2024年5月19日日曜日

モトゥス 自動車の前史

 モトゥス 自動車の前史

Motus The prehistory of the automobile 2022年発行 

陸奔舟車の部分を抄訳、78頁から81頁

8. 陸奔舟車 彦根(日本)、1732

素材:木材(松、ポプラ、イチイ)、鍛造鉄、真鍮シート、鋳造青銅、銅、ジュート繊維、天然接着剤、装飾シルク、煮亜麻仁油、着色顔料

寸法:長さ237cm、幅102cm、高さ123cm、重量48kg

カール フォン ドライスが 1817 年に自転車を発明したと云う説は世界中の学者が認めている。しかし、日本ではその 85 年前にすでに自転車を走らせていたことを知る人はほとんどいない。

1732 年に、彦根藩の奉行で、天文学者、数学者であった平石久平次時光 (1696 1771 ) は、ボートの形をした陸上の乗り物である陸奔舟車と呼ばれる奇妙な乗り物を発明した。 これは私たちの目には非常に珍しいことであるが、18世紀の日本には整備された道路はほとんど存在せず、交通手段として船が一般的に使われていた。 中でも小型の田舟は、農民が水田で作業するために使用した。 神々(七福神)さえも船に乗って描かれていた文化的背景においては、陸上の乗り物が船の形をしていても不思議ではない。

1729 年には、埼玉本庄の百姓、正田門弥が一種の四輪陸上ボートを発明した。 この車両は、かなり大きな歯車に取り付けられたプラットフォームに立って足を踏み込むことによって操作され、その回転の動きは小さな歯車から車軸に伝達され、車輪を回転させて推進した。 この発明は、私たちの物語に何の痕跡も残していない。なぜなら、それは将軍に献上されたものであり、将軍はそれを保管し、決して公開しなかったからである。

四輪陸船車のことを知ったとき、平石は将軍が所蔵していた絵図しか見ることができなかった。 ある意味、これは幸運な偶然であった。なぜなら、彼は独自の発想で自由に設計できた。前輪は一輪にしてステアリングが容易になった。 彼の車両には、より重要な利点があった。それは、今日の自転車のように連続的にペダルをこぐように設計されているのに対し、正田門弥の車両では、ライダーは階段を登るときのように両足で交互に踏んでいたからである。 つまり、平石は、直立姿勢で乗り、脚を推進力として使用することで、より少ない筋肉エネルギーで体の重量を活用することができたため、珍しいながらも非常に合理的な形状のヴェロシペードを設計した(図15)。

日本人が自転車発明の優位性を主張するのは、まさにこの特徴のためである。ペダルを備えた1732 年制作の陸上ボートは、ダンディホースよりもはるかに近代的だ。

 ペダル使用の優位性に疑問の余地がないとすれば、陸上ボートには、将来の自転車を特徴づけ、世界的な成功を決定づける基本的な要素を欠けていた。 平石の多大な価値は、モビリティの歴史にマイルストーンを打ち立てたことにある。 このあまり知られていない出来事は、近年になって明るみに出て、平石の故郷である彦根城文化会館の入り口には記念碑が設置された。

平石の陸奔舟車は、エレガントでかつ極めて前衛的な三輪車である。 精緻な装飾は、船や荷車がしばしば明るいデザインや色で装飾されていた東洋の世界を思い出させる。 ハンドルバーは陸上ボートの中央にあり、その下部は車両に固定されており、前輪に接続された 2 本のロープによって操縦される。 ステアリング角度を示す銅製のダイヤルは、今日の飛行機や船舶と同様に、ハンドルバーの下部に配置されている ( 16)。これは、正しい方向を示す道路がない場合に非常に便利な装置である。 文字盤のデザインは珍しい。陸上車両としては不便だが、存在理由がある。それは、動物を任意の方向に動かして進む従来の馬車とは異なり、ドライバー自身がステアリングを制御する史上初の車両の一つと云える。

平石のような正確な学者にとって、典型的な方位の矢印と天空のマークで示されるステアリング角度を測定する装置は、この問題を克服するために必要な装置であった。 ペダルは日本の下駄と同様に足を固定するシステムを採用している。 フットペグのストラップは、足の滑りを防ぐために太い溝のあるパッド入りの綿膜で包まれている。 陸上ボートの上部は赤い絹の布で覆われている。 麻の葉模様(吉祥文様)は日本人にとってお守りとされている。伝説によると、それに触れた人を守る力があり、悪霊を追い払う力があるからだ。 また、平石の車両を献上する井伊家藩主(家紋の丸に橘)へのオマージュとしてオレンジの葉も描かれている。

C.F.

表紙
「モトゥス」自動車の前史
Motus The prehistory of the automobile
2022年発行

2024年5月18日土曜日

トルピール ・ヴェロ

 トルピール ・ヴェロ

トルピール ・ヴェロ(TORPILLE VELO)

世界有数のサイクリスト、マルセル・ベルテは、若いエンジニア、エティエンヌ・プサン・ヴァリラとともに、興味深い実験を行った。

1913年にこの魚雷形のトルピール ・ヴェロは、空気抵抗を減らし、時速は 43.77 キロメートル (時速 27.20 マイル)の記録を達成した。


トルピール ・ヴェロ

VIE AU GRAND AIR
「アウトドア・ライフ」
1913年12月27日発行

2024年5月17日金曜日

平石久平次関連 - 10

 平石久平次関連 - 10

「中川泉三著作集」 第6巻 中川泉三著作集刊行会 編 川瀬泰山堂

 1978年11月30日発行

(山本一清博士より・昭和十年五月十日付)の手紙

拝啓

久しく御ぶさた致し恐縮致します、 先日新聞紙上にて拝見致しましたが、貴台彦根史料御研究中、陸奔車を発明せし天文学者の存在を御発見の由、ついては小生是非拝眉の上詳細御話し御うかがひ申上げたく存じます。

御都合により何時にても参上致します。よろしく御指導願上ます。

五月十日

中川泉三先生

山本一清

註、山本 一清(やまもと いっせい、1889年5月27日 - 1959年1月16日)は、滋賀県出身の天文学者。

中川 泉三(なかがわ せんぞう、1869年5月25日 - 1939年12月27日)は、日本の歴史家、滋賀県内各郡志の編纂に携わる。


506頁
「中川泉三著作集」 第6巻
国会図書館所蔵資料

2024年5月16日木曜日

仙臺新報 - 11

 仙臺新報 - 11

 「仙臺新報」第25號 仙臺新報社 1908年(明治41年)8月31日発行

自轉車の昨今

自轉車製造は漸次に好況を呈し、今や全國に内地製の自轉車は五六萬臺の多きに及ぶべし而して輸入自轉車にして現に使用されつつある者は少くとも三十万臺に下らざるべし抑もそも 自轉車の壽命は平均五ヶ年として過去四年間は年々五六萬臺の輸入ありしや疑無し、固より自轉車製品としての輸入は年二萬乃至三萬あるべきも税金を免がるる爲に未製品の形體にて輸入せられたるもの、三四萬臺に及びしは自轉車に関する種々の需要品修繕等によって推測し得る也昨今は自轉車の輸入大に減少せるも尙ほ月々二千五六百臺の輸入はあるべく内地製造の品も亦月一千乃至千五百臺に及ぶべし云々宮地福三郎氏の談として近刊の東洋經濟新報に見たり


18頁
「仙臺新報」第25號
国会図書館所蔵資料

2024年5月15日水曜日

平石久平次関連 - 9

 平石久平次関連 - 9

「天界」第15巻 第172號 東亜天文学会 1935年7月25日発行

395頁に、

七月例會

7月13日夕、この日期待された納涼會も朝からの雨模様のため、來集した人々は顔馴染の會員約20名、多くは京都支部の會員達であったが大阪より臨席された熱心な方々もあった。三伏の暑さを忘れて涼風を入れながら、一同落付いた氣分で山本一清先生の平石時光の天文學を聴く、先生はつい最近彥根の城下で獨步の業績を遺した一天文學者平石時光(1696-1771)を發見されるに及び、屡々その遺業を尋ねて同地へ出張され、相繼いで莫大な且貴重な資料を發見され目下之等の資料につき分類と整理研究の途上であり、天文と數學、殊に曆術への偉業は實に驚異と敬服に値するもので、尙この外、多方面の學術的の手記・著作等が続々發見されてゐる由である。席上には精密な 天文分野之圖や、手記・年表等を並べられ、聴く者はこの深い興味と今後の先生の研究結果への盡きざる期待と關心とを持って、誇るべき碩學の遺業を偲び、夜更くるまで相語り合った。曇天のため觀測は中止する。(高城記)


395頁
「天界」第15巻 第172號
国会図書館所蔵資料

2024年5月14日火曜日

シュタイアー ・ウェポンホイール

 シュタイアー ・ウェポンホイール

シュタイアー・ウェポンホイール:古い自転車の魅力

ヴァルター・ウルライヒ 著 2024年6月18日発行

Das Steyr-Waffenrad: Der junge Zauber eines alten Rades

Walter Ulreich

 オーストリアでは、「ウェポンホイール・Waffenrad」というブランド名は、古くて黒塗の重い自転車の代名詞となっている。 何世代にもわたって使えるように作られた堅牢な自転車である。 この古い自転車には魅力を感じる。

ウェポンホイールを追跡し、その詳細を調べ、その年代を知ることが、この本の目的である。 100年以上にわたる自転車の興味深い歴史が明らかになる。

註、ウェポンホイールはオーストリアのシュタイアーにある兵器工場会社(Waffenfabriks-Gesellschaft) によって製造された自転車のブランド名。


表紙

ウィーン技術博物館にある
 1912 年のウェポンホイール
写真はWikipediaより

2024年5月13日月曜日

仙臺新報 - 10

 仙臺新報 - 10

 「仙臺新報」第24號 仙臺新報社 1908年(明治41年)7月31日発行

自轉車旅行の注意(一部抜粋)

スヰフト商會 鈴木重行

自轉車旅行に就て、一般無經驗の人に参考となるべき點を左に述ぶれば。

 一、何れ旅行するには、自轉車と否とは問はず、朝は早く出發して、途中濫りに湯水を飲まぬやうにせなければならぬ、食後には餘に疾走せず、三四十分から一時間位は休んで出發してからは、途中で休む事はつつみ十分に車の惰力を利用して、緩急餘りに烈しくしてはならぬ、殊に注意すべきは、あまり急であっても又全く緩であつても、両方同じく疲勞するといふ點である。

 一 、携帯品は、凡て形の小さいものを選ぶべき事、命の親も邪魔になる腰辨當といふ句を味ふは、自轉車旅行で殊に痛切に感ぜられる。

一 、坂にかかるか、風に向つて進行する時には非常に妨げられる、この點は市内の乗輪とは大した差がある。荷物の大小、ギヤ(歯車)の大小に依っては、大分差のある事だから成可小さなものが宜い。

 一、坂を降下するには、完全なるブレーキを豫め備へて置くのが安全である、但しブレーキがない時か、不完全な時には下車して歩るくに如かずである。

 一、不案内の坂を下る時には、完全なるブレーキが備って居ても危険であるから、急降を慎まねばならぬ。

一、ギャケース及び泥除は雨路には必要であるが晴天なればない方が宜い、殊に向風も横に風をうける時などには非常な妨害になるが益は更にない。

一、サットルペダルの距離は、股下の寸尺より少なくとも二三时短くして、餘裕を作つて置く必要がある、ペダルを爪先にて踏むのは疲勞と危險の虞がある。

一 、可成常に使用して慣れた自轉車を使用る方が宜い。

一 、輸行中濫りに両手をハンドルから放したり又は左顧右眄するやうな事は慎まねばならぬ落車などの危険はこんな不注意から來るのである。・・・・


11頁
「仙臺新報」第24號 
国会図書館所蔵資料
以下同じ

12頁



●自轉車問答(一部抜粋)

▲英國製ダンロップタイヤーを附して乗用し来りしが石川商会のケー、アイ、シータイヤを取附くるには別にリムを取換える必要なきや、又たリムを取換ふる時は幾インチのリムと取換ふべきや (大河原SK生)

△英國製タイヤ針金入ダンロップなればリムを取換へざる可からざるも引掛式ダンロップ タイヤなれば直ちに取換ふる事を得べし、而してタイヤは大低二十八吋のもの多し。

▲デートン號に和製のものありや(林生)

△神戸邊より非常に廉価なる異形のデートン號當地方にもボッボツ輸入し居るものある由なるが右は無論和製の擬似品なり。

◆英國製自轉車にして現下有名のものは何々なりや(相馬中村山下生)
△スヰフト、ハンバー、センター、ラーヂ等諸會社製造の車輛なり。

▲ニューデパアチュアコースターにも和製のものありや「石卷町TN生) 

△大坂にて盛んに僞造せしも販賣人處刑せられてより其跡を絶てりと聞けり。

▲前號の紙上に「ホーク」ニッケル鍍金製のものにて價格壹圓位のものある趣き記載しありしが果して之れありや (仙臺柳街輪士) 

△デートン形其他にて壹圓二三十錢のもの及前齒車にて壹圓以内のもの双輪商會に多數輸入し有る由に聞けり。・・・


17頁