2021年5月31日月曜日

大正4年のアルバム②

 大正4年のアルバム②

今回も昨日に続き、「仙台アルバム」白崎民輔編 白崎写真所 大正4年出版である。

特に自転車とその置台に注目したい。一つのページにそれぞれ自転車置台が見える。

大正初期まで自転車にスタンドが付いていなかったことは、度々触れている。自転車自体スタンドが無かったから、この写真にあるように、店舗前には自転車置台(サイクルスタンド)が置かれていたのである。

まず①の説明から、
仙台市国分町四丁目
永楽屋商店
販売品目は、埋木細工、美術漆器、家具指物、日用雑貨、諸国銘茶 卸商
とある。
店前には人が5人ほど見える。左隅は丁稚さんのようである。中央に自転車と置台、右端に人力車も見える。自転車置台は木製のようで上に5文字見える。おそらく永楽屋商店と書いてあるはずだ。自転車3台分は置けそうである。左は梱包されている商品である。

②は、
仙台一の土産政岡豆本舗
仙台名産珍菓製造元、政岡屋総本店
仙台市元寺小路、東久邇宮殿下より、御買上の光栄を賜う
とある。
店舗前には人が11名見える。自転車は2台、大きな自転車置台が左端にある。上には政岡豆と書いてある。その左端は住所か、そして右側に丁稚さん風の子供が荷車の前にいる。荷車には「谷風餅」?と書いてある。その上の2行の字は不鮮明でまったく判読できない。中央の人物の後ろに「かしわ餅」のような幟も見える。

永楽屋は、現在も営業を続けているが、政岡屋総本店は既に廃業している。

①ページの左下の写真を拡大
永楽屋商店

②右上の写真を拡大
政岡屋総本店

③全体の写真
アルバムの152頁
「仙台アルバム」白崎民輔編
白崎写真所 大正4年出版
国会図書館所蔵資料

④鉄製自転車スタンド
大正4年3月1日発行 第108号
 宮澤商報 84頁

2021年5月30日日曜日

大正4年のアルバム

 大正4年のアルバム

下の写真①は「仙台アルバム」白崎民輔編 白崎写真所 大正4年出版である。

このアルバムをめくっていたら双輪商会が出てきた。双輪商会と言えば、明治35年ごろのデートン号を思いだす。石川商会のピアスについで、頻繁に出てくるのが、デートン号である。デートン号は東京の双輪商会が当時度々雑誌などに広告を出していた。

双輪商会は明治時代の代表的な自転車選手であった鶴田勝三の兄である吉田銈次郎が慶応義塾に在学中、学生仲間とともに立ち上げた会社である。デートン号はピアス号のように独占輸入ではなかったが、鶴田選手の名声により当時一番売れた自転車であった。

この仙台の双輪商会が、その東京の双輪商会となにか関係があったのか確証はないが、おそらく何らかの提携なり関係(支店か?)があったのではと、思える。双輪商会は大阪と神戸に支店があったことは分かっている。

この「仙台アルバム」には、他にも自転車が店先に写っている写真が多数あり、今後それらも紹介したいと考えている。

いつものように若干の説明を加える。

①は、②の双輪商会の部分を拡大した店舗前の写真であるが、建屋といいズラリと並んだ自転車が素晴らしい。左側には英国のトライアンフ・モデル Hと思われる自動自転車(オートバイ)も見える。

自転車の置かれている前輪の部分を見ると、木製のような置台(サイクル・スタンド)も見える。左側の少し奥にも微かだが置いてある。モダンな建物の上の壁には双輪商会とBicycles and Sundriesと書いてある。自転車と雑貨であるが、雑貨は主に自転車関連の付属品と一般的な雑貨も販売していた。

②の右側に、仙台市大町三丁目、双輪商会
営業種目、各種自転車並びに付属品一式
山三カーバイド発売元 各種消火器
とある。

③は大正5年発行の日本輪界名鑑、142頁
大町三丁目 双輪商会、山路峯之助
自転車及びカーバイト並びに敷島焼酎販売

⑤は大正15年発行、日本輪界興信名鑑
宮田製、岡本製、付属品卸
宮城県輪業組合 組合長、山路一郎

⑥信用程度
業務盛大信用篤し、財産数十万を有す山路氏は三十に満たざる年少なれども堅実なる手腕は地方に於いて認めらる現在同業組合長たり。

この信用程度の寸評は面白い。
山路一郎は、山路峯之助の後継者で長男か?

①仙台の双輪商会

②全体の写真
「仙台アルバム」白崎民輔編 白崎写真所 大正4年出版
国会図書館所蔵資料

大正5年発行の日本輪界名鑑、142頁
国会図書館所蔵資料

④大正15年発行
日本輪界興信名鑑
国会図書館所蔵資料

⑤大正15年発行
日本輪界興信名鑑
国会図書館所蔵資料

信用程度
⑥大正15年発行
日本輪界興信名鑑
国会図書館所蔵資料

2021年5月29日土曜日

老舗さんぽ㊳

 老舗さんぽ㊳

今回の「老舗さんぽ」一気に小田原から北海道に飛ぶ。別に北海道を散歩したわけではない。

たまたま、昭和10年発行の北海道・樺太輪界興信銘鑑を眺めていたら、下の店の写真が目に留まった。それに知人が住む旭川であるからだ。

月に1回ほど、その旭川に住む知人から電話がある。別にいままで電話で自転車店のことは話題にあがったことはない。こんど電話があれば聞いてみたいと思っている。わざわざこちらから電話をすることではないので、気長に待つことにする。

この写真の店を見た後、現在はどうなっているか、その記載されている住所からGoogleストリートビューで調べたところサイクルショップ早勢が出てきた。それが下の写真である。ただこの店の住所を見ると旭川市1条4丁目であり、昭和10年の名鑑にある店の住所(旭川市4条通13丁目)と違っている。しかし、これは本店の住所であり、その下に書いてある支店の住所は旭川市一條通四丁目であり、現在の場所と一致する。本店の場所はなくなったが、どうやら支店は残ったようで、今も営業を続けている。北海道自転車軽自動車商業協同組合の名簿を見ると、「サイクルショップ早勢」と確かにある。

いづれにしても創業年は分からないが、かれこれ90年になる立派な老舗である。

下の写真を若干説明、
①は、②の店舗部分を拡大したもの。人と多数の自転車が並んでいる。オート三輪も2台見える。左のオート三輪は後ろ向きだが、微かに店名の「早勢商店」と読める。この7人は社長と従業員であろうか、そうであれば、かなり手広く営業をしていたことが分かる。建屋も立派であるし、並んでいる自転車もざっと数えると20台近く見える。この写真から早勢商店の最盛期を思わせてくれる。
建物にある看板を見ると、DUNLOP、ユアサのランプ、岡本製ノーリツ号代理店なども見える。右の隅には「土佐打」の看板も見える。隣は刃物屋だろうか。それとも早勢商店で刃物も扱っていたのか。

②北海道・樺太輪界興信銘鑑の広告、岡本製ノーリツ号のマークとユアサ・ランプ代理店と書いてある。

③は、Googleストリートビューの2019年6月撮影のもの。

④は、③の写真に工事車両が店の前にあるので、Googleストリートビューを遡り2011年9月に撮影されたものを載せた。この方が自転車店の雰囲気がよくわかる。

参考までに、
旭川市の自転車店(北海道自転車軽自動車商業協同組合の名簿より)を載せる。

■ サイクルショップ早勢 TSマーク  代表 早勢宗雄
 旭川市1条4丁目左7号

■ (株)富士商会 TSマーク  代表 權 六晟
 旭川市5条通8丁目右4号

■ はたサイクル商会 TSマーク  代表 秦 雅弘
 旭川市旭町1条9丁目  

■ 阿部自転車商会 TSマーク 代表 阿部 康夫
 旭川市春光6条4丁目1-21  

■ 土田フリー商会 TSマーク 代表 土田 義行
 旭川市4条通13丁目右1号 

■(有)斎藤自転車商会 TSマーク  代表 斎藤 孝志
 旭川市4条通14丁目1396番地  

■ サイクルショップスズキ TSマーク 代表 熱田 貫一
 旭川市末広東1条1丁目1-6  

■ はっとりスポーツ商会 TSマーク  代表 服部 好泰
 旭川市緑町16丁目  

■ 吉田輪業 TSマーク  代表 吉田 和義
 旭川市大町1条10丁目181-99  

■ サイクルハウスながなわ TSマーク  代表 長縄 好隆
 旭川市末広2条4丁目1-1  

■ 箕浦自転車商会 TSマーク 代表 箕浦 春幸
 旭川市9条通14丁目右10号  

■ イシハラサイクル TSマーク  代表 石原 大二
 旭川市神居3条11丁目1-2  

■ セフティハウスあらし TSマーク 代表 嵐 友愛
 旭川市2条3丁目左10号  

■ 和田サイクルスポーツ TSマーク  代表 和田 真宏
 旭川市南3条24丁目  

■ 森軽輪商会 TSマーク  代表 森 政志
 旭川市7条西1丁目2-5  

■ 石川輪業 TSマーク  代表 石川 健二
 旭川市宮下20丁目  

■ サイクルショップうめもと TSマーク  代表 梅本 義光
 旭川市末広5条7丁目10番14  

■ サイクルスポーツ松谷  代表 松谷 浩
 旭川市春光台2条3丁目4番10号

■(有)高砂輪業 TSマーク  代表 左高 芳則
 旭川市神居2条8丁目2-17 

■ イシハラサイクル忠和店 TSマーク  代表 石原 一治
 旭川市忠和5条5丁目1-2  

■ サイクルハウスクランカー TSマーク 代表 北山 彰
 旭川市旭神1条5丁目8-21  

■ 佐々木自転車商会 TSマーク  代表 鈴木 清敏
 旭川市永山2条21丁目2-25 

■ 森下自転車商会 TSマーク  代表 森下 博司
 旭川市永山2条20丁目10-10  

■ 前田自転車商会 TSマーク  代表 前田 謙一
 旭川市永山3条18丁目1-12  

■ サイクルオートササキ TSマーク  代表 佐々木 隆弘
 旭川市永山7条7丁目3-22  

■(有)酒井自転車商会 TSマーク 代表 酒井 栄一
 旭川市末広1条10丁目3-29  

■ サイクルショップたにぐち TSマーク 代表 谷口 茂
 旭川市東鷹栖4条3丁目  

■ オートサイクルてらだ TSマーク  代表 寺田 稔
 旭川市東光5条7丁目7-5  

■ サイクラーズ 高畑 代表 高畑 賢
 旭川市新富2条1丁目3-7  

■ サイクルショップごとう TSマーク 代表 後藤 武雄
 旭川市末広3条1丁目2-7  

■ サイクルピット 代表 越後 英克
 旭川市東光11条4丁目4-2  

①店の部分を拡大
北海道・樺太輪界興信銘鑑
国会図書館所蔵

北海道・樺太輪界興信銘鑑 昭和10年発行
国会図書館所蔵

③Googleストリートビューより
2019年6月撮影

④Googleストリートビューより
2011年9月撮影

2021年5月28日金曜日

老舗さんぽ㊲

 老舗さんぽ㊲

このところご無沙汰していた「老舗さんぽ」だが、先日いつもの自転車店で休憩していたら、初老の男性が、その店に自転車の修理に訪れた。

なんでも息子の自転車のチェーンが経年で壊れ、更にブレーキのワイヤーも切断したとのこと、その男性が修理で店内で待っていたので、声をかけてみた。

その話の中で、以前この店の南側にも自転車店があったが、現在は廃業している、とのこと。さっそく、その店のあった場所を聞いてみる。現在の地名は小田原市浜町だが、以前は新玉であった。万年はすぐ西側にある。

帰路、聞いた場所を訪ねてたが結果よくわからず出直すことにした。一応そのあたりと思われる場所の写真を何枚か撮っておいた。

5月26日、その自転車店のあった場所の探索を始めた。ちょうどその付近にいた老人に「このあたりに昔自転車屋さんがありましたが、知りませんか?」するとその老人は、私はここに越してきてまだ10年ほどだ、とのこと。それでは話にならないので、別な人にあたることにした。少し離れたところに、また老人が庭いじりをしていたので、同様に尋ねてみた。ちょっと不機嫌そうであったが、教えてくれた。店の名前は岡本自転車店で、確かに昔あったとのこと。昔と言ってもおそらく昭和40年代ではないかと推量する。

家に帰り、またいつもの名鑑を当たる。

確かに、小田原商工名鑑 1956年版と1970年版に載っていた。

岡本自転車店 岡本吉次郎  新玉1-66(現在は小田原市浜町四丁目)とある。
1976年版にも浜町四丁目で出ている。その後、廃業したようである。

下の写真がその場所である。いまは普通の住宅に変わっている。まったく自転車店の面影はない。

参考までに、町名変更の資料を載せる。

現在の町名(広報おだわら、昭和41年1月1日発行、189号)
1966年(昭和41年)4月1日実施

扇町一  六丁目(緑町)
栄町一  四丁目(幸町、緑町、大字新玉)
城内一(幸町、緑町、大字十字)
城山一  四丁目(幸町、緑町、大字十字)
仲町一 三丁目(緑町、大字新玉)
浜町一 四丁目(大字万年、大字新玉)
本町一 四丁目(幸町、大字万年、大字十字)
南町一 四丁目(幸町、大字十字)

岡本自転車店跡

2021年5月27日木曜日

任天堂の自転車

 任天堂の自転車

昨日の続き、

下の①写真の補足説明である。

実は自転車の前にあるスタンドが気になっていた。最近では駐輪場のサイクルスタンドは何処でも見かける。そしてその形状や形態は様々である。私がいつも行くスパーや図書館の駐輪場にも当然設置されている。

昨日は、この①写真にあるような自転車スタンドがないか探していたのである。先ほど各商店の当時の商報を丹念にめくっていたら、それらしきスタンドが出てきた。③がその写真である。これは大正4年発行の宮澤商報で、84頁に載っていた。この商報には次のように書いてある。新発売 店頭用(折畳ミ自在)鉄製自転車台とあり、その他口上書きもある。

価格は、生地 1台 2円50銭、黒塗り 1台 3円30銭

とあり括弧書きに(錠前ナシ)とあるが、よく見ると鎖状のものが3台分付いている。これが鍵の役割のようである。

任天堂の店の前に置かれた自転車スタンドを見ると、かなり近い形状で、スタンドの相互(右左)に置けば、3台は利用できそうである。スタンドの上には店の名前である山内任天堂と読める。その上にはマークらしきものも描かれている。不鮮明だがおそらく店の大きな看板にもある丸福(MARUFUKU)と思われる。②を参照。

下の写真の解説を少々、

①自転車の後ろ荷台には、荷物がある。荷台の大きさは、あまり横幅がない。⑤にあるような荷台と思われる。付属の皮紐により荷物を縛る。

泥除けのステーを見ると左右それぞれ2本で支えている。(後輪側も同様)最近の自転車は1本(左右で2本)が多い。

ブレーキはロッド式、ハンドルの右側にベル、丸いので回転式のようにも見える。サドルはスプリング付サドルだが、所謂ハンモック・サドルではないようだ。ヘッド部あたりにアセチレンランプが見えない。ライト・ブラケット(ランプ掛け)もなし。風切りも見当たらない。

⑥は、大正7年5月22日発行 第24号 山本タイムス 39頁、荷台が2種類とスタンド1種類出ている。①の任天堂の自転車のものと比較してほしい。

これらの資料からも任天堂の店舗前の写真は明治22年ではないことが分かると思う。更に今後もこの自転車から類推して、この店の撮影年代を特定できないまでも、近づいてみたいと考えている。どこまで大正期を遡ることが出来るかである。

取り敢えず今日の資料で大正4年まで。

①任天堂 店舗前の自転車

②丸福のマーク
任天堂の旧社屋
京都府京都市下京区鍵屋
Googleストリートビューより

③自転車スタンド
大正4年3月1日発行 第108号
 宮澤商報 84頁

④大正4年3月1日発行 第108号
 宮澤商報 101頁

⑤大正4年3月1日発行 第108号
 宮澤商報 72.73頁

⑥大正7年5月22日発行 第24号
 山本タイムス 39頁

⑦任天堂の旧社屋 1930年頃建設
今年の夏ごろにホテルとしてリニューアルオープン予定
京都府京都市下京区鍵屋
Googleストリートビューより

⑧任天堂の旧社屋側面
京都府京都市下京区鍵屋
Googleストリートビューより

2021年5月26日水曜日

創業時の写真

 創業時の写真

先般、日本にお住いの外国人の方から、日本自転車史研究会に下の写真についての照会メールが届いた。

この写真は、今や海外でも有名な任天堂の写真で、キャプションには明治22年とある。

この方は、この写真を見て、どうも明治22年ではないのではと、理由はこの写真に写っている自転車で、特に後輪のキックスタンドと荷台があることへの疑問であった。

確かによく見るとどう見ても明治22年ではありえない自転車で、おそらくは、大正期と思われる。下に自転車の拡大写真ものせたが、この写真は現在も世界中に拡散しているらしい。

私は、その方への回答として、

「この写真は大正期から昭和初期(1912年 – 1930年)だと思います。早くても明治40年(1907年~)以降です。明治22年ですと木製のダルマ自転車のはずです。」

と返信した。

今のところ私の見解では、明治22年の創業で、この建物はその時期に建築したものであり、写真は大正10年前後に撮られたものと推量する。創業年とこの写真の撮影年を分けて考える必要がある。

本当はもう少し具体的に調べて、回答しなければならなかったが、とりあえずその日のうちに回答したのである。

できれば、この後輪のキックスタンド、業界用語では両立スタンド(両足スタンドとも)であるが、いつごろから使用されるようになったのか、そして後ろの荷台も同様にいつごろからか、この辺については現在調査中である。

大正期には既に名鑑や雑誌の中の広告に両立スタンドや後の荷台も出ているが、いまは明治30年以降を中心に調べている。(明治40年以降でもよいと思う)

明治後期から大正初期の自転車を見ると、殆どがスタンドや荷台はついていない。一枚でもそのような写真やイラストがないか当時の資料を気長にめくっているところである。
出てきた時点でまた紹介したいと考えている。

一番下は以前に私が愛用していたREGの1本足センタースタンド、図の98番である。(参考まで)
このスタンドはアルミ製で軽量かつ頑丈であった。それにシンプルであり、大変気に入っていた。このスタンドが付いていた自転車は写真⑥のラレー・ロードスターであった。

①任天堂の創業時の写真
明治22年とある

② ①の自転車部分を拡大

③芝山式の両立スタンド
日本輪界興信名鑑 大正14年発行

④スタンドと後荷台の付いた自転車
日本輪界興信名鑑 大正14年発行

⑤レグのセンター1本足スタンド
ロン・キッチンのハンドブック
1970年版 76頁

⑥ラレー・ロードスター
左側で見にくいが
REGの1本足センタースタンドを取り付けた

2021年5月25日火曜日

自転車関係資料⑯

 自転車関係資料⑯

この資料は杉野商店の商報である。年代は記入がないので分からないが、内容から判断して大正初期と思われる。何れにしても既に100年は経過している。

杉野商店の創業は明治32年と古い。明治後期から大正初期には、自転車雑誌や自転車商名鑑にも度々広告を載せている。

本店の住所は、東京市神田末広町十番地

いつ頃まで営業していたかは定かではないが、昭和4年11月発行の東部日本輪界興信名鑑に末広町十 杉野半三で出ている。しかし、以前のような広告は載せていない。恐らく大正期までが、この店のピークであったのであろう。

取扱いの銘柄として、

デートン号、ケート号、イーグル号、マレー号、センリー号、トラムカー号、国民号、国一号、ミリオン号、スキー号、ポプラー号、キング号、ケンリー号、ニウポート号、ハート号、ユーセー号、オートレース号、トライアングル号など、その種類は多い。

杉野商報 3月号 表紙

杉野商報 3月号 1、2頁

杉野商報 3月号 3、4頁


裏表紙

輪業世界
大正10年1月号 第35号

帝国輪商案内
明治44年発行
国会図書館所蔵

日本輪界興信名鑑
大正14年発行
国会図書館所蔵

2021年5月24日月曜日

ガルモジ ( Galmozzi)

 ガルモジ ( Galmozzi)

先般、知人の428さんからメッセンジャーで連絡があり、イタリアのロードレーサー、ガルモジ ( Galmozzi)が、ヤフオクに出ているとの、連絡があった。

ガルモジ は、当時(1970年代後半)一番あこがれていた自転車で、どうにかして手に入れたいと考えていたが、結局その機会がなく、諦めてしまった自転車である。
当時の情熱があれば今でも購入したいところであるが、寄る年波で、いまではその意欲も減退している。
本日、再度そのヤフオクを確認したところ、まだ掲載されていた。

その商品説明に、次のように書いてある。

<商品説明>
ご覧頂きありがとうございます♪
ニワトリマークがかわいい Galmozzi の入荷です!
1960 年代末頃のフレームと思われます。
Galmozzi 自体少ないですが、小さめのサイズはさらに少ない。
ヘッドバッジがギリギリ入るサイズですね(^.^)
メッキのヘッドラグも Galmozzi ならではの造形♪
サビ等もすくなくよいコンディションを保っております。
傷はあえて修復していません。アジとして残しておきました。ヘッドバッジも同様にペイントはせずそのまま(^^)
写真ではものすごく濃い赤に見えますが、現物は朱色な感じです。
ハブは人気のラージハブ。
前後ともに、RECORD 文字刻印無しです。
サドルは IDEALE のレザー。型崩れはありませんが硬いので、 お好みの硬さ形に育ててい
ってください^^;;
フルオーバーホール済みですので、すぐに発送可能です。
発送は週末ごとの発送です。
車両のお写真は下記にたくさん掲載しておりますのでどうぞご覧下さいませ。

スペックは、
Seat tube 505 mm(c-c) / 520 mm(c-t)
Top tube 530 mm(c-c)
Stand over height 750 mm
Stem cinelli (90mm)
Handle cinelli (c-c:380mm)
Head parts Campagnolo Record
W lever Campagnolo Record
Front Derailleur Campagnolo Record
Rear Derailleur Campagnolo GRAN SPORT
BB Campagnolo Record
Crank Campagnolo Record ( 50/45t , 170mm)
Brake Caliper Universal EXTRA
Brake Lever Universal
Saddle IDEALE
Seat Post Campagnolo Record (φ27.0 mm)
Hub F/R Campagnolo Record
Free PRO COMP (5s / 14-16-18-20-22)
Rim NISI (tubular)
Pedal Campagnolo STRADA

とある。

フレームサイズは、505ミリとあるから、そうなると私のサイズではない、自分では510ミリ~520ミリが適正サイズと思っている。

以前にこのブログでも ガルモジ については触れている。
以下がその記事。

 この自転車についてS氏(shibuya氏)といろいろ話しているうちに、いつしかGalmozziの話題になる。私が1970年ごろ一番欲しかった自転車はGalmozziだったと話したところ、S氏はなぜ?と意味ありげな質問をした。私は単に視覚的にフレーム三角の角度とその全体の美しさをのべたところ、それもそうだがGiuseppe Pelaという当時の名工がフレームを製作したかどうかだという。
Giuseppe Pelaは1950年後半から1970年初頭に活躍したフレームビルダーでMerckx、Anquetil、Van Loy、Bobetなど多くのプロライダー向けのフレームを製作している。メーカーではGalmozziをはじめ、Masi、Benotto、Giosなどのフレームも製作している。
ただ彼は自分の名前をフレームには記さず、あるしるしをフレームに施しているという。それが彼が製作したしたかどうかという証であり、見る人が見ると、そのしるしで彼が製作したフレームだとわかるという。
それはどこかといえば、BB下部の4つのカットと、フォーククラウンのサイドの上部のラインとポイントの組み合わせ、同じくヘッドラグにも同様のラインとポイントが上下の部分に施されている。
たしかに同じGalmozziでもそのしるしがないものもある。
いづれにしてもそのしるしは知る人が知る含蓄のようなものであろうか。
このようなことは、だんだん知る人もいなくなり歴史から消えていくような気がする。
S氏は強調する。これからのマニアのためにもその辺の事情を書き残す必要があると。

このヤフオクの自転車にもポイントとラインの施しが、ヘッドとフォーククラウンそしてBBにはポイントが見られる。まさしく1960年代にGiuseppe Pelaがフレームを製作した自転車であることが確認できる。
当時であれば、サイズは小さくとも飛びつきたいところである。
入札価格も適正ではないかと思っている。

下の写真は当時の年賀はがきで、私がガルモジのトレードマークを見て稚拙だが作成した。
それほどあこがれていた自転車であった。

1981年元旦の年賀葉書

2021年5月23日日曜日

自転車関係資料⑮

 自転車関係資料⑮

今回の資料は1980年発行のアンドレ・ベルタン(André Bertin 1912-1994)、ミルレモ(Milremo)、シマノのカタログである。

アンドレ・ベルタンは、元プロの自転車競技選手で、主にトラック・レースで活躍した。その後は経営者となり、自転車関連の会社を起業。また、プロチームであるサイクル・ベルタン・チームのスポンサーとマネージャーも務めた。

ミルレモ(Milremo)は、伝統あるプロ・ロードレースのミラノ〜サンレモ(MILan-sanremo)からの造語で、この会社とアンドレ・ベルタンは業務提携をしていた。さらに英国のロン・キッチング(Ron Kitching)やその後、日本のシマノとも提携、自転車関連の総合的なビジネスを展開した。

①アンドレ・ベルタンのカタログ、内容は1980年6月15日現在である。

②シマノの高級コンポーネント、デュラエース EX-DD

③は、ユーレー(Huret)・アルビーなど。
変速機は、アルビーの他にもジュビリー、サクセス、ツーリング向けのドッパーや、エコーなどがあった。私は以前、ジュビリーを使用していたが、小型軽量の上に形状も良くたいへん気に入っていた。

④ カンパニョーロ(Campagnolo) ・レコード・コンポーネント

⑥は、ロン・キッチング(Ron Kitching)のハンドブック(1970年発行)とプライスリスト(1971年2月15日版)

①表紙

②シマノ・デュラエース

③ユーレー

カンパ・レコード

⑤1972年発行のカタログ

⑥ロン・キッチング(Ron Kitching)

2021年5月22日土曜日

ゼブラの自転車

 ゼブラの自転車

昨日、知人から電話があり、ある山梨県の骨董屋でゼブラの自転車を購入し、更に旧ドイツ製のアセチレンランプも入手したと、彼の友人から連絡があったとのこと、送られてきた3枚の写真を見ると、ゼブラのホクセン号であることが分かった。確かこのホクセン号は大正13年頃から昭和30年頃までゼブラが製造した自転車で、息の長いブランドであった。

写真は撮影者の許可を得ていないので、掲載することが出来ないが、自転車全体の保存状態はほぼ完璧に近い。タイヤの部分を見ると、超特級 山梨県 ゼブラ会 特選、と文字が入っている。

ヘッド部分を見ると、ホクセン号のトレードマーク、アルミの山梨県自転車登録標が巻かれている。当初この登録標は鑑札ではないかと思ったが、どうやら防犯登録標である。ヘッドの下の部分にはゼブラ製品と書いたマークも取り付けてある。

ハンドルにはベルとセル握り、ブレーキはロッド式でヘッドの部分に乾電池式の手持ちもできる携帯ランプが取り付けてある。

チェーンケースはフルカバータイプのものではなく、簡易型の半ケースである。サドルは布製のカバーがかけてあるので分からず。

参考までに

歴代のゼブラ自転車の銘柄を記すと、

ニューゼブラ号、ネロア号、NRA号、スペシャルゼブラ号、ゼブラエース号、ゼブラ号、ゼブラハイカー号、ゼブラライト号、ヒボン号、プライム号、ホクセン号、ローヤルゼブラ号、金富号、銀富号、ケーエム号、高級光富号、ニューエフエス号、ニューローマン号、ネロアプライム号、セミライト号など。

このうちゼブラ号、プライム号、ホクセン号、ヒボン号はゼブラ自転車製作所の四大銘柄であった。

参考までに、戦前の湯浅蓄電池製造株式会社の角型自転車用ニッケルランプのチラシを一番下に載せた。メーカーは分からないが、このような形のランプがゼブラ自転車に付いていた。

大正13年1月発行、「輪業世界」第68号
97頁の広告

ゼブラの四大銘柄が書いてある
「全国輪界興信名鑑」昭和12年発行
国立国会図書館所蔵資料

右上に当時の三河島工場全景
「全国輪界興信名鑑」昭和12年発行
国立国会図書館所蔵資料

ユアサの角型自転車用ランプと乾電池

2021年5月21日金曜日

バイシクリング・ニュース誌

 バイシクリング・ニュース誌

このところ外国の雑誌記事が続く。

とりあえず手持ち資料はこの辺で終わる。また出てきた段階で紹介することにする。

今回は英国の「バイシクリング・ニュース」(Bicycling News)誌である。この雑誌の表紙には創刊年が出ているのでうれしい。1876年(明治9年)とある。そしてこの号は、№1780で1939年1月26日の発行である。月刊誌では号数が合わないので、月に2回から3回の発行のようである。それにしても創刊年といい、この号数は素晴らしい。やはり英国の自転車文化はただものではない。

若干説明を加える。

①表紙、創刊が1876年と雑誌名の下に書いてある。

そして大きくダンロップタイヤの広告

②裏表紙、全面にルーカスのダイナモ・セットの広告

③英国のサドルとくればブルックスが有名だが、このページの広告はダンロップである。

ダンロップのサドルは最近でも時々見かける。おそらくブランド名を借用しているのであろう。

④コベントリー・イーグル自転車、ベイツ・タイヤ、右はスターメイ・アーチャーの内装式ハブギヤの広告。

コベントリー・イーグルは、1897年に会社名をホッチキス、メイヨー&ミークからコベントリー・イーグルに変更した。

私が初めてコベントリー・イーグルの自転車を見たのは1975年で、ロンドンのグレイズ・イン・ロードにあるコンドル・サイクル店を尋ねたときである。

以下は当時の記録、

「・・・いよいよ行動開始だ。グレイズ・イン・ロードにあるコンドル自転車店に向う。地下鉄の車輛は古く、意外に汚ない。喫煙車、禁煙車と別れているのはタバコ好きのお国柄でしょうか。
店内にオリジナル・フレームがズラリと吊下っている。ラレー、ホールズワース、コベントリー・イーグルのスポーツ車、その中に探す自転車はなかった。・・・」
(1976年、「ロンドン・ペダリング」より)

下の⑨にコンドル・サイクル店の内部の写真を載せる。(Googleストリートビューより)

当時と店の様子はまったく変わっている。私が訪ねたときは伝統的な古めかしい感じであった。(下にある⑩の写真を参照)このコンドル・サイクルは、今でもオリジナルの自転車を製作している。当時も天井に同店製作のフレームがずらりと下げられていた。

⑤のエンフィールドについて、

どちらかと言えば日本では、ロイヤル ・エンフィールドの名前のオートバイで有名である。

エンフィールド社が本格的に自転車の製造を始めたのは1897年からである。

⑥のミラーのライトは、私も一時、ラレー・ロードスターに付いていたものを使用したことがある。ライトの上部にあるツマミを左右に切り替えることによって、自動車のライトのようにロービームとハイビームに調整できた。この機能で夜間も快適に走ることが出来た。

①表紙

②裏表紙

③ダンロップ・サドルの広告

④イーグル自転車とスターメイ・アーチャーなどの広告

⑤エンフィールドの広告など

⑥ミラーの広告

⑦B.S.Aの広告

⑧ラレーの広告

⑨コンドル・サイクル店の内部
Googleストリートビューより

⑩以前の店舗
Googleストリートビューより