2023年12月31日日曜日

チェコの雑誌

 チェコの雑誌

下の写真はチェコのサイクリング誌、「サイクリング」1990年5月号

「Cyklistika」 KVĚTEN 1990

この雑誌の6頁に1970年代に活躍した憧れの名選手達の写真が載っていた。

過去数年間のツール・ド・フランス、4人の名選手
右からメルクス、テブネ、ズートメルク、ファン・インプ


表紙

目次

6頁

2023年12月30日土曜日

自動車ガイドブック

 自動車ガイドブック

自動車ガイドブック VOL.5 1958年版

この資料にも鈴木三元が載っている。前回のブログと同じく「明治自転車文化展」(昭和59年)前の年である。

以下にその部分を抜粋、

明治9年に福島県伊達郡谷地村の鈴木三元という人が木製鉄輪自転車を作っている。 

自転車の国産化はずっと後年の明治 26 年に宮田製作年によって作り出されるまでは、ほとんど輸入車によったもののようである。 

国産木製鉄輪のものは明治初年の乗物風物誌によく見ることが出来るものである。

註、宮田製作所の自転車国産化の明治26年は、適正な記述である。殆どの書籍で明治23年としている。この誤りは「宮田製作所七十年史」の引用からきている。


自動車ガイドブック VOL.5 1958年版
81頁
国会図書館所蔵資料

2023年12月29日金曜日

ストロングライト・カタログ

 ストロングライト・カタログ

下の写真はストロングライト・カタログ #25 (1980)の一部

ストロングライトは、フランスの自転車部品である。

このカタログは、1980 年に発行され、クランクセット、チェーンリング、専用工具、その他の自転車部品の製品が掲載されている。

全24 ページで、ストロングライトのすべての製品の詳細な説明、写真、技術仕様が含まれている。

同社は 1922 年に設立され、すぐにフランスの自転車部品の大手メーカーの 1 つになる。ジャック・アンクティルやベルナール・イノーなどのサイクリストによって使用された。


表紙

2頁

7頁

22頁

2023年12月28日木曜日

フェノモービル

 フェノモービル

下の写真はフェノモービルに乗る三人の令嬢

この写真は1908年(明治41年)頃のもの。

広告には、

フェノモービル(Phenomobile)は、モーターサイクルのシンプルさと維持費の低さ、快適性と効率性を兼ね備えた三輪自動車。

あらゆる重要な点で、他の自動車よりも優れている。

通常のタイプのトライカー(三輪自動車、Tricar) に比べても多くの利点がある。

フェノモービルの価格は105ギニーから。

この三輪自動車の製造所は、ロンドンのウェストキルバーンのロンズデールロードに本拠を置く会社「ニューエラモーターカンパニー(NEW ERA)」で、1908 年から 1911 年にかけて 2 つの三輪自動車モデルを製造した。


フェノモービルに乗る三人の令嬢

1908 年 6 月 10 日付け
モーターサイクル誌の広告

2023年12月27日水曜日

トルピード自転車

 トルピード自転車

下の資料はトルピード自転車の案内状。

トルピード自転車は以下の価格で販売。

男性用、№41 80マルク

女性用、№34 90マルクなど。


資料提供:E・パウアー氏

トルピード自転車
トレードマーク

トーピード・ワークス(Torpedo-Werke)

同社は 1896 年にピーターとハインリヒ・ヴァイル兄弟によって「ピーター ヴァイル & Co」として設立された。 会社はフランクフルトのレーデルハイムで 9 人の従業員とともに始まった。
個々の部品から組み立てられた自転車は、「Weil-Räder」および「Torpedo-Räder」というブランド名で販売された。

2023年12月26日火曜日

鈴木三元(すずきみつもと)

 鈴木三元(すずきみつもと)

「ふくしまの一世紀」福島民友新聞社編集局 昭和51年10月21日発行

この本を眺めていたら鈴木三元について書かれている部分があったので紹介する。

この本が出版された頃は、まだ「三元車」の認知度はそれほど高くなかった。

それが一躍この三元車を有名にしたのはなんといっても自転車文化センターが昭和59年の春に開催した「明治自転車文化展」であった。

しかし、この文化展の三元車の評価は思わぬ方向へ行ってしました感がある。

それは、本来の三元車と異なるイギリスのシンガー三輪車の模倣としか思えない代物。それにこの三元車が本当に鈴木三元が製作したのかもいまだに疑問である。


「ふくしまの一世紀」
国会図書館所蔵資料

人気よぶ自転車競走
江戸っ子びっくり
”骨ゆすり” 明治の人は、自転車のことをこう呼んだ。当初の自転車は、
荷車と同じ鉄輪を使っていたので、走るとガタビシ骨身にこたえたからだ。
 明治十四年、上野で開かれた第二回内国勧業博覧会に、二人乗りの自転車が登場して江戸っ子たちを驚かせた。むりもない。自転車がようやく普及しはじめたころのこと。しかも、東北の伊達郡というところから、十六歳の少年が三日間で走ってきたと聞いて、二度びっくりした。 福島から東京まで、歩いて半月近くかかった時代である。
 この二人乗り自転車を発明したのは、伊達郡半田村(現桑折町)の鈴木三元(すずきみつもと)で「三元車」(さんげんしゃ)として発表した。十六歳の少年は三元の孫で、のちの三世三元。

2023年12月25日月曜日

ベルンハルト社

 ベルンハルト社

下の資料はベルンハルト自転車等販売店の請求書 1904年頃

ドレスデンのリードル・M・ベルンハルト

自転車及び自転車の付属品などの販売店。

他にオートバイ、自動車用アクセサリーも取り扱っていた。

請求書
資料提供:E・パウアー氏

同上
1904年4月14 日付けの請求書

リードル・M・ベルンハルト
登録商標

2023年12月24日日曜日

フェノメンの自転車

 フェノメンの自転車

下の厚紙のポスターは1930年頃のドイツ・フェノメン自転車。

なぜまだ歩くのですか?

私のように乗ってください

とある。

フェノメン工場(PHÄNOMEN WERKE)

オーガスト・サンダー、自転車店、ハーメルン(販売店)


厚紙のポスターは1930年頃
資料提供:E・パウアー氏

2023年12月23日土曜日

ベンツの自転車

 ベンツの自転車

下の写真は1993年に上野氏から送られてきたもので、ベンツの自転車とのこと。

この写真の撮影場所はメルセデスベンツ・ミュージアムのレストア工場と伺っている。

この自転車の製作年など詳細については不明。


写真提供:上野修一氏
以下同じ




Mercedes-Benz Museum
Stuttgart GERMANY
Daimler Reitwagen(Daimler Riding car) 1885


メルセデス ベンツ博物館は、自動車愛好家や歴史愛好家にとって必見の場所である。 この施設はドイツのシュトゥットガルトにあり、豊富なコレクションとメルセデス ベンツの歴史を一堂に鑑賞できる。展示品は、1500台以上で 9つの分野に分かれている。 1886 年のベンツ・パテント・モトールヴァーゲン (Patent-Motorwagen)から最も洗練された現代のコンセプト カーまで、自動車テクノロジーとデザインの進化を見ることが出来る。

この博物館の建物は、オランダの建築家ベン・ファン・ ベルケル(Ben van Berkel)によって設計された斬新的な近代建築である。

2023年12月22日金曜日

グリンドー 二輪車博物館

 グリンドー 二輪車博物館

下のチラシは、ドイツのグリンドー にあった二輪車博物館(Zweiradmusum GLINDOW、1990年~2012年)。

残念ながら、このグリンドー二輪車博物館は2012年11月に閉館している。

ドイツのベルリン近郊のヴェルダー (ハーフェル) の歴史地区、グリンドーにあったこの施設には 120 台を超える歴史的なオートバイや自転車のコレクションが展示されていた。


グリンドー  二輪車博物館のチラシ
1995年
資料提供:E・パウアー氏

2023年12月21日木曜日

団扇絵 - 10

 団扇絵 - 10

前回に続き、これも団扇絵、やはり大正期のものと思われる。

図柄は富士山と二人のサイクリスト、一緒に犬もかけている。

派手ではないがなかなか趣のある絵。


団扇絵 大正期

2023年12月20日水曜日

団扇絵 - 9

 団扇絵 - 9

下の団扇絵は大正期のものと思われる。

自動車と2台の自転車、季節は桜の満開時期。海岸線の道路をドライブとサイクリングで楽しむ。

色彩も鮮やかで、子供が自動車を運転しているのも楽しい。沖には帆掛け船、漁村の風景も美しい。


団扇絵


団扇絵(うちわえ)は、江戸期から大正期にかけて制作された日本の浮世絵版画の一種である。
団扇の形に切り抜いた四角い紙に版画を印刷したもので、これを竹の骨に貼って使用していた。実際に使用された団扇絵はほとんど残っていない。
図柄の見本帖として綴じられていたものが現存し、いまでも時々ヤフオクに出品されている。
団扇絵の絵柄は多岐にわたり、美人画、風景画、武者絵、花鳥画などがある。

2023年12月19日火曜日

高速の紳士馬車

 高速の紳士馬車

下の写真は広告用のシール。

一輪車に似た馬車。

どことなくその下の一輪車のようである。


広告シール

新しい一輪ヴェロシペード

新しい一輪車
NEW SINGLE-WHEEL VELOCIPEDE.
「ボレンティーノ・アメリカン」より
ヘミングス氏(Hemmings)は、18歳の息子がこれらの 5フィートの機械の 1つを推進していると云う。 優れた「ロードスター」に追いつくペースでの直径であり、彼を追い越すことはできない。

メイン ホイールには二重リム、または 2つの同心リムがあり、内側のリムの内面には、摩擦ローラーと摩擦ドライバーを所定の位置に保持するための突出したリップがあり、それぞれの外周に対応する溝が付けられている。 ライダーが乗っているフレームは、これらのフリクション・ホイールを 2本の平行なアームで支えており、その前部には 2本のプーリーが取り付けられている、駆動輪の軸にある小さなプーリーにベルトが通されている。

この二重車輪は、ご覧のように、手で回すクランクによって駆動される。
主輪の内側リムの表面での下部輪の摩擦は、推進力の直接的な手段である。

ライダーの足の間に見える小さなバインディング・ホイールは、バンドを保持するのに役立つ。

2023年12月18日月曜日

自転車の変遷

 自転車の変遷

「帝国工芸」 第3巻第7号 7月号 昭和4年7月1日 発行

この雑誌に下の記事あり、

「自転車の変遷」 商工技師 吉田永助

自轉車は道路の状況、富の程度等より見て我國の現状に最も適したる車輌で、取扱ひ輕便で價格も低廉なるに拘らず、労力の節約、能率の増進に大なる効果を興へるものである爲其の発達著しく、各都市は勿論、如何なる辺鄙の地でも盛んに利用されて居り使用数は三百萬輛以上、一ヶ年の製造數は二十萬輌以上に達して居ると推定される、其の製作の技術も大に進み各部の構造も多年の経験で改良せられ、堅固で軽快に造られる様になった。・・・

註、マクミランなども登場し、ある意味興味深い。当時の自転車史の認識の状況を知ることが出来る一つの資料と云える。


「帝国工芸」 第3巻第7号
174頁
国会図書館所蔵資料

図の部分

2023年12月17日日曜日

脚踏車

 脚踏車

「脚踏車」は、自転車のこと。中国では通常「自行車」なのだが、台湾では「脚踏車」と一般的に呼ばれている。

下の写真は「モーターファン」より、娘さんとシンプルで美しい自転車。


22頁の写真
脚踏車と小姐

モーターファン
第18巻第4号
1942年(昭和17年)4月15日発行
国会図書館所蔵資料


脚踏車と小姐、鈴木計三(一部抜粋)、
その北京の姑娘たちの愛用するのお抱への洋車(人力車) 汽車(自動車)でもなく、専ら歐風の美しい脚踏車です。
 小姐と脚踏車、 それは胡同(小路)の土のぬくもる頃から、世界一の秋と讃えられる、夢の國の都のやうな晩秋にかけて、北京に缺くことの出来ない風物詩です。

2023年12月16日土曜日

ダーブラ・マーフィー

 ダーブラ・マーフィー

下の写真は、アイルランドの自転車愛好家であるダーブラ・マーフィー嬢。

Dervla Murphy (1931-2022) はアイルランドのサイクリストであり冒険家。

彼女は、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、南米を巡る自転車一人旅を行い、その様子を多くの自転車冒険旅行記として記述している。

ダーブラ・マーフィー

おもな著書、
●Where the Indus is Young: A Winter in Baltistan (English Edition)
●Full Tilt: Ireland to India with a Bicycle (English Edition)
●On a Shoestring to Coorg: An experience of southern India (English Edition)
●Im Land des Löwenkönigs. Im Maultier durch Äthiopien - eine Frau erzählt
●神秘な国ネパール―女ひとりの冒険日記 (1982年) (現代教養文庫〈1060〉)
●シルクロードを全速力―女ひとりの自転車旅行 (1979年) (現代教養文庫)

表紙

2023年12月15日金曜日

自転車関係の郵趣

自転車関係の郵趣

初日カバー

フランス自転車選手権

トゥールニュとリュニー

1987 年 6 月 23 ~ 28 日

トゥールニュ郵便局の消印 17-6-87 

1987年フランス自転車選手権は、ブルゴーニュ フランシュ コンテ地方のトゥルニュとリュニーで開催された。

男子エリート:ベルナール・イノー(フランス)

註、この年にはツールでも総合優勝している。

女子エリート:ジーニー・ロンゴ(フランス)

註、1996 アトランタ・オリンピック、個人ロードで金メダル。

この大会は、高速道路と難しい峠を組み合わせた丘陵コースで行われた。 男子レースではベルナール・イノーが勝利。 女子レースでもジーニー・ロンゴが楽勝で単独優勝を果たした。

1987 年のフランス自転車選手権は成功を収め、トゥルニュとリュニーの町に記録的な観客を集めた。 


初日カバー
トゥールニュ 17-6-87

トゥールニュとリュニーの位置関係
距離は約12㎞
グーグルマップより

2023年12月14日木曜日

タバコパッケージ

 タバコパッケージ

下の写真はタバコパッケージのコレクション。

1964年、東京パラリンピックのデザイン、ピース10本入り

日本専売公社

150円で以前に古本屋で購入。


タバコパッケージ
1964年

裏面

2023年12月13日水曜日

足踏車

 足踏車

下の写真はレオナルド・ダ・ヴィンチの足踏車。

「発明家および技術家としてのレオナルド・ダ・ヴインチ」

フェルドハウス 著、 中野研二 訳 慶応書房 昭和17年7月8日発行

足踏車 (第六十六図)

蒸気機関の時代以前には、人間又は動物がその中又は上で踏む足踏車が原動機として大なる意義を持つていた。

Cod.atl.378 TRにレオナルドは回轉弩 (Revolver-Armbrust) とでも云ひうる機械のための巨大な足踏車をスケッチしている。大きな、幅の広い車が固定軸の周りに回転する。その周りには四つの重い弩が取付けられている。軸の下の特殊な架台の上に射手が吊られている。彼が一つの射撃をするや否や、彼は軸の周りに付いてる綱を彼の頭上にあるの弩の弦に結びつける。次に彼は、全足踏車を要塞の壁にして固定せしめる閂を後ろに引く。足踏車の上を - 重い板屋根で保護されて - 踏み進む人間は、今や車を四分の一回転だけ運動させる。これによって弩は張られ、同時に銃眼が近づく。今や足踏車には再び閂が入れられ、射手はその射撃を発することができる。この方法によって極めて大なる速度で射撃される。

レオナルドはこの図に説明文を與へていない。彼はたゞ足踏車の上を踏む人間の上に「十人で二千ポンド」 と注意書きしているだけである。

註、レオナルド・ダ・ヴィンチは、15世紀から16世紀にかけて活躍したイタリアの画家、彫刻家、建築家、科学者、発明家。彼は、数々の画期的な発明や作品を残し、ルネサンス期を代表する天才として知られている。


車 (第六十六図)
国会図書館所蔵資料

2023年12月12日火曜日

サイクリング・ロードマップ

 サイクリング・ロードマップ

下の資料はサイクリング用のロードマップ。1896年頃。

新しいロードマップ 3色刷り プロヴァンス地方

道路、海岸、石畳、標高の状態を表示。距離と人口。

地方の道路と小道も表示、その他、鉄道、運河、川など。

表紙

地図 一部
プロヴァンスの新しい道路地図
ニームからマントンまで

2023年12月11日月曜日

レコード・レーシングカー

 レコード・レーシングカー

先にサイクル・ギャラリー・ヤガミの新聞記事を紹介したが、この記事の中にレコード・レーシングカーの写真があることが分かった。(下の写真)

レコード・レーシングカーについては既にこのブログで投稿済み

子供用の四輪車でフリーホイールチェーンと鋼歯車付きの乗り物。

(Record Rennwagen mit Freilauf Ketten u.Stahlgetriebe)


東京スポーツの写真


註、この画を見る限り、手動式の後輪駆動である。足はステップに置いているだけで駆動用として使っていないようだ。フリーホイールのスチールギア付であるから年代的には1800年代の後半かも知れない。(上の新聞記事では1890年代とある)


2023年12月9日土曜日

サイクル・ギャラリー・ヤガミ

 サイクル・ギャラリー・ヤガミ

サイクル・ギャラリー・ヤガミ、1997年1月28日正式オープン。

名古屋の自転車博物館 ”サイクル・ギャラリー・ヤガミ” が、1月28日に正式オープンした。200台にも及ぶ歴史的自転車を展示。

下は当時の新聞記事。

東京スポーツの記事
提供:八神商会

2023年12月8日金曜日

サイクリング・サイエンス

 サイクリング・サイエンス

下の雑誌は、「サイクリング・サイエンス」誌 1995年秋号

主な内容、

ライダーの空気力学 - 自転車の組み合わせ

新しい高性能コントロール ケーブル システム: 設計、テスト、評価

コンピューター ソフトウェア: アスレチック トレーニングにおけるその役割と機能

暑い中での模擬実験室タイムトライアルサイクリング中の精神生理学的反応に対する冷却および水分補給、システムの影響 など。

表紙

目次

2023年12月7日木曜日

フォード博物館

 フォード博物館

下の写真はフォード博物館の名刺サイズのカード。

1991年7月1日に同博物館を訪ねた時に入手。

いまでは懐かしい思い出になっている。

展示品の中で特に印象に残っているのは、ライト兄弟の製作した自転車とヒルデブラント&ヴォルフミュラーのモターサイクルであった。

フォード博物館のカード

裏面

Ford Engineering Lab
フォードエンジニアリング研究所

ヒルデブラント&ヴォルフミュラー
フォード博物館
1991年7月1日撮影