自転車関係資料 - 273
下の資料は、
大日本職業別明細図 東京交通社 編 東京交通社 昭12年発行より
須長自転車店について調べたが、現在は営業していないようである。
茂原は、千葉県の茂原市。その下の自転車店の一覧は小田原や秦野にあった自転車店で、この中で唯一いまも営業しているのは秦野の片野自転車店のみである。片野自転車は、今年で創業102年と云う老舗である。
日本自転車史研究会のブログ Copyright © Yukio Ootsu
自転車関係資料 - 273
下の資料は、
大日本職業別明細図 東京交通社 編 東京交通社 昭12年発行より
須長自転車店について調べたが、現在は営業していないようである。
茂原は、千葉県の茂原市。その下の自転車店の一覧は小田原や秦野にあった自転車店で、この中で唯一いまも営業しているのは秦野の片野自転車店のみである。片野自転車は、今年で創業102年と云う老舗である。
郵便と自転車の出会い
郵便や電報配達に初めて自転車が使用されたのは何時頃だろうか。
今のところはっきりしたことは分かっていない。
しかし、今後より深く調査が進めば、かなり正確なところまでアプローチできるだろう。
これから述べるところは、まだほんのアウトラインにすぎないが、一つの参考にはなろう。
官庁でいち早く自転車を採用したのは、陸軍省と逓信省であった。
特に軍の場合あらゆる発明品がそうであるように、 それが軍事的に役に立つものであるかどうか最初に試される。
自転車も当然例外ではなかった。
明治29年発行の『自転車術』 に、「本邦に於ても近年『輪』を軍事上に使用することを試み、 憲兵隊に於ては既に専ら之を使用せり。 『明治23年の頃特別大演習の時輪術熱心の中尉中島某は、 片鎖安全、其他二
種を持ち行き、野戦演習地に於て十分の試験を為したるに、 三種中片鎖安全第一の好結果を得たりと云ふ』 (当時の時事新報に拠る)。」
ここで、 『輪』とはサイクルで自転車のこと 片鎖安全とは、 当時最新式のチェーン付安全車のことである。
明治35年発行の 『自転車全書』 にも次のように出ている。
「陸軍々隊に於ける伝令の応用である。
ボーアの戦争には、 敵味方双方に用ひられて共に大なる利益を得独逸の軍隊及び我が軍隊の如きも、一昨年の挙匪の乱に、北清に応用して非常な功を奏して居る。 その他佛蘭西、伊太利等も立派に軍隊中に自転車隊を組織して居る。」
その他、軍の使用に関する資料は他にも散見するが本題から逸れるので、この辺で終わることにする。これらの資料から推察して既に明治二十年頃には軍で試験的に採用されたことが分かる。
それでは、本論である郵便との関係はどうであろうか。
以下発行年代の古い資料から順に追ってみることにする。
明治25年10月13日付 『福島民報』 の自転車練習場の広告欄に、
「我邦ニ於テモ自転車ノ利器タルヲ是認シ陸軍部内逓信省ニ於テハ自転車ノ準備専ラナリ」
明治26年6月発行 『猟の友』の 「自転車の功用」の中に、「其他郵便電信等の如き速達を要する者は皆之を利用せざるはなきに至る我が日本にても電信局、銀行、会社、 大商店の如きは近日之を使用するに至るも決して偶然に非ざるべし」
明治27年12月1日付『中央新聞』の広告欄は、
「安全二輪車、四輪, 英国ベーリストーマス社製、逓信省適用品」この時期、最新式安全車は輸入品を採用し、練習用などには従来からある国産のミショー型あるいはダルマ型を使用したと思われる。
明治29年2月発行の『自転車術』 には、具体的な配備状況などが、次のように書かれている。
「『輪』を通信上に使用することは既に欧米の数国に行はれ、 就中米国の運送会社に於て之を用ゆるものあり。 其実効既に著明なる事なるが、本邦に於て之を用いしは実に近年になり。 明治26年度 『逓信省年報』 に実際の成績を記するものあり。 今之を左に抄出『電報配達に在ては其快速を計り、前年度来 東京外三局に自転車を使用せしめしに好果を納め、大に配達上の利益を得たり。尤も土地の状況と、使用の熟練、及車輛の如何とに由りて、利益の程度均しからざるは勿論なれど、孰れも多少速達の効あらざりしものなく 其著き局に在りては、徒歩配達に比し四割四分除の時間を減ずるに至れり。 故に将来之を各局に普及し、而して能く其使用上、地勢と天象とを斟酌せしめば、利便の勘少ならざるや必せり。 今自転車使用上に関する要点を挙ぐれば左の如し。
[一] 夜間及暴風又は雨雪の時に障害あり。
[二] 道路の狭隘、 又は曲折し、 橋若しくは坂多き場所に不便なり。
[三] 遠隔の距離ならざる時は反て昇降等に時間を費して利少し。
[四] 宛所不明瞭なる電報配達には、 捜索の為め数々昇降を要して不利なり。
[五] 使用の当初は数々破損し、随て其修繕費を要する鮮からずと誰も、暫く熟練するに随て、 其数を減ずるものなれば車体の構造如何に速度の関係のみならず、破損の度数にも亦関係尠からされば、構造には大いに注意を加ふべきなり。
二十六年度末に於て、 東京外三局使用自転車は72輌にして、 内56を配達の用に供し、 16を練習用とせり。之を局別すれば左の如し。
配達用 練習用
東京 10 (安全形) 5
大阪 24 (安全形7、達摩形17) 6
横浜 8 (安全形) 4
名古屋 14 (安全形1、通常木製11、一輪半2) 1
以上自転車を通信上に用いたるの事実なり以て其成績如何を知るに足れり。」
なお、 『自転車術』 の巻末にある自転車製造所の広告にも、
「(東京郵便電信局御用) 森田自転車製造所」
「逓信省 (横浜、東京、大坂、名古屋) 各郵便電信局。横浜警察署御用 梶野自転車製造所」
とある。
これらの資料からわかることは、軍と同様郵便局関係でも明治20年頃から、その使用が始まったことが分かる。
その後、東京、横浜などの大都市から地方の郵便局にも普及していき、自転車は、郵便電報配達にはなくてはならないものとなった。
(資料協力: 須賀繁雄、真船高年、岩立喜久雄氏ほか)
日本自転車史研究会の会報「自轉車」54号 1990年9月15日発行より
137年後のスティーブンス - 2
137年後の日本にタイムスリップしたスティーブンスは、2023年9月24日午前10時に長崎水辺の森公園をスタート、その後、大村~武雄~佐賀~太宰府天満宮と順調にサイクリングを続けている。
ビクター号の絵葉書
下の写真は、ビクター号の絵葉書である。
二世紀の勝利者
どちらも当時のリーダー(註、ジョージ・ワシントンとビクター号)
とある。
Victors of two centuries
Both LEADERS of their Time.
Overman Wheel Company
Makers of Victor Bicycles.
Boston. New York. Chicago. Detroit. Denver.
Pacific Coast: San Francisco. Los Angeles .Portland
古い絵葉書-35
北海道の歌志内市(うたしないし)の風景。
極めて不鮮明だが、中央のやや右下に自転車が見える。年代は不明だが昭和初期と思われる。
歌志内市は、北海道中部(道央地方)に位置し、かつては炭鉱の街として栄えたが、その後石炭産業の衰退により人口は減少。2023年8月時点で1459人。(ピーク時の1948年は約46,000人)
三菱十字号 -2
下の写真は六つ折の十字号パンフレット。
ヂュラルミン製の特殊設計車体
軽快でスマートな新型自転車・十字号
緒言
自転車の歴史は随分古く現在のようなダイヤモンド形のフレームに前後同一直径の車輪を配した形式に成ったのは西暦1900年頃で、それ以来細部の構造には多少の変化があったが車体形式は略固してしまった。人々はこの形式をさらに改善しようとすること無く今日に及んでいる。然し一般の工業が非常な速度で進歩している今日、果してこの自転車の構造型式には改良の余地がないであろうか。これが一つのDUJEE号計画の動機である。又、戦時中航空機用材として多量に生産されたアルミニウム合金材は終戦と共に平和産業へ振向けられることに成った。そこでこの材料をもっとも有効に使うということも一つのDUJEE号自転車を計画した動機をなしている。最後に戦時中飛行機工場に設備された多くのプレスを活用しようということがDUJEE号設計の第三の動機である。この三つの動機を基礎として次に列挙するような条件を満たすようにDUJEE号は設計されている。
十字号の特徴
DUJEEの一般的特徴を列記すれば大體次の如きものである
強度 DUJEE號はー般自轉車に比べて約50%強い。
(1) DUJEE號は従來の形式に較べて25% 軽く 50%強い
(2) 女子も乗られて従来の女子用の如く弱くない
(3) サドル高調整範圍が広く、6呎から5呎位の者迄乗れる
(4) 構造が簡單なため度入が容易で修理が簡單である
従って維持に金がいらない
(5) 価格が高くない事
使用材料
車体の材料はおもにアルミニウム合金材(Duralumin) の2粍厚のものを用いハンドルはマグネシウム合金鋳物を用いてある。泥除は1粍のアルミニウム合金材で作ってある。
寸度
DUJEE号・規格自転車
車輪の主径 26 (600mm) ・同左
前フォーク回転軸の傾斜 66°1/2 66° 10
トレール 2.1/4(56mm) 2.1/4 (57mm)
その他ハンドルのサドルの泥除の関係寸度は全日本規格
一般用自転車と殆ど同一である
尚前フォークの部分が従来のものと異なっているように見えるがこれは構造が異なるのみで、ヘツド軸の角度及ヘツド軸と前輪との関係位置 (trail を以て表す)等一般自転車と全く変わらない。この関係は第一図十字号と規格自転車を重ねた全体図によって明瞭に解るであろう。
重量
DUJEE号は一般用自轉車に較べて約25%軽く動く
従来型式の75%の重量にすぎない。
その内訳を示せば次の通りである。
DUIEEE 規格車
全備重量 43lb(19.5㎏) 87lb(26㎏)
正規乗員重量 176lb(80㎏) 同左
荷載上正規重量 110lb(50㎏) 同左
十字號自轉車
三菱重工業株式會社 津工場
三重縣津市上濱町四丁目 二七番地
電話(津) 231・522番
本店機械部
東京都千代田區丸ノ內三丁目八番地 三菱仲六號館
電話日本橋(42) 4845・1682・3850・2072番
本店機械部サービス・ステーション
東京都中央區銀座西八丁目一番地
電話銀座(57)0103・0104番
丸石ピアス
下の写真は丸石ピアスである。
恐らく明治30年代後半の自転車と思われる。
当時の安全型自転車は現存するものが極めて少なく、貴重な自転車である。
現在はどこに保管されているか確認していないが、以前に自転車文化センターで展示されたことがあると記憶している。
なお、ピアスのエンブレムの変更事件については、明治36年7月31日付け萬朝報の記事を参照。
自転車関係資料 - 272
このニュースレター誌は、英国の「サザン・ヴェテラン・サイクル・クラブ」(The Southern Veteran-Cycle Club」の105号、1973年1月15日発行。手持ちのニュースレターの中で一番発行が古い号である。
ニュースとビュー 105(一部抄訳)
図は、1935 年のパリ ショーで展示されたアルシオン リカンベント タンデムである。
W・A・ブッシュ編集、
383 ワンステッド パーク ロード、イルフォード、エセックス
会員の皆様が新年を迎え、特に「健康」であることを心よりお祈り申し上げる。
また、1 年間この会報に寄稿していただいたすべての方々に感謝する。
クリスマス休暇中の穏やかな天気のサイクリングは快適であった。
数日間滞在していたアッキンガムシャーで、数回サイクリングすることができた。 とても素晴らしいサイクリングであった。
軽食テントの周りの群衆の中には、S.V.C.のメンバーが集まっており、そのメンバーの中には、ラン&ラリオン・ジュナス、レス・ペルマー、レン&メイ・ヘッジズ、テッド・コックス、レイ・ベネットもいた。そしてビル・ペリーマンの息子は現在、世界一周自転車旅行でイスラエルに行っている。若いものにとって、素晴らしい経験となるだろう。
正会員、ファミリーへ
1973 年の定期購読料をまだ支払っていない方へのお知らせ。
期限切れなので、規則 3(d)「2 月末日までに会費を支払わない会員は会員であることを辞める」と、指摘したい。
したがって、料金を支払っていない限り、これが最後の号になる。
News & Views と The Boneshaker の年会費は、正会員£1.25ペンス、ファミリー 15ペンス(米国会員 4 ドル)
註、サザン ヴェテラン サイクル クラブは 1955 年に設立。
1987 年 4 月に名称変更、その名前から「サザン」を外し「ヴェテラン サイクル クラブ」
となる。
このクラブの主な定期刊行物は「The Boneshaker」と「News and Views」である。
自転車関係資料 - 271
蟹 : 童謡集 岡村民 著 今日の文学社 昭和11年発行
歌詞、
子供のサイクリング
サイクリングサイクリング朝の風
子供のサイクリングうれしいな
どこまで行っても疲れない
ならんでにこにこ走ってる。
サイクリングサイクリング高い空
ほーらスピード出て来たぞ
何處まで行っても疲れない
ならんでにこにこうれしいな。
サイクリングサイクリングまだ遠い
行け行けならんて元氣よく
どこまで行っても疲れない
元氣てにこにこうれしいな。
ダブルループ型フレーム
このフレーム(ダブルループ型)は何回かこのブログに登場している。
以前撮影した写真が出てきたので紹介する。
このフレームは、平塚の宮川サイクルスポーツで入手。明治期の国産フレームと思っている。
このフレームの出所は、厚木市あった森谷自転車店で、昔からこの店にあったと聞いている。
森谷自転車店の創業は古く、明治40年3月である。
昭和4年の名鑑には、愛甲郡厚木町本町 森谷商店 店主 森谷邦蔵
営業課目、宮田製作所、日米商店代理店、各種自動自転車、販売並びに修繕
とある。
自転車関係資料 - 270
楽しいサイクリング (スポーツ新書) 菅沼達太郎、 前田安雄 著
ベースボール・マガジン社 1956年発行
137年後のトーマス・スティーブンス
昨年の7月3日、日本自転車史研究宛に1通のメールが届いた。
その文面に、
さて、正式な紹介もなく、いきなり連絡をして申し訳ありません。 日本自転車史研究会について、ネット上でいくつかの文献を見つけ、お手紙を書かせていただくことにしました。
私はマーク・ケネディと申します。 日本に長く住んでいるアメリカ人です。 今は九州に住んでいます。 この手紙を書いた理由は、私の大学時代の親友であるアメリカのエリック・ナイト (Eric Knight) が、1886年にトーマス・スチーブンス氏が長崎から横浜まで自転車(ペニーファージング自転車)で行った道を再現するために、来年の夏から秋にかけて日本を訪れたいと考えているからです。 エリックは、アメリカでThe Wheelmenというグループの 「commander・司令官 」(リーダー)である。 彼は自分の自転車を日本に持ち込み、約4週間から6週間、私と共にこのプロジェクト(私たちはこれを「プロジェクトだるま」と呼んでいる)を完成させたいと考えています。 サポート(通訳を含む)には、私のヤマハの電動アシスト付きツーリング自転車を使う予定です。
私たちは、歴史的なルートを守り、潜在的な規制のハードルを回避する最善の方法について相談したいと思います。
On 2022/07/03 11:49, Mark Kennedy wrote:
と云うものであった。
本日、偶々ホイールメンのメタ(フェイスブック)を眺めていた、以下の投稿が目に留まった。
My high wheeler is already in Japan and through customs. Tomorrow I will join it and my friend Mark Kennedy to start acclimating and make final preparations. We will start our epic journey on September 24th from the harbor in Nagasaki.
Eric Knight
私のダルマ自転車はすでに日本に到着し、税関を通過した。明日は友人のマーク・ケネディと最終の準備を始める予定である。2023年9月24日に長崎港から壮大な旅が始まる。
エリック・ナイト
とあり、専用のサイトも既に開設されていた。
三菱十字号
下の資料は、 三菱十字号の輸出向けのチラシ。(1949年頃)
ツインドライブ、十字号
型式、X-867.5-A X-669-A
ボディは、一般的な自転車の菱形フレームではなく、アルミ合金板と同様の合金チューブを直角に交差させた箱型構造となっている。
皇帝の凱旋行列
下の図は、アウグスブルクの芸術家ハンス・ブルクマイアーによる 1516 年の木版画などである。
豪華な装飾されたパレード用の車両で、時に凱旋行列やマクシミリアン 1 世皇帝の花嫁であるブルゴーニュのマリアを讃える行列などに皇帝の命により制作されたものである。
これらの大型車両の豪華な飾と構造などを見ていると、日本の竹田近江のカラクリ陸舩車が矮小に思えてくる。
これらの車両は人力自走車や馬に曳かせるタイプもあった。実際の輸送目的に使用することはなかったはずで、日本の例で言えばお祭りの際の山車や山鉾の類である。
註、
〇ハンス・ブルクマイアー(Hans Burgkmair, 1473年 - 1531年)は、ドイツの画家、版画家。
南アルプススーパー林道サイクリング
渋谷良二
かれこれ30年近くになり記憶も薄れているが、1995年の初秋に南アルプススーパー林道をサイクリングしたことを、知人との会話(杖突峠など)の中で思い出す。
確か写真もあるはずと古いアルバムを探したら出てきた。
このサイクリングは当時の職場の同僚である平林さんが同行した。
アルバムに書かれてある旅程を見ると、次のようにある。
1995年(平成7年)9月1日~2日
茅野駅~杖突峠~高遠~美和湖~長谷村(仙流荘泊)~北沢峠(村営バス)広河原~野呂川林道・夜叉神~芦安~竜王駅。
とある。
茅野駅までは輪行し、この駅で下車して輪行袋から愛車を出す。この日の自転車は携行に便利なモールトンGTである。平林氏はオーソドックスなトーエイ・ランドナーである。
茅野駅からこの日の宿泊場所である仙流荘までの距離は約40㎞である。スタートしてからまもなく杖突峠の登りが始まる。一日目なのでまだ余裕であったが、さすがに峠近くに近づいて来ると大汗もかき疲労も感じた。
杖突峠からはやや下り坂の道が高遠まで続く。この国道152号は景色を見るゆとりもあり、風が心地よく快適に走ることが出来た。
高遠では平林さんが江島の史蹟を見たいと云うので立ち寄る。
江島についてはご存じと思うが、すこし触れると、
江島生島事件は歌舞伎や小説などで有名である。江戸時代中期に江戸城大奥年寄の江島が人気歌舞伎役者の生島新五郎らを相手に遊興、それがスキャンダルに発展し、多くの関係が処罰された事件である。
江島はその罪でこの高遠に遠流となり、ここの「江島囲み屋敷」で26年間も幽閉され、この地で没した。
この史跡などを見たあと、美和湖経由でこの日の宿である長谷村の仙流荘へ向かう。
翌日は朝早くに目が覚め、朝食後に本日のコースの確認と準備を始める。長谷村から北沢峠、広河原へは村営バスを利用。このバスの利用者の殆どは登山者である。サイクリングは我々の二人だけ。
北沢峠は、山梨県南アルプス市と長野県伊那市の境界にある峠で、標高は2,032m。甲斐駒ヶ岳や仙丈ヶ岳などへの登山拠点となっている。
北沢峠を過ぎ広河原からはバスを降り、輪行袋からモールトンを出す。いよいよ初めての南アルプススーパー林道のサイクリングが始まる。
この日のスタート地点の広河原は、日本第二の高峰・北岳の登山口であり、標高は1,592m。夏から秋に多くの登山者が訪れる。
広河原から夜叉神峠までの距離は、約23km。
南側に聳えているはずの雄大な北岳は生憎ガスがかかっていて見えなかった。
途中、何回か休憩し、水分補給をしながら周辺の山々や眼下の野呂川などを眺める。この景気を眺めているだけで疲れも癒えてくる。
終盤の登りを過ぎると、夜叉神トンネルが見えてくる。スーパー林道は標高が高いせいで夏でも涼しくトンネル内は寒いくらいであった。このトンネルを越えれば夜叉神峠である。標高は1770mで、ここから眺める北岳や間ノ岳はまさに絶景であるはずだが相変らずガスがかかっている。
夜叉神峠から芦安経由の竜王駅までの距離は、約30kmである。ここからまた後半のサイクリングが始まる。
周辺の景色を堪能した後、ここから芦安までは急な下りが続く。カーブも多く緊張する。
モールトンのブレーキをかけ続けていたので、芦安に着いたときは、発火するのではないかと思うほど、リムとブレーキシューが高温になっていた。これは小径車輪の欠点とも云える。
どうにか芦安に到着したが、帰りの乗車駅は竜王駅と決めていたので、更にサイクリングを続け、何とか竜王駅までたどり着く。
ここでモールトンを輪行袋に詰め、疲れと思い出も電車に載せて帰路に着く。
土蔵の光もの
ダーズリー・ペダーセン
米国のキース氏からの写真
1989.11.18付け
ダーズリー・ペダーセン 1911年
3速
KEITH、 1989.11.18
Dursley Pedersen 1911
Three speed
足柄・箱根サイクリング
当研究会は、以下のような活動内容が主であるが、何回か健康的な野外活動も実施した。
足柄・箱根サイクリングは、丁度30年前に開催した。
日本自転車史研究会の活動内容:
ー、自転車に関するあらゆる文献、資料、情報の収集調査。
ー、戦前における一次資料の復刻及びコピーサービス。
ー、会報の発行。
ー、資料目録、資料年表の発行。
ー、自転車史全般についての学術的な調査研究。
ー、歴史的自転車の収集、復元、保存。
ー、自転車歴史資料館の運営。
ー、自転車文化セミナーの開催。
ー、インター・ネットを利用しての広報活動。
以上
今回紹介するのがその一つで「足柄・箱根サイクリング」である。
幹事は、八塚、大津、事前にコースを実走済み。(1993年7月31日に下見)
1993年9月25日に実施された。
概要、
足柄・箱根サイクリング
集合場所: 小田急・開成駅 午前9時00分
日時: 平成5年9月25日 (土)
コース: 小田急・開成駅・・・酒匂川サイクリングコース・・・大口公園・文命堤・・・内山・・・矢倉沢公民館・・・・地藏堂・・・夕日の滝・・・金時林道・・・金時隧道・・・金時神社・・・仙石原・・・ 宮城野・・・久野林道・・・自転車歴史資料館見学 (解散)
全行程は、約65km。
用意する車種: 未舗装の道路が一部あるのでツーリング車を推奨。
参加者: 渋谷、村上、八塚、賢賀、大津の5名。
註、当日は天気にも恵まれ、初秋の足柄路及び箱根路を快適に走ることが出来た。
金時林道の登りでは健脚の賢賀氏がダントツで、他のメンバーは遅れがちであった。
金時隧道付近で賢賀氏が待っていてくれ、ここで全員が合流し暫し休憩となる。
ここから先のコースは下りになり、山場は過ぎたことになる。
和留沢から久野へぬけ、途中で更科そば屋に寄り腹ごしらえ。その後、小田原の自転車歴史資料館を見学し、解散となる。