外国製自転車研究報告 - 8
下の写真は、外国製自転車研究報告」日本自転車工業会 編
1950年版 より
日本自転車史研究会のブログ Copyright © Yukio Ootsu
外国製自転車研究報告 - 8
下の写真は、外国製自転車研究報告」日本自転車工業会 編
1950年版 より
外国製自転車研究報告 - 7
下の写真は、外国製自転車研究報告」日本自転車工業会 編
1950年版 より
競輪用自転車の車検
下の写真は競輪用自転車の車検のようす。
車両要塞
下の図は一見漫画のようでよく分からないが、戦闘用車両要塞である。
戦闘状態になると馬車などを壁のように囲み小規模な要塞を築いた。
この車両要塞は、1400年代にチェコのフス派が採用したとある。
フス派の偉大な指導者であったトロクノフのヤン・ジシュカは、野戦で大規模な大砲を使用した最初の人物と云われている。 彼はドイツ語でヴァーゲンブルクと呼ばれる戦闘戦術の創始者と考えられており、敵と遭遇した後、馬車を連結して正方形または円形の陣形を作ることであった。
荷車は互いに鎖で接続されており、側面にはシャフトが外側になるように配置され、必要に応じて馬を荷馬車に連結し、陣形を外して反撃を開始できるようになっていた。 各車両の兵士は、クロスボウ、弓、パイク(槍の一種)、巨大な盾などに加えて、小型火器や軽火器を装備していた。
巨大な四輪人力自走車
下の写真は、ホルツシューバーの巨大な乗り物である。 (1588年)
駆動方法はよく分からないが、それにしても大きい。
ライダーを含め9人乗りのようである。
実際に製造され走行したのか、単なる創造的な図で終わったのかは不明。
山車の一種かも知れない。1516 年の木版画にあるマクシミリアン1世のパレード用車両を思い出す。
M.リチャードの四輪車
1690年、フランス・ロシェルの医師 M.リチャードは、馭者と後方に乗る従僕(Footman)の足踏み式二人乗り四輪車を製作。DR. RICHARD'S HORSELESS CARRIAGE (1690).
下の駆動部、図2の説明に、
AA は、車軸 BB によって互いに接続された2つの後輪で、車軸上には2つの歯車CC があり、CCの外側には2つの曲がったアームDD があり、中心と同様に車軸上で自由に動く。肘継手の部分には戻り止めの歯がある。
取り付けられたコードは、踏み板EE が上昇または下降するときに、踏み板の端に結び付けられたコードFFによって交互に車輪CCの歯を捕らえ、滑車 G の上を通過する。それはキャリッジの後部にあり、その軸上で自由に動く。 一方の踏み板が足の重みで押し下げられると、もう一方の踏み板が上がる。 ペダルと肘継手にかかる人の体重により、車輪Cが回転し、それに伴って車軸と動輪 A が回転する。この動作が繰り返されることで、台車はゆっくりと走行する。
神奈川縣自轉車商業協同組合
下の写真は、昭和31年の
神奈川縣自轉車商業協同組合 第一回会計担当者打合会
参加者の集合写真
輪業世界 - 2
「輪業世界」第40号 大正10年6月15日発行
に以下のような石川賢治の記事があったので、紹介する。
この記事から彼の倹しい意外な一面を知ることが出来る。
或いは記者の創作も一部含まれているか。
私の観た石川賢治氏 光輪生
▼思出日記の一
石川賢治氏は輸入輪業者の覇王と稱せ られた、米國製ビアス輸入元橫濱石川商会主であつて、現丸石商會の専務取締役たる山口佐助氏や、同會取締役深見實氏、同本尾多嘉助氏等の舊主なり舊師なりであることは諸君も御承知であらう、
氏が自轉車の輸入を掌どらるるに至つ た動機に就ては他日詳細に報導する機もあるが、先づ私が始めて横濱の石川商會を訪問した時の感動を一寸茲に御紹介して見やう、夫れは今から十五六年前の二月の初旬であつた、三等列車に乗って神奈川驛に停まると、私の隣りに腰を下した田舎の親爺があつた、其頃ハイカラの最も卑しんだ二十錢位の綿フランの襟卷を無造作に頸に巻いて十錢位の山桐の下駄を穿き、木綿竪縞の和服を着て角帯を締めて居た、丁度朝の十時頃次驛の橫濱(今の桜木町)に着いたので、私は例の鐵の橋の彼方に聳ゆる屋上の自轉車を目標としてコッコッ歩いてゆくと、其親爺さんも後とからついて来る、妙な人だなと思ひ乍ら丸石商會に這入つてゆくと其先生も亦た這入る、ハハア此人は商會の小使さんだらうと思って居た、夫れから山口さんや深見さんに会って色々お話をして居ると、先刻の小使が出て来た、山口さんが「恰度好いから主人を御紹介しませう」と仰しゃるのでゼヒお願ひします・・・・・・」と澄して居たら、「是れが石川さんです……」と前の小使さんを紹介されたので、私はハッと思つた拍子に暫くは口が塞がらなかつた、是れは實際の事である、其次にお茶を運んで来たお婆さんは傭ひ婆さん位ゐに思って平気で頭も下けずに居たら、夫れが石川氏の奥さんであると紹介されてコレはコレはと二度吃驚したが、実に輪業者として偉大な成功をした人として石川氏程の質素な、而も高潔な人格者は無いと今日に及んで切實に痛感せしめられる。
輪業世界 - 1
「輪業世界」第40号 大正10年6月15日発行
編集者の緒言
誠心誠意那邊に在る歟
世に誠心誠意を有する人の鮮なきは恰も暁天の星の如きものである、と古人も謂つて居るが、戦後我邦の人心に就て見るに其弊一層甚だしきを感ずるは慨嘆の極みである、一二の例を舉げても首都の府尹にして不正の疑ひを受け、一長官にして亦不義の富に眩惑した者もあり、夫は妻に對し 妻は夫に對し、親は子に對し、子は親に對し、主は従に對し、従は主に對 し、師は子に對し、子は師に對し、友は友に對して果して誠意の一貫せるものありや・・・・
主幹 清水 卓
註、自転車とオートバイの専門誌としては、当時の時代背景を強く感じる清水主幹の第40号の緒言である。
軽合金の自転車
「軽合金の自転車への利用」鳥山研究所 鳥山新一
日本サイクリングクラブ、1955年発行
外国製自転車研究報告 - 5
下の写真は、
「外国製自転車研究報告」日本自転車工業会 編
関連の蔵書である。
残念ながら1952年版が欠。1951年は2冊ある。
陸奔舟車関係 - 2
以前に発行された「バイシクル・デザイン」(BICYCLE DESIGN、2016年発行)と「自転車の進化」(Evolution des Fahrrads、2021年発行)の記述で陸奔舟車の部分を比較すると、どういう訳かその一部が変更されていて、「自転車の進化」の方では久平次の「陸奔舟車」が「陸舟奔車」に変わっている。何故か?
「陸奔舟車」の方が正しいのだが。
Evolution des Fahrrads (Technik im Wandel) 2021年発行
ドイツ語版 Hans-Erhard Lessing 、Tony Hadland 共著
Abb. 1.2 Hiraishi's Riku-Shu Hon-sha (impulsives Landboot) und sein Pedalantrieb (Shiga State Library; Rekonstruktion von Kazusuke Koike)
図 1.2 平石の陸舟奔車(自走陸上ボート)とその足漕ぎ装置(滋賀県立図書館:小池一介 復元)
Bicycle Design: An Illustrated History 2016発行
Tony Hadland、Hans-Erhard Lessing 共著
Figure 1.2 Hisashi's Riku-Hon-Sesya (impulsive land boat) and its pedal drive unit (Shiga State Library; photo and reconstructions by Kazusuke Koike).
図 1.2 平石の陸奔舟車 (自走陸上ボート) とそのペダル駆動装置 (滋賀県立図書館、写真と復元: 小池一介)
外国製自転車研究報告 - 4
下の写真は、
「外国製自転車研究報告」日本自転車工業会 編 1953年発行 より
ビクトリア・ワークス
ビクトリア・ワークス(Victoria-Werke A.-G. Nürnberg)
ドイツのニュルンベルクに拠点を置いていた会社。
業種: ハイホイール、自転車、オートバイ、自動車。
ヴィクトリア・ワークスは、1886 年に「Velocipedfabrik Frankenburger & Ottenstein」として設立され、1958 年にツヴァイラード組合の一部となり、1968 年にHercules に引き継がれて終了した。
この会社はニュルンベルクのオートバイ産業のさきがけでもあった。
外国製自転車研究報告 - 3
下の写真は、
「外国製自転車研究報告」日本自転車工業会 編 1952年発行 より
外国製自転車研究報告 - 2
下の写真は、
「外国製自転車研究報告」日本自転車工業会 編 1951年発行 より
外国製自転車研究報告 - 1
下の写真は、
「外国製自転車研究報告」日本自転車工業会 編 1950年発行 より
「外国製自転車研究報告」の緒言より
10年の長きに亘る戦時期と戦後の混迷期とを通じ、荒廃した国土と乏しい資源とを踏台として、充ち溢れる人口を抱き、産業の再建と経済の自立という困難ではあるが、希望に満ちた道を辿るわが国 にとって、輸出、即ち国際収支改善のために有形無形の一切の輸出を振興することこそ、わが国をすくう唯一の途であると信ずるものであります。
かつては機械輸出額中首位にあつた自転車、平和産業としてわが国情に適した工業たり、中小企業として世界的に互換性を有する唯一の工業たる自転車、この自転車は如何にして造られるか、その理論は、その製造方法は、遺憾ながらこのような要請に応ずるための基礎資料は未だ確立されておりません。
況んや戰後の海外市場におけるわが国自転車と諸外国の自転車との比較研究による総合的な解析は殆んど行われていなかつたのであります。
この秋にあたり通商産業省通商機械局の絶大なる好意と指導とにより、昭和25年度 自転車産業振興事業中の一として日本自転車工業会に外国製自転車の性能等の研究を委託されましたことはまことに時機に適したものであると存じます。
研究報告の内容を検討して戴けば自から判明することでありますが、予期以上の成果を挙げえたことは委員諸氏、業界各位の努力および関連業界、学界の熱誠なる御支援の賜ものと深く感謝する次第であります。
なかんずく総合調査会場を提供された宮田製作所および各細目研究担当者が、人的物的負担をここ ろよく引受けられた御好意は筆紙につくしがたいものであります。とはいえこの壮挙があくまで振興費によつて基礎づけられていることを銘記しなければなりません。
今回入手の外国製自転車は英国製品のみであり、しかも殖民地向製品と観察されるふしもありますので、これをもつて英国製品の全貌を究め得たとは申しかねましょう。なお今後数年にわたる継続事業として所期の目的が達成されることを熱望するものであります。
本報告は昭和25年度外国製自転車研究事業成果の一端にとどまり、これが年度の関係上研究期間が短かかったことは誠に残念でありました。然しながらこの種資料に乏しいわが国自転車工業として未踏の分野を開拓したものといつても過言ではなく、直接間接に受けた影響は甚だ大であつて、これがやがて自転車生産技術の啓発と向上との方向を捉える契機となることを希望してやみません。
良識は良書によつて培われ、優良製品は優良技術に俟つ処が多いのであります。わが自転車工業にたづさわる諸賢が、本報告を熟読玩味し、自己の技術に不断の努力と高邁な指標とを注入し、以て品質の改良と原価切下とに思いをこらし、自転車輸出の振興に貢献されんことを願うものであります。
日本自転車工業会理事長島野庄三郎
片野自転車店 - 4
下の封筒は片野自転車店のもの。昭和30年代と思われる。
この封筒は郵趣のアイテムとも云える。
ヤマハ、サンライト、宮田の自轉車、セキナ自轉車、特約販売店
ハンス・ハウチュの自走車
下の図はハンス・ハウチュ(Hans Hautsch 1595年1月4日 - 1670年1月31日)の自走車
1649 年、ハンス・ハウチュは障がい者のための車椅子を設計した。
その後、自走式の四輪車を製作。この四輪車は自動的に動き、馬や他のものを必要としなかた。ドライバーが操作により望む方向に走ることができた。駆動方式には時計の歯車やゼンマイ技術が応用された。
片野自転車店 -3
この琺瑯看板についても以前に紹介しているが、まだ店舗内に置いてあったので、先日写真におさめた。