼の実兄。

柴原 和(しばはら やわら)は、初代の千葉県令であり貴族院勅選議員などを務めている。

この自轉車製造株式會社の設立にあたり錚々たるメンバーが名をつらねていたことが分かる。

その後、この会社がどうなったかについては今後の調査が必要である。


2021年4月28日水曜日

小宮山と多田

 小宮山と多田

先般、何気なく大正14年発行の「日本輪界興信名鑑」を見ていたら、その24頁に小宮山長蔵と多田健蔵の名前が出ていた。この両名は明治後期に活躍した自転車競技選手で鶴田勝三の後継として期待された選手である。

小宮山長造は小宮山長蔵とも書かれている場合があるので、恐らく同一人物である。

東京市新材木町八 小宮山長蔵
東京市小網仲町一 多田健蔵

小宮山長造は、1907(明治40)年10月31日付け「萬朝報」に
自転車乗りの両横綱がいよいよ決戦

として、東京が小宮山長造、京都が砂田松次郎と出ている。

多田建蔵は、1907年(明治40年)の自転車長距離競走(250哩)に出場し、記録は16時間53分で優勝している。(明治40年7月2日付け横浜貿易新報)その後は、オートバイのレーサーとしても活躍し、1930年(昭和5年)には、日本人で初めてマン島TTレースにも出場している。

大正14年発行「日本輪界興信名鑑」24頁

2021年4月27日火曜日

小田原の自転車商③

小田原の自転車商③

これも下記資料から自転車商の部分のみ書き写す。

小田原商工名鑑 1976年版

9.自転車・子供乗物

荒井自転車店 荒井光雄 扇町4-8
飯山自転車店 飯山三郎 鴨宮26
池田輪店 池田晴男 堀の内193
石田自転車店 石田二郎 国府津3-1
市川自転車店 市川伍郎 會比1908
岩瀬自転車店 岩瀬寿治 浜町1-1-37
植田自転車店 植田亀太郎 堀の内170
内田モーター ス 内田三郎 小八幡1-13
浦井輪業 浦井和夫 早川 1-4-5
遠藤謙二自転車店 遠藤謙二 栄町1-17-26
遠藤商会 遠藤ハルエ 扇町1-28-28
小沢自転車店 小沢伴吉 中村原735
大川輪業 大川 清 国府津3-2
大沢サイクル店 大沢富太 風祭43
太田モータース 太田 守 本町2-1-33
岡本自転車店 岡本吉次郎 浜町4-2-19
カワシマサイタル 川島忠雄 成田67
片山自転車店 片山文次 栢山2648
川辺サイクル 川辺貞夫 酒匂2-2 
木村二輪センター 木村輝雄 多古341
小砂サイクル 小砂文二 扇町4-7-3 
越水自転車店 越水辰二 浜町1-11-32
越水輪栄社 越水己代吉 板橋155
㈲杉崎モータース 杉崎利正 曽我原559
鈴一輪業 鈴木喜一 東町3-11-16
鈴木サイクル商会 鈴木為次郎 小八幡3-15
鈴木自転車店 鈴木辰五郎 早川81
㈲鈴甲本店 鈴木甲子郎 栄町2-11-20
鈴作サイクル販売 鈴木義和 栄町3-11-1
諏訪部モーター 諏訪部種彦 鴨宮278-1
瀬戸自転車店 瀬戸幾三 本町1-10-31
㈲田中商会 田中春吉 東町2-2-3
高橋モーター 高橋昭二 酒匂1385
坪井輪業 坪井 加 運正寺250
寺田商会 寺田正男 曽我別所823
中島モータース 中島介蔵 扇町2-7-3
長崎モータース 長崎竜蔵 栄町3-9-20
野地サイクル商会 野地好幸 南町1-4-23
橋本自転車店 橋本栄ー 本町2-10-19
古木自転車店 古木タツ 飯泉788
星野サイクル 星野義秋 曽我谷津638
星野モーターサイクル店 星野達夫 扇町2-3
松村サイクル 松村昭男 寿町2-2-16
三井輪業 三井洋三 鴨宮272-11
山崎自転車店 山崎忠良 入生田182

参考資料、
小田原商工名鑑 昭和51年7月25日発行 66頁、67頁
小田原市、小田原商工会議所編

2021年4月26日月曜日

自転車関係の良書

明治36年3月10日発行の『輪友』第17号、47頁に下記の記事あり、

参考までに書き写す。

これは『輪友』の読者からの質問に輪友の記者が回答したもの、

自転車関係の良書

△自轉車に關する良書を知りたし其著書と書名と發行所を垂示を乞ふ(下總好輪生)

▲記者の知る所にては

松居松葉君著 自轉車全書 神田區南甲賀町 內外出版協會發行

梅津大尉著 自轉車指針 京橋區南伝馬町 厚生堂發行

佐藤喜四郎君 自轉車修繕法 神田區西小川町 快進社發行

尚ほ此他に博文館にも某氏の著書ありしと覚ゆ


以上である。
博文館の某氏の著書とは?
恐らく次の書籍である。 

「フートボールと自転車」三井末彦著 博文館 明治33年

「 蹴鞠と自転車」 三井末彦著 博文館 明33.12 (内外遊戯全書: 第15編)

この2冊は題名は多少異なるが内容は全く同じである。

「蹴鞠と自転車」三井末彦 著
博文館 明治33年12月発行
内外遊戯全書 :第15編
国会図書館所蔵

「自転車全書」松居松葉 (真玄) 著
内外出版社 明治35年7月発行
国会図書館所蔵


2021年4月25日日曜日

改良型ベロシペード

 改良型ベロシペード

先日、何気なくThe WheelmenのFacebookを見ていたら、下の投稿記事が目に留まった。

この資料は、
「英国のメカニックと科学のミラー」という雑誌のコピー記事で、
概略、次のような内容である。

1869年5月28日
「英国のメカニックと科学のミラー」
フランスのベロシペードの改良。
スケッチを読者諸兄に送る。
として、W.エルフという人が投稿、
フランスのベロシペードよりも、このイギリスの改良型ベロシペードの方が構造的に大きな利点がある、とのこと。
このベロシペードはイギリスのグレートサフォーク通り7番に住むピアス氏により製作されたもの。

以下に原文の記事を書きうつす。

MAY 28, 1869
ENGLISH MECHANIC AND MIRROR OF SCIENCE
IMPROVEMENT ON THE FRENCH VELOCIPEDE.

SIR-I forward for use of brother-readers a sketch of a velocipede which I consider to possess great advantages over the French two-wheeler. The cranks are 9in. long, while in the French arrangement a 6in.-crank can be used only. Again, the motions are to and from, or forward and backward, and therefore do not cramp the legs; while in the French up and down motion the thigh and knee-joint are at a more acute angle.

With my new velocipede I can go up an incline, while the Frenchman's contrivance must be pushed up. My velocipede was made by Mr. Pearce, 7, Great Suffolk street, Borough.
W. ELVEN.

ところで、次からが本題であるが、興味を引いたのは一見、錦絵の「東京日本橋風景」歌川芳虎 画(明治3年6月、1870年)に描かれている片羽自転車に何となく構造的に似ているからである。
その図を下に並べたので見て欲しい。
どうであろうか、まったく違うという人もいるかと思うが、私はかなり類似する点があると思っている。ミショー型のようなペダルクランクの駆動方式ではなく、クランクシャフト方式であるからで、錦絵の方は、正確にクランクシャフト方式かどうか判然としないが、どうみてもペダルクランク方式でないことは分かる。(ある面、カークパトリック・マクミラン式とも言えるが、この二輪のマクミランは研究者の間で否定され、既に自転車史から消える運命にある)

私は以前この錦絵の自転車を見たときに、どこかに似たような構造の自転車がないか探していたのである。他にも探せば出てくると思うが、今のところ未見である。
ただ、ハンドル部の構造がかなり異なり、片羽自転車の方は手足駆動のようにも見える。どちらかと言えば2輪のラントン式か。
それに、双方とも方向転換をする時に前輪がステーに当たるようにも思える。片羽自転車の方はハブステアリングのようである。(註、片羽自転車とは直列の二輪車のこと、当時は三輪車のことを自転車と呼んでいた。)

このクランクシャフト方式の自転車がその後、進展を見ていないところをみると、機能的に優れていたとは言えない。それは歴史が証明してくれている。

ピアスの改良型ベロシペード
1869年

「東京日本橋風景」歌川芳虎 画の中央
片羽自転車
明治3年6月、1870年

錦絵の全体 三枚続き

2021年4月24日土曜日

大正初期の写真

 大正初期の写真

下の写真は大正初期に撮影されたものである。
小田原の野地サイクル商会の初代店主であった野地孝助さんが五十嵐写真館に依頼して撮影したもの。
五十嵐写真館は明治30年創業といわれる老舗で、現在も営業を続けている。

今日、店の前にちょうど行ったので、その写真も掲載する。

孝助さんの自転車をよく見るとハンドルは当時流行したアップハンドルで、逆天返しすればレーサー仕様にもなる。通常はアップハンドルで使用し、レース時は反転させることにより、競技用自転車としても利用できる。因みに孝助さんも若い頃はアマチュア自転車競技選手であった。その写真も下に載せる。

昨日の旧小田原郵便局前を走る自転車も同じようなアップハンドルであったことを思い出して欲しい。

以前、宮田の特許資料でも紹介したが、その自轉車用自由(ハンドル、ポスト)もハンドルを天返しすれば、簡単にアップハンドルにすることができたはずである。
この特許も当時の顧客からのリクエストなどがあったのであろう。

私は逆に中学生の時に父から買ってもらった丸石の自転車のハンドルをドロップにして乗っていた。今では懐かしい思い出である。

野地サイクル商会の初代店主
野地孝助氏
写真提供:野地サイクル商会

アマチュア自転車競技選手時代
左が野地孝助氏
写真提供:野地サイクル商会

本日(2021年4月24日)撮影した
五十嵐写真館の店舗前

自轉車用自由(ハンドル、ポスト)
第一四八八九號 第四六類
出願明治四十一年七月十三日
特許明治四十一年八月十九日
東京市本所區菊川町二丁月五十二番地
宮田栄助
典拠、明治41年10月25日発行「輪界」第2号 39頁

2021年4月23日金曜日

小田原の古い絵葉書

 小田原の古い絵葉書

下の写真は当時の小田原のメインストリートである東海道の小田原城大手門近くから山王方面を写した絵葉書である。

年代は大正初期で左の立派な建物は旧小田原郵便局である。その前を自転車が1台は走っている。当時流行ったアップハンドルの自転車に乗っている。大八車も左右に1台見える。郵便局前の小さな乗り物は乳母車であろうか、不鮮明でよくわからない。左端に屯する菅笠を被った3人は人力車夫であろう。お客が来るのを待っている。

郵便局の奥の建物は昔の役場で足柄下郡役所である。

未舗装のメイン道路の中央に小田原電気鉄道が敷設した線路も見える。ちょうど電車が止まっている。ここは郡役所前の停車場のようだ。

東海道線が開通する前は国府津から箱根湯本間を結んでいた。この小田原電気鉄道は大正9年に国府津、小田原間の営業を終了している。

大正初期の絵葉書より

現在のようす

2021年4月22日木曜日

錦絵③

 錦絵③

下の錦絵は「東京開化名勝 吾妻橋」国利である。

明治21年2月1日印刷とある。刷りは思わしくないが、それなりの値段であった。かれこれ30年ほど前に入手した。赤や青の部分を見ると、どうも後から彩色したようである。

註、歌川国利(1847年 -1899年)は、明治期の浮世絵師。

自転車は達磨自転車で、印刷年からしてうなずける。

トーマス・スティーブンが来日した明治19年以降に日本でも安全型自転車が輸入されるまでの間、一時的にダルマ自転車が流行した。

「東京開化名勝 吾妻橋」国利画
明治21年2月1日印刷

これも同じ国利
「東京開化名勝 新吉原」
印刷年も明治21年2月1日
こちらは人力車が描かれている

「東京名所之内吾妻ばし風景」 国利画
明治22年(1889)  
この画は、大阪の斧氏が所蔵
右端にダルマ自転車が見える

2021年4月21日水曜日

小田原の自転車商②

 小田原の自転車商②

前回は1956年版を掲載したが、2,3疑問点もあり、今回は1970年版を載せる。

古木自転車店が飯田岡787になっていたが、この版では飯泉787に訂正されている。その他にもまだ印刷ミスがありそうだが逐次判明次第修正する。

下記の資料から自転車商のみ書き写す。

 小田原商工名鑑 1970年版 昭和45年3月31日発行

小沢モーターサイクル 小沢 薫 緑1-45 

山口自転車 神奈川販売㈱ 緑1-105

㈱鈴作商店      緑2ー118

鈴甲本店       緑2-133

山本自転車店     緑3-272

㈲小野自転車店    緑3-336

長崎自転車店     緑3-351

㈲小野商店      緑3-380

岡本自転車店 岡本吉次郎  新玉1-66

蓑宮自転車店      新玉1-139

越水自転車商会     新玉1-174

鈴木自転車店 鈴木信三郎 新玉2-390

岩観自転車店 岩瀬寿治  新玉3-441

遠藤自転車店     新玉3-496

太田自転車店 太田サヨ  幸1-9

橋本自転車店 橋本栄一 幸1-215

杉本自転車店 杉本富美江 幸1-229

瀬戸商会 瀬戸幾三 幸2-264

野地サイクル商会 野地好幸 十字2-518

岡本自転車店 岡本 博  中島79

塩田自転車店 塩田修二  荻窪117

遠藤自転車店 遠藤作三  荻窪250

佐藤自転車店 佐藤勝美  池上8

中島自転車店 中島裕蔵 井細田112

小砂自転車店      多古7

荒井輪業商会      多古123

木村自転車店      多古341

坪井自転車店      蓮正寺250

池田自転車店 池田 勘蔵 堀之内193

越水自転車店 越水巳代吉 板橋155

浦井自転車店 浦井和夫  南板橋1-77

大沢自転車店 大沢富太郎 風祭43

山崎自転車店 山崎忠良 入生田182

鈴木自転車店 鈴木辰五郎 早川81

ツユキサイクル店 露木利男 早川191

小松自転車店 小松春吉 山王原365

鈴木自転車店 鈴木喜一 山王原383

飯山自転車店      鴨宮26

竹村自転車店 竹村利久 鴨宮680

古木自転車店 古木タツ 飯泉787

上条自転車店 上条健治 中里404

中堀屋  机野正左世 成田442

片山自転車店 片山文次 栢山2648

星野自転車店 星野義秋 曽我谷津638

㈲杉崎商店       曽我原559

椎野自転車店 椎野正雄 成田442

寺田自転車店 寺田正男 曽我別所797

鈴木自転車店 鈴木仲治 小八幡201

大川自転車店 大川六三郎 国府津1347

石田自転車店 石田喜三郎 国府津1389

内田自転車店        国府津1489

㈲鈴木商会      酒匂148

杉井自転車店 杉井登志男 酒匂504


参考資料、
小田原商工名鑑 1970年版 昭和45年3月31日発行 164頁、165頁
小田原市役所、小田原商工会議所編


2021年4月20日火曜日

シンガー三輪車

 シンガー三輪車

以前(かれこれ20年前)、オランダの知人のトムさんが、画像処理により、光輝いたシンガー三輪車の写真を送ってくれた。トムさんはイギリスの博物館にもわざわざ出向き、丹念にシンガー三輪車を調査している。

私とトムさんとの交流もこのシンガー三輪車から始まった。

これ以外にも数点の画像処理した写真を送っていただいている。

今では懐かしい思い出である。

オランダのトムさん作成の
シンガー三輪車の画像

2021年4月19日月曜日

自転車関係資料⑧

 自転車関係資料⑧

下のチラシ風折り畳みカタログは、塩野製作所のもの。

年代ははっきりしないが、昭和初期ではないかと思っている。

塩野製作所もチラシに書いてある合名会社塩野自転車製造工場もあまり聞かないメーカー名である。

現在ある大阪の塩野自転車株式会社となにか関係があるのかも分からない。今後、調査が必要である。

とりあえず表側

反対側

マーツ号
このブランド名も初めて聞く名称である
トップチューブがユニークな形状になっている
運搬用で男女兼用とある

トレードマークは全部で8種
菊菱号、三菱号、合理号、ヘンリー号、ABS号
マーツ号など

2021年4月18日日曜日

Moulton Meeting 

 少し古いモールトン・ミーティングの写真が出てきたので、参考までに当時のブログ形式で載せる。

Japan Moulton Bicycle Club Meeting 

Place:Yamanakako,Yamanashi Pref., Japan

This event was held on October 31, 1999.

Mt. Fuji and Lake Yamanaka

About 70 people participated in the meeting in this year.


Jaguar and New Moulton


The beautiful beech tree that I saw to the return.

Photos taken Oct 31, 1999

by Yukio Ootsu


2021年4月17日土曜日

自転車関係資料⑦

 自転車関係資料⑦

これも「㈱丸石商会」1920年3月号、大正9年のカタログ(全142頁)である。
その一部を掲載する。

トライアンフのオートバイ(自動自転車)も載せた。

参考までに日本に初めて登場したドイツのオートバイ、ヒルデブラント&ヴォルフミュラー(Hildebrand & Wolfmüller)も下に紹介する。

表紙

目次


7頁

12頁

15頁

75頁

84頁

121頁

128頁

裏表紙

日本に初めて登場したオートバイ
明治29年1月21日付け毎日新聞

1896年(明治29年)1月19日、十文字商会の十文字信介が、ドイツのH&W(Hildebrand & Wolfmüller、ヒルデブラント&ヴォルフミュラー)を輸入し、皇居前で試運転。

1894年、ヒルデブラント&ヴォルフミュラーの図

2021年4月16日金曜日

梶野の創業年について

梶野自転車製造所の創業年について

先般からまた梶野自転車製造所の創業年について調べている。

明治12年の創業の根拠は、いまのところ店舗を撮影した写真(明治41年頃)で、その軒上に掲げられた大きな看板に明治12年創業と書いてあるのを有力な根拠としていた。さらに別な資料にも書いていないか、再度関係の一次資料を調べたところ明治25年の新聞広告に明治12年と書いてある記事を見つける。いままで何度もこの新聞広告は眺めていたが、特に注意深く見ることはなかった。

それによると、
広告の中ほどに、

小生明治12年より自転車を製造し今回は又各国新製の良部を折衷し製造する自転車は図の如くにしてスプリングフォークダイヤモンドセーフにして此形造を梶野形と唱へ・・・

とあり、ここでも明治12年と謳っている。
とりあえず2点の資料があり、自己申告のようでもあるが、この辺りで梶野の創業は明治12年と確定したい。

従来の梶野の創業年は下記のように諸説あった。

梶野仁之助の伝記、 明治10年
松本春之輔氏の話、 明治12年
横浜成功名誉鑑、 明治12年
地方輪界の歩み、 明治18年
神奈川のれん物語、 明治11年
店舗の看板写真、 明治12年

明治25年9月11日付け時事新報

註、ここに描かれている自転車は明らかに米国製のビクター号である。恐らくビクター号の製造元であるオバーマン・ホイール株式会社(1885-1900、マサチューセッツ州チコピーフォールズ)やその他の製造会社から部品を輸入し、それらを梶野がアッセンブルしたと思われる。

梶野、店舗前の写真(明治41年頃)
写真提供:松本春之輔氏

2021年4月15日木曜日

金澤の輪況

 当時、金沢は自転車が盛んであった土地柄。クラブや、はたまた自転車専門雑誌である「愛輪」も発行されていた。

下記は明治36年1月1日発行の「輪友」第15号の記事。

内容は金澤に於ける輪界小史といったところ。この記事により地方の状況がある程度把握できる。

金澤の輪況

金澤、牧野白山

 我が金澤に於ての自轉車の沿革及び現時の景況をちょっと御話致しませう。
 抑も自轉車が金澤の地へ入って来たとの人々の記憶に遺って居るのは明治二十年の頃で、或る金物商が大坂から木製の三輪車を仕入れて来て賃貸を始めたのです。其後前輪の極めて大きい後輪の又極めて小さい彼のダルマ形と称ふる自轉車が入って来て、これが一時は非常に流行を極めたが危険が多いので僅に二、三年で悉く廃れました。それから明治二十五年の頃だと覚えて居ますが、細護謨の附いた自轉車が出来ましたが碌に誰も乘る者がなく、其当時から今日に至るまでずーッと自轉車に乗って居るものは僅に三人であります。さうして漸く太護謨のはまって居る自轉車が出来ても、その今の三人と及び外国人二、三人の外乗用する者が無かったのですが、二十八、九年頃に今の空気入りの安全車といふのが輸入したので急に六、七人の乗手が殖へ、又其頃からして自轉車を修繕する店も一軒できて、其六、七人で小さな競争なども行った事もありました。
 それから三十二年になつて漸く専門の自轉車販売店が出来て、又前に記した修繕のみをして居った店も新式の安全自轉車を沢山仕入れて販売するやうに成ったので、急に自轉車は非常な発達をして大流行を見るやうに成って來て、既に福井、石川、富山三県聯合の競走会も開かれ、今では練習場の三ヶ所も設けられ専門販売店の三ヶ所もあり、又賃貸店の五、六軒もある様になつて、従つて輪客の非常な数に成りました。これが先づ雑っとした金澤の自轉車に関する沿革ですが、当時一番多く乗用せらるる自轉車は、ピアス、デートン、クリブランド、アイバージョンソン、コロンビア等であって、その他、アイドル、アイバンホウ、アルモント、リロイ等其數幾種あるか分りません、又金澤郵便電信局はウェスト、ピャレースを備へて、電報配達に使用して居るので非常に便利を與へ居ります、輪況は先づこんなものですが唯だ曲乗家とチャンピオンの少ないのは遺憾でありす。

明治37年1月1日発行「輪友」第27号の広告


以下は広告の内容

謹賀新年
全国輪友諸君の萬福を祈る
一月一日  金澤愛輪俱樂部

愛輪は石川金澤市より発行する自轉車雑誌なり
愛輪は金澤愛輪俱樂部の機關雑誌なり
愛輪は普く輪界の記事を網羅せる雑誌なり
愛輪は毎號美麗なる寫眞版數葉を挿入せり
愛輪は毎號懸賞俳句の募集あり
愛輪は明治三十六年十二月十日 第二號を発刊せり
愛輪は一部定價金八銭 十部前金七十銭なり
石川縣金澤市下近江町四十九番地
発行所 金澤愛輪俱樂部雑誌部

明治37年1月1日発行「輪友」第27号

2021年4月14日水曜日

自転車関係資料⑥

 自転車関係資料⑥

下の資料は1918年7月号発行「㈱丸石商会」大正7年のカタログ(全142頁)のその極一部である。
既に当然ながらオートバイ(自動自転車)が登場している。
何かの参考にはなると思う。

略歴
石川商会
1894年(明治27年) - 石川賢治、貿易商石川商会創業。
1900年(明治33年) - 横浜本店を新築。
1903年(明治36年) - 横浜のボーン商会が輸入したオートバイ「ミッチェル」を販売。
1906年(明治39年) - トライアンフ製オートバイを輸入販売。
1909年(明治42年) - 社主の病気などにより会社解散。

丸石商会
1909年(明治42年) - 石川商会の元社員たちにより丸石商会を創業。
1910年(明治43年) - 本店を旧石川商店本館に移転。
1918年(大正7年) - 株式会社丸石商会とする。
1933年(昭和8年) - 国益チエン株式会社を宮田、アラヤ、丸石の出資により設立。
2004年(平成16年)- 丸石自転車株式会社、倒産。

表紙

裏表紙

英国自転車斥候隊

目次

12頁及び13頁

18頁及び19頁

62頁及び63頁

72頁及び73頁

96頁及び97頁

142頁