2023年11月30日木曜日

米原湊車船惣内法之図

 米原湊車船惣内法之図

下の図は「米原湊車船惣内法之図」で、江戸時代の米原湊で使用されていた車船の絵図である。米原湊は、近江国の琵琶湖西岸に位置する湊で、中世から近世にかけて、京と北陸を結ぶ交通の要所として栄えた。

この絵図には、車船の外観や構造、運用方法などが描かれている。車船は、船に車輪を取り付け、船頭が車軸を踏むことで推進する船である。

車船は長さ約10メートル、幅約3メートルの木造船で、船体に車輪が設置されている。船頭は、車輪を踏むだけでなく、櫓も使って船を操縦した。

註、この船を見ていると、踏み車や竹田近江の陸舩車を連想する。

米原湊車船惣内法之図

車早船
米原駅東口のモニュメント
Googleストリートビュー


米原湊跡、説明板に
米原湊は、 ここ米原駅付近にありました。
慶長8年(1603) 北村源十郎が琵琶湖と入江内湖を結び、 堀を開削して湊を開きました。 美濃方面の物資や人を大津湊へ運ぶ中継、 また京 大阪と北陸を結ぶ湖上交通の中継の港で、 宿場としても栄えました。
天保14年(1843) には丸子船30、 押切早船7、艜船15と米原湊で開発された車早船(上の模型) があり、 明治始めには蒸気船も運航していましたが、鉄道の開通によりその役目を終えました。


宋代の車輪舸図

大きな鑑札

 大きな鑑札

下の写真は実用車に付けられた大きな鑑札である。

丸に下4640とある。何処の自治体の鑑札なのかは未調査。

この写真の撮影日は1989年10月8日である。


自転車鑑札


自転車鑑札は、かつて日本で自転車を所有する際に、自治体などが発行した標識。当時、自転車は税金の対象となっていた。
この鑑札の制度は、昭和33年(1958年)に廃止された。その理由は、自転車の普及に伴い鑑札の管理が非常に煩瑣で困難になったため。

高橋 勇氏の鑑札コレクション

2023年11月29日水曜日

トライアンフ自動自転車

 トライアンフ自動自転車

下の写真は丸石商会の商報

1920年3月号、大正期になると丸石はこのような自動自転車も扱うようになる。

商報のタイトルも「自転車並びに自動自転車」である。


トライアンフ自動自転車

表紙

トライアンフは、イギリスの名門メーカーである。1885年に自転車の輸入会社として創業し、1896年から自社製の自転車の製造を開始した。1902年には世界で初めてフレームに鋼管を使用した自転車を開発し、その後も革新的な技術を積極的に導入することで、世界を代表する自転車メーカーへと成長した。1903年にはモーターサイクルの製造を開始。

2023年11月28日火曜日

宮田の実用車

 宮田の実用車

下の写真は宮田自転車の実用車タイプである。

おそらくこの自転車は大正10年頃の國華號と思われる。


宮田の実用車
写真提供:中村安良太氏
1985年撮影
以下同じ


ヘッド部付近
車籍標のようなものが見える
泥除けにはギヤMのマーク

ペダル、チェーンステー部

國華号のマーク
「日本で製作・販売された自転車のブランド名に関する調査研究報告」
平成17年3月発行より

2023年11月27日月曜日

ルイーズの自転車旅行

 ルイーズの自転車旅行

ルイーズ・ジュリエット・サザーランド(Louise Juliet Sutherland、1926年6月11日 - 1994年12月24日)は、ニュージーランドの自転車愛好家。

彼女はニュージーランドのダニーデンで、5人姉妹の長女として生まれた。

ルイーズは、移動手段として自転車を愛用。19 歳の時にオアマル病院に移り、4 年間の看護教育を受けた。 

ダニーデンの両親に会うには 100 キロメートルを 7 時間かけて移動する必要があった。これが彼女の長距離サイクリングへの興味のきっかけとなった。 ルイーズは最終的に、ニュージーランド、カレーからボンベイ、バンクーバーからペルーまで、54 か国を巡る 60,000 キロメートルに及ぶ世界自転車旅行を完走したのである。

Sutherland, Louise. I Follow the Wind. 
London: Southern Cross Press, 1962.

サザーランド・ルイーズ
「私は風に向かって」
 ロンドン:サザンクロスプレス、1962年

2023年11月25日土曜日

シマノ研究発表会

 シマノ研究発表会

本日、シマノ博物館に於いて、2023年度 調査・分析委託事業 中間発表会が開催された。

“1960年代以降からの日本の自転車産業史”、江戸時代に日本で作られた自転車のルーツともいうべき“船形自走車”そして、日本の自転車産業発祥の地“堺の自転車史”の各講演。

開催日時:11月25日(土) 13時30分~16時30分

場所:シマノ自転車博物館 ミュージアムスクエアー

参加料:無料

第一部

「日本の自転車産業史 ~1960年以降から」 13:30~14:10

  内藤 常美氏 自転車史研究家

第二部

「世界最初の自転車 陸舟車 現状と課題」  14:10~15:10

  松本 敦氏 編集者

休憩  15:10~15:20

第三部

「堺の自転車史 戦後から現代まで」 15:20~16:20

  山部 洋幸氏 奈良県立大学准教授

質疑応答 16:20~16:30


月堂見聞集と正田門弥

 月堂見聞集と正田門弥

下の資料は月堂見聞集 第21巻 享保13年10月~享保14年9月

先日、再度国立公文書館のサイトで詳しく調べたところ、「月堂見聞集 第21巻」がアップされていてダウンロードできるようになっていた。

国会図書館所蔵の「月堂見聞集 第21巻」と比較したところ別な版であることも分かった。

どちらかと言えば、国立公文書館の版の方が読みやすい。

千里行車と正田門弥に注目。


千里行車の部分
月堂見聞集 第21巻
国立公文書館所蔵資料


千里行車、一名舟車図あり、武州兒玉郡若泉庄小堀村正田門彌、當酉の年六十一歳の由、子供三人あり、

但し車輪四つ七尺廻り、ぜんまい仕かけ、両足にてふみ出し候へば丈四尺程行也、曲祿の如くにして、是は乗りかづの上に仕かけ有之候、川抔は此車を首にかけて渡る、凡そ一日に二百里程行申候、但し山川は参り不申平地也、

図の部分
月堂見聞集 第21巻
国立公文書館所蔵資料

千里行車の部分
月堂見聞集 第21巻
国会図書館所蔵資料

図の頁

月堂見聞集は、江戸中期の1697年から1734年にかけて、本島知辰(月堂)が著した見聞雑録で、29巻からなり、江戸・京都・大坂を主として、諸国の巷説を記している。政治経済から時事風俗にまでわたる内容で、当時の世相を知る上で貴重な資料。

本島知辰(もとじまともたつ、1659年 - 1744年)は、江戸時代中期の儒学者、随筆家。岡山藩士の子として生まれ、江戸で儒学を学び、その後、京都で幕府の役人として仕え、享保十九年(1734年)に隠居して月堂と号した。

月堂の略は、
1659年:岡山藩士の家に生まれる。
1678年:江戸に出て儒学を学ぶ。
1682年:京都に出て幕府の役人となる。
1734年:隠居して月堂と号する。
1744年:死去。

2023年11月24日金曜日

ローヤル・サンビーム

 ローヤル・サンビーム

下の写真は英国のサンビームで40年ほど前に岩立氏に送っていただいたもの。

撮影場所は、ロンドンのサイエンス・ミュージアムと聞いている。

このサンビームの解説は英国の自転車に精通している小池氏にお願いした。


サンビーム
写真提供:岩立喜久雄氏


以下は小池氏の解説、

1915年から1928年までの間に生産されたオール・ブラック・ローヤル・サンビームで間違いありません。その生産期間のいつのものかは、車体番号でしか確認できません。フロントのブレーキは改造されています。リフレクターは無いのが正統。リフレクターは後付けです。ペダルとサドルは似たようなものに取り換えられているのではないか?と思います。BROOKSはサンビームには細部の違うオリジナル・サドルを供給していました。ゴールデン・サンビームには『ねじったサドルベースが使われ、通常の2本レールではありません。ローヤル・サンビームのサドルは『背が低く、幅も1~2cm広い』。これも現物確認しないとわかりません。グリップは後ろの部分がネジで外れてパンク修理セットがグリップの中に入っていたらオリジナルです。オイルランプはルーカスのシルバーキングが入っていますが、これもじつは、サンビームはオリジナルのオイルランプを作っていました。オイルタンクが横から見ると『ゼリービンズのような楕円形』をしているのですぐわかります。サンビームのレストアは難しいです。

追伸、
拡大してみたら、ペダルは『真っ赤なにせもの』です(笑)。ラレーかフィリップスのペダルですね。(小池一介)

2023年11月23日木曜日

リンゲ・ボーンシェカー

 リンゲ・ボーンシェカー

下の写真は、リンゲ・ボーンシェーカーで、これを購入する前に元のオーナーから送られてきたもの。

元のオーナーとは、アメリカのドナルド・アダムス氏、

下にある本の著者として有名である。

「蒐集と復元 アンティーク自転車」ドナルド・アダムス著 1981年4月初版発行

「COLLECTING & RESTORING ANTIQUE BICYCLES」 by G. DONALD ADAMS

註、現在このリンゲのボーンシェーカーはシマノ自転車博物館所有。


リンゲのボーンシェーカー
1985年12月頃撮影

1993年5月2日撮影

1869年(明治2年)頃の製作

パリ凱旋門裏にあったリンゲ社

1986年頃撮影
手前はクリーブランド
奥に丸石の琺瑯看板

入手まもない1986年撮影

同上

リンゲの広告
ル・ヴェロシペード・イラストレ
1869年7月29日付け
資料提供:小林恵三氏


この本は「蒐集と復元 アンティーク自転車」ドナルド・アダムス著 1981年4月初版発行
骨董品の包括的なガイドと蒐集可能な自転車・・・1817年「ホビーホース」から現代のスペシャル・インタレスト・モデルまで!
「COLLECTING & RESTORING ANTIQUE BICYCLES」
An all-inclusive guide to antique and collectible bicycles ... from the 1817
"Hobby Horse" to modern day special interest models!
BY G. DONALD ADAMS
左はハードカバー製本と右はペーパバック
何れも1981年4月発行

別の版
「蒐集と復元 アンティーク自転車」
ドナルド・アダムス著

2023年11月22日水曜日

ポリー・ジャポン 2023

 ポリー・ジャポン 2023

2023年10月21日-22日、長野県の安曇野でポリージャポン2023が開催された。

コロナ禍で中止されていが、4年ぶりの再開となる。

今年で30周年を迎えたポリージャポン2023の写真を先般渋谷氏から送っていただいた。

下の3台は某参加者の1964年東京オリンピック仕様の自転車。


写真提供:渋谷良二氏
以下同じ


ピスト用 キング・スピード

2023年11月21日火曜日

丸石ピアス

 丸石ピアス

下の写真は明治後期の丸石ピアスである。

この写真の裏面にメモ書きで、

昭和57年2月、松島 写真6 ”丸石ピアス号”

とある。

写真をよく見ると、チェーンケースが特徴的である。ハンドル部にはブレーキ装置がない。コースターブレーキと思われる。サドルの後部には工具入れも見える。前輪の泥除けの形状も当時の面影を残している。


”丸石ピアス号”
写真提供:植原 郭 氏

丸石ピアスのマーク

2023年11月20日月曜日

地方輪界の歩み

 地方輪界の歩み

以下の資料は『地方輪界の歩み』日本輪界新聞社 昭和34年7月発行。


「地方輪界の歩み」
以下同じ


年表


自転車商案内図 東京

自転車商案内図 名古屋


以下に梶野関係の記事抜粋。

梶野氏、自転車製造す
●このような風潮を見て自転車の製造に志したのが津井郡太井村出身の梶野仁之助氏であった。
家業は質屋ならびに醤油業で発明意欲の非常に旺盛な人で、いわば巷間の発明家であった。自転車製造に志したのは明治十年頃のことで、当時外人が乗っていたダルマ型二輪車に興味をそそられ研究に乗り出し、明治十八年 横浜蓬萊町四ノ三六に 「梶野自転車工場」を設立したのであった。準備なり 翌十九年高島町五ノ一〇に工場を移し、本格的に自転車の製造を開始したのである。最初は米国より材料をセットで仕入れ、臘付するに過ぎない全くの組立工場であったが苦心の末、車輪、ハンドル等をはじめ自家生産ができるようになり、初の国産車「金日本号」「銀日本号」をつくるとともに米車の卸業をも行って輪界に貢献した。
明治二十五年三月東京 中央電信局で電信用に始めて自転車を採用したが、この時木製車五台、鉄製硬質タイヤ車五台を梶野工場より納入されたことが当時の文献に載っている。 まだ安全車はできず、アメリカ製部品の助けを借りて空気入タイヤの安全車をつくるようになったのはその後で、銘柄車 日本号(金日本号、銀日本号)を完成したのはその四、五年後であった。明治二十九年の横浜商工会議所々報には外国商社より自転車の発注をうけ輸出した自転車工場のあったことが記されているが、これは梶野工場のことであろう。当時は既に外国商館が自転車の輸出入に当っていた。二四二番館のアンドリユース、アン・ジョージ商会、 十一番館のエッチ・マツカーサー商会等がそれであった。地方の金持、名士など直接商館に来て自転車を買っていったものだった。

2023年11月19日日曜日

英国の自転車隊

 英国の自転車隊

下の写真は丸石商会の1918年7月号の商報から、

口絵写真。

英皇帝の自転車隊親閲の写真をよく見ると、手前の5台は自動自転車である。

おそらく当時丸石商会が扱っていたトライアンフの自動自転車。


英国自転車隊進軍など

英国自転車斥候隊など

表紙


丸石商会の沿革(一部)
石川商会時代
1894年(明治27年)- 石川賢治、貿易商石川商会創業。絹織物、段通などを輸出入する。後に自転車・オートバイ等の輸入も手がける。
1900年(明治33年)- 横浜本店を新築。
1903年(明治36年)- 横浜のボーン商会が輸入した「ミッチェル」とよぶ米国製乾電池装置付オートバイ2台を販売した。
1906年(明治39年)- トライアンフ製オートバイを輸入販売。
1909年(明治42年)- 社主、石川賢治の急病により会社解散。

丸石商会時代
1909年(明治42年)- 石川商会の業務を継承する形で社員たちにより丸石商会が創業された。
1910年(明治43年)- 本店を旧石川商店本館に移す。英国製自転車トライアンフの不正コピー警告の広告を掲載。
1918年(大正7年)- 株式会社丸石商会として設立。
1933年(昭和8年)- 宮田、新家、丸石の出資により国益チエン株式会社を設立。

2023年11月18日土曜日

クリスさんの動画

 クリスさんの動画

下の写真はクリス・フィリップスさんのYouTubeの動画より。

何回か見ているが楽しい。彼の人柄が感じられる。

これからダルマ自転車を練習しようとする人は見て欲しい。

ダルマ自転車の他にも アレックス・サンジェなどのコレクションも紹介している。

既にこのクリス・フィリップス(Chris Phillips)さんは、何回かこのブログに登場している。


アレックス・サンジェ

2023年11月17日金曜日

光風のパンフレット

 光風のパンフレット

下の写真は光風自転車㈱のパンフレットである。

発行年の記載はないが、目次のページ右側に昭和30年度 優勝 東京都産業別ロードレースとあるところから、おそくとも1956年(昭和31年)の発行と思われる。

この昭和30年代が光風自転車の繁栄期でもある。


表紙

目次

16頁
ケンコー号


光風ケンコー号の競技会での記録
1954、東京一神戸間 600km プロロードレースに優勝、通商産業大臣賞受領
1955、日本で初めてサイクリング車の量産を開始。ケンコー号の名で発売。 日本サイクリング協会推薦サイクリング車となる
1955、第1回東京都産業人ロードレースに優勝。 通商産業大臣賞受領
1956、JCC (日本サイクリング・クラブ) メンバーによる日本アルプス乗鞍岳征服に初めて成功、多段ギャの威力を示す。記録映画完成
1960、第3回サイクリング車性能審査で通商産業省重工業局長賞受領
1962-3、スポーツ車の人間工学、運動力学による基礎実験を行ない、経験と勘で作られていたスポーツ車に、初めて科学のメスを入れ、今日の基礎を作りあげた
1963、新設計による10スピードを初めて量産、K-10レコード・エースを発売
1964、高校ロードレース製作社としてFJCより指定される
1964、第18回オリンピック東京大会にUCI 指定のロードレーサーを製作
1965、JCA (日本サイクリング協会) 指定車にKENKOの角度寸法を採用される
1965、全国高校ロードレースで1位・2位を独占して優勝
1966、東京クロスカントリー・レースで第1位優勝
1966、第1回茨城ロードレースで1位・2位を独占優勝
1966、第1回自転車業界親善ロードレースで1部 2部優勝 団体優勝
1966、東京選手権ロードレースで優勝
1967、全日本実業団ロードレースでベテランの部個人優勝・団体優勝
1967、第7回東京クロスカントリー・レースで第1位優勝
1967、東京都選手権ロードレースで1位・2位・3位独占優勝
1967、東京都選手権1万未ポイントレース優勝

2023年11月16日木曜日

実用車で参拝

 実用車で参拝

下の写真は自転車で百社参り。

写真の裏面にメモ書きあり。

ヘッドマークの部分を拡大して見ると、同一メーカーの自転車のようである。但し不鮮明でメーカー名とそのブランド名は分からない。

写真中央上の旗から岡山市鷹匠町の文字が微かに読める。

百社参り
武運長久を祈願
昭和10年
写真提供:河原 正 氏

写真の裏面にメモ