2024年1月31日水曜日

キングズベリーのスクター

 キングズベリーのスクター

キングズベリー (Kingsbury Scooter) 、イギリス

1919 年、キングズベリー エンジニアリング カンパニーは、ウォリック ライトを取締役会メンバーに迎え、「キングズベリー」と呼ばれるスクーターを設計した。 

その後、キングスベリー ジュニアの 2 人乗りを生産したが、これは長く続かなかった。

Kingsbury Engineering Co. は 1921年6月21日に解散した。 


キングズベリー・スクター広告
1920年

写真:アッシジのスクーターミュージアム

2024年1月30日火曜日

トーピード自転車

 トーピード自転車

トーピードワークス(Torpedo-Werke)の自転車

自転車とタイプライターのメーカー。

根拠地、フランクフルト、レーデルハイム。


トーピードワークスの資料
1911年
提供:E・パウアー氏

トーピードワークスの新聞広告
Weil-Werke GmbH の自転車と事務用機械
1908年

Torpedo-Werke AG (Weil-Werke) は、フランクフルト アム マインにあった自転車と事務用機械のメーカー。

同社は 1896 年にピーターとハインリヒ ヴァイル兄弟によって「ピーター ヴァイル & Co」として設立された。 工場はレーデルハイムの 500 平方メートルのホールで 9 人の従業員とともに始まった。 個々の部品から組み立てられた自転車は、「Weil-Räder」および「Torpedo-Räder」というブランド名で販売された。

2024年1月29日月曜日

ブレナバー自転車

 ブレナバー自転車

ドイツのライヒシュタイン兄弟会社のブレナバー(Brennabor) 自転車。


ライヒシュタイン兄弟会社のブレナバー
資料提供:E・パウアー氏

2台の新しいマシン Brennabor 3 と 7
最初のモデルはシンプルな男性用自転車として提供
2番目のモデルはより優れた男性用自転車


ライヒシュタイン兄弟のブレナバーは、ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェル ( Brandenburg an der Havel) に拠点を置いたドイツのベビーカー、自転車、自動車、オートバイのメーカー。 同社は1871年にエドゥアルド・ライヒシュタインとフランツ・ライヒシュタイン兄弟によって設立された。

最初のブレナバー自転車は 1885 年に発売された。そして、ドイツを代表する自転車メーカーの 1つになる。

ブレナバーの工場は 1945年にソ連占領軍によって接収され、清算された。

2024年1月28日日曜日

オペル関係

 オペル関係

これもオペル関係の書類。

アダム・オペル、自転車、ミシン、自動車工場。

部門: 部品と修理。

リュッセルスハイム、1904年3月25日付の書類。

オペル 40 用の歯数 38 のスプロケットは在庫なし。歯数 40 の最も近いサイズのものを提供させていただいた。

ご了承いただければ幸いです。

苦情は、以下に従って 8 日以内に提出する必要がある。


などとある。


オペル関係の書類
資料提供:E・パウアー氏

2024年1月27日土曜日

オペル社の資料

 オペル社の資料

これもオペル社の資料。

注文書、

「オペル Opel」の自転車は、1904年10月1日まで以下の価格と条件で入手可能。 

No. 50 ツーリング マシン(ダブルベルクランク付)

No. 51セミバーナー(ダブルベルコンビネーションベアリング付)

No. 52 ラグジュアリーツーリングマシン(ダブルベルコンビベアリング搭載)

No. 53 最高級ストリートレーサー(ダブルベルコンビベアリング搭載)

など。


オペル社の自転車注文書
資料提供:E・パウアー氏

2024年1月26日金曜日

オペルの資料

 オペルの資料

下の資料はオペル社の自転車関連の請求書。

アダム・オペル、リュッセルスハイム。

アダム・オペル(Adam Opel、1837年5月9日~1895年9月8日)は、ドイツの自動車会社オペルの創業者として知られている。


オペル社の請求書
1904年
資料提供:E・パウアー氏

2024年1月25日木曜日

ポストカード

 ポストカード

下の写真は1903年(明治36年)の年賀状。

フランス語で、

「日本の逓信大臣とその職員一同様、新年のご多幸をお祈り申し上げます」

とある。


自転車利用の郵便配達員
郵政博物館所蔵資料

万国郵便連合加盟25周年記念絵葉書
1902年(明治35)発行
日本自転車史研究会所蔵資料

2024年1月24日水曜日

山北駅前の風景

 山北駅前の風景

下の写真は山北駅前の風景である。

1959年(昭和34年)頃に撮影されたもの。

左端に郵便ポスト、その横には公衆電話ボックス、自転車と富士急のボンネットバスも見える。

右端の横断幕には「メートル法実施」とあり、この写真の撮影年もこれで推定できる。その下にはスクターが止まっている。このスクターは当時人気のあったラビットかシルバーピジョンのようである。


瀬戸正二氏写真集より
提供:山崎 秦氏

現在の駅前
あまり変わっていない
郵便ポストの位置は同じ
2024年1月22日撮影

山北駅前

2024年1月23日火曜日

小さな工房

 小さな工房

先日、BS日テレで「小さな村の物語 イタリア ラディコンドリア」の再放送を見る。

トスカーナ地方の小さな村の工房では、いまでも代々受け継がれて細々と仕事をしている職人がいる。

この工房は350年以上も前に建てられたとのこと。

曾祖父は木工職人、祖父と父は鍛冶職人。現在の後継者は、自転車、自動車、オートバイの修理をしている。棚や壁にある工具類も同様に祖先から受けついたもの。


BS日テレの
「小さな村の物語 イタリア ラディコンドリア」より
以下同じ

タイヤチューブの修理



2024年1月22日月曜日

サンツアー・ニュース

 サンツアー・ニュース

サンツアーの広報誌、「サンツアー・ニュース」№18 1992年1月号

2頁にアートネイチャーのCMと中野浩一の自転車パーツについての記事、


表紙

2頁

アートネイチャーのCMに、
ご存じですか、その昔ダンシングオールナイトで一世を風靡したもんたよしのりが歌う曲をバックに 中野浩一が前橋グリーンドームを疾走するCM。 
アートネイチャーのイメージキャラクターとしてローラー台にバンクに華麗な姿を揺らす、世界選手権10連覇の偉業を達成したスーパーヒーロー中野浩一。 
まさに彼の魅力を存分にあらわしたCMといえます。
さて、彼のマシンにサンツアーのパーツがアッセンブルされていることはすでにご存じだと思いますが、サンツアーファンの彼のフレームにはしっかりとサンツアーのスッテカーが貼られていることはあまり知られていません。・・・

2024年1月21日日曜日

鍛冶屋と自転車

 鍛冶屋と自転車

下の写真は箱崎自転車店(いわき市)の神棚と天井。

どう見ても鍛冶屋さんの天井を思わせる。農機具などの製作や修理をしていたのである。

神棚の上には鎌や剣そして曲尺のような金物の守り神が額に収まっている。

だいぶ前の話になるが、神奈川県の厚木にあった老舗の加藤自転車店(加藤浅次郎)を思い出す。創業は古く、創業は明治40年頃と聞いている。前の職業は鍛冶屋で鍬と鎌などの製作と修理を生業としていた。

箱崎自転車店も加藤自転車店も現在は廃業している。

箱崎自転車店の神棚と天井
写真提供:河原 正氏 1994年


天井にあるラインシャフト(Line shaft)は、昔使われていた動力伝達用の回転軸装置である。
水車などの動力源から作業場に動力を分配するためにこのようなラインシャフトが使用された。その動力は、シャフトから、ベルト、プーリー、ギアなどを介して工作機械に分配される。

2024年1月20日土曜日

ラレー自動三輪車

 ラレー自動三輪車

下はラレーの自動三輪車の写真。


クラシックモーターサイクル誌
 1987年6月号より


ノッティンガムに本拠を置くラレー社は、第一次世界大戦後、成功を収めた自転車事業をオートバイへ拡大。

この 1933 年ラレーの「モーター人力車」は、その後に続いたリライアント バンの元祖とも云われている。

2024年1月19日金曜日

ザ・チャンピオン誌

 ザ・チャンピオン誌

下の写真はオランダの「ザ・チャンピオン」誌 1887年6月号

「ザ・チャンピオン」誌は、オランダ自転車協会の会報。

ダルマ自転車の広告。


No. 1 ボールヘッド、
スポーク、中空のフォーク、ホイール、ペダルなど

2024年1月18日木曜日

登山とスキー

 登山とスキー

雑誌「登山とスキー」登山とスキー社 1941年11月号

に菅沼達太郎の記事あり。

「登山とサイクリング」 菅沼達太郎


雑誌「登山とスキー」1941年
国会図書館所蔵資料

同上


記事の一部、
山と自轉車は恐ろしく縁遠いもの様に思はれるが、考へ様によつては必ずしもさうではない。ことに、近頃の様に交通機関の混雑、と云ふよりも、成る可く交通機関を利用しないで旅行する方が國策に沿ふ時代には、自轉車所有者は、大いに其れを活用す可きであらう。休暇日数に餘裕があれば、自轉車を騙って相當遠方の山まで行き得らるゝし、一日の休暇でも、自轉車によつて目的の山の麓へ行く事は練習と、車の如何によって不可能な事でなく、むしろ興味も深く鍛錬にもなる事である。・・・

2024年1月17日水曜日

女性と富士自転車

 女性と富士自転車

「女性と富士自転車傑作写真集」日米商店総務部 編 昭和10年発行

この写真集は応募してきた1000点以上の作品から優秀な写真を選んで刊行したもの。

我国に於ける女性スポーツの躍進振りは目覚ましいものがあるが就中サイクリングの如きは最近漸く盛んとなつて来た新興戸外運動であらう。我等は多年卒先して此運動の普及化に努力を続けて来たが、自轉車の用途が実用的な運動用としての範囲から進んで広く一般文明人の「より早き足」としてその發明本来の使命に立戻ることを非常に喜ぶものである。

此運動の一端として女性と自轉車の懸賞写真を募集せる所、広く全国より一千余点の優秀なる力作を得た事は斯界の為にも写真界の為にも意義深き哩石であった。茲にその優秀作品を選んで刊行する所以である。

昭和10年12月

株式會社 日米商店

とある。

優秀作品の一部
国会図書館所蔵資料

2024年1月16日火曜日

写真新報

 写真新報

雑誌「写真新報」写真新報社 1937年8月号

この雑誌の43頁に「自転車と女」大場栄一

の記事あり。

「写真新報」1937年8月号
国会図書館所蔵資料

写真を拡大


記事の一部、
鬱陶しい梅雨もやっと終つて、愈々お待ち兼ねの夏がやって来ました。
「サアどしどしお撮りなさい」と云はんばかりに太陽は照りつけるし、海へ、山へ、と鐵道省は大童で宣傳するのですから、カメラマンたるものどうしてぢつとして居られませう。
既に大方のカメラマン諸氏は愛機をお伴に、海に山に大活躍をされてゐることと思ひます。
「水着姿も撮り飽きた」と云はれる諸氏に、夏から秋へかけての新しいモーティーフとして「自轉車と女性」の撮影をお奨め致します。・・・

2024年1月15日月曜日

第11回全日本マウンテンサイクリングin乗鞍

第11回全日本マウンテンサイクリングin乗鞍 

1996年(平成8年)8月31日(土)~9月1日(日)

資料を整理していたら下の参加者名簿などが出てきた。

いまでは懐かしい思い出になっている。

レース当日は寝不足と冷泉小屋(標高2,100m)を過ぎハイマツが現れる高度になると少し高山病のような症状が出てきて、このコースで2時間を切ることができなかった。

それでも楽しい二日間であった。


参加者名簿の表紙

参加者名簿の一部
どういうわけか名前が一字違っていた

大会パンフレット
以下同じ




当時の東京サイクリストネット(TCN)
のユニフォーム

註、東京サイクリストネット(TCN)は、1992年に設立されたサイクリングクラブで、当初はニフティサーブ(NIFTY SERVE) のパソコン通信サービスにより会員の掲示板への書き込みやオフ会などが行われた。

以下は当時の東京サイクリストネットの記事、

この程、パソコン通信のニフティサーブと東京サイクリストネットに接続しました。
これらネットの書込みの中で、 興味ある記事を、 今号から「Jtensha / Net」 と題し、紹介したいと思います。

 95-05-26 00:34:36 TCN00000 モールトニアー ジャパンが創刊されました。お待たせしました。
日本のモールトニアーの為の機関紙
「モールトニアー ジャパン」 (仮称)が恵比寿会長の手により創刊されました。・・・

日本自転車史研究会
会報「自轉車」83号
1995年7月15日発行
より

同上

2024年1月14日日曜日

琺瑯看板

 琺瑯看板 

下の写真は岡本自転車㈱のノーリツ号の琺瑯看板。

自転車の琺瑯看板は、いまでも時々ヤフオクに出品される。

註、目を引く看板である。この時代まだミニスカートは珍しい。

先の戦時色が濃厚な「写真週報」第171号  1941年( 昭和16年)6月4日号の表紙と比べ、青春と平和を謳歌している感じがする。


ノーリツ号の琺瑯看板
昭和30年頃

2024年1月13日土曜日

サン・グラフ

 サン・グラフ

下の写真は、

雑誌「サン・グラフ」 1956年(昭和31年)10月号 サン写真新聞社発行

の表紙。

註、昭和 30 年頃の自転車工場 
1955(昭和 30 年)の自転車生産台数は 1,109,000 台であったが、2年後の昭和 32 年にはその倍の 2,405,220 台に達する。生産台数の増加により、それを販売する卸や小売店も好景気にわいた時期であった。

表紙


表紙の説明
 いまの若い世代は太陽族だ 月光族だなどとPTAのおエラ方や世のお母様連のヒンシュクをかっている だがその反面 青春を清く楽しく生きようとするが如く 最近サイクリング熱が盛んだ まことに結構 大いに青春をたたえ 健全な身体を養おうではないか
 (モデルはミス銀輪の河面美佐保さん)

1956 年(昭和 31 年)11 月「スポーツ用自転車新型発表会、出品会社」 
日本自転車産業協議会
完成車メーカーでは、
1、安全自転車株式会社
2、新家工業株式会社
3、千鳥自転車株式会社
4、大日本機械工業株式会社
5、株式会社・栄興社
6、株式会社・城東輪業社
7、片倉自転車株式会社
8、株式会社・川登製作所
9、光風自転車株式会社
10、株式会社・近藤鉄商会
11、株式会社・桑原商会
12、株式会社・丸石商会
13、丸金自転車工業株式会社
14、丸都自転車株式会社
15、松下電器産業株式会社
16、三馬自転車工業株式会社
17、株式会社・宮田製作所
18、水谷輪業株式会社
19、株式会社・中村自転車工場
20、株式会社・中山太陽堂
21、日米富士自転車株式会社
22、日本スヰフト株式会社
23、日帝工業株式会社
24、株式会社・能沢製作所
25、サンスター自転車株式会社
26、株式会社・関根自転車工場
27、株式会社・沢井商会
28、株式会社・秀工舎サン号自転車工場
29、合資会社・土屋製作所
30、ツノダ自転車株式会社
31、株式会社・山口自転車工場
32、株式会社・山崎サンビー製作所
33、ゼブラ自転車株式会社
以上の 33 社がスポーツ用自転車の新車を発表している。

2024年1月12日金曜日

写真週報

写真週報

下の写真は戦時中の写真週報の表紙。

「写真週報」第171号  1941年( 昭和16年)6月4日号

目次、

天皇陛下青年学校生徒を御親閲遊ばさる

僕は海の子潮の児 静岡県焼津青年学校

私も工場に婦徳を磨く 東京亀戸淑徳女子青年学校

泥濘に戦果を追ふ 浙東作戦海軍輸送部隊

お相撲さんの軍事教練

戦友集レ工場街道突撃ツ!!

海外通信 ドイツ海軍

読者のカメラ

註、この目次にも戦時色が濃厚である。


表紙
下駄ばきにモンペ姿の女性と自転車
ヘッド部のマークが不鮮明で
メーカー名分からず

2024年1月11日木曜日

スター誌

 スター誌

雑誌「スタア」第6巻 第10号 スタア社 1938年5月15日発行

この雑誌の広告に宮田自転車が載っていた。

コバルトの初夏/エメラルドの野を切って颯爽と美しい風を呼ぶ新しい美と健康の道はこれ!

新時代の美容法「サイクリング」に就いて

とある。


宮田自転車の広告
宮田製作所東京支店
国会図書館所蔵資料

2024年1月10日水曜日

リカンベント

 リカンベント

下の写真は1990年代のリカンベントのチラシなど。


ナスカ・スター・リカンベント

ナスカの各種リカンベント
スナガ開発㈱

ベリックの各種リカンベント

ビジョン・リカンベント

リカンベントバイクの特許
1996年4月23日

2024年1月9日火曜日

サイクルギャラリー八神

 サイクルギャラリー八神

下は サイクルギャラリー八神のパンフレット

「サイクル・ギャラリー・ヤガミ」 自転車資料館

このパンフレットは資料館のオープン時(1997.1.28)の頃に作成されたもの。


表紙
提供:八神史郎氏

ポスターと歴史自転車

セーフティー車など

米車など

裏表紙