2023年6月29日木曜日

自転車関係資料 - 254

 自転車関係資料 - 254

 「東京教育新誌」伝習社 1886年(明治19年)12月発行より

下の資料はトーマス・スティーブンス関係。

トーマス・スティーブンスが長崎を出発して横浜に到着したのは1886年(明治19年)12月17日で間違いない。

マルトビー氏とは?どうも気になる。スペルが分かればすぐに調べられるのだが。

東京教育新誌 (154)
明治19
国会図書館所蔵

 

自轉車を以て世界を一周せんとす

我國にて自輛車の未た流行に至らず間々市中に乗廻る人を見る位なるが西洋にては随分流行して自轉車雑誌とか云ふものゝある位にて推知るを得べし佛國にては郵便逓送に用い獨逸にては練兵の伝令に用いしよし茲に奇を好むものか此自轉車にて世界を一周せんと思ひ立ちたるものありて其人は本月十七日横濱に到着せりと云ふ又第二の自轉車一周客は最早や印度迄来りし由其第一客はスティーブンス氏にて第二のマルトビー氏なり。


2023年6月24日土曜日

自転車猫

 自転車猫

この画は「團團珍聞」1880年(明治13年)3月13日発行より

この画のタイトルは「自転車猫の野遊」。

多数の猫たちが自転車で遊んでいる。

この自転車を見ると殆どが一輪車であるが、やや左上に1台だけ三輪車が描かれている。恐らく本来はすべて三輪車だが、省略して前輪の部分のみ描いたと思われる。

明治13年ごろはまさに日本ではまだ三輪車の時代であった。

自転車猫の野遊
 團團珍聞 (151)
国会図書館所蔵

同上


團團珍聞とは、明治時代の風刺雑誌。野村文夫が創刊し、自由民権運動を支持した。文芸と戯画で政府や権力者を批判する。
イギリスの雑誌パンチの影響を受けている。
政府の弾圧にも負けずに刊行をつづけた。この團團珍聞は言論史にも影響を与えている。

2023年6月23日金曜日

自転車関係資料 - 253

 自転車関係資料 - 253

下の二つの絵はよく分からないが、自転車の資料として以前から保存している。

年代も不詳だが、描かれている人物や自転車を見ると明治後期と思われる。

カット絵かそれとも漫画の下絵か。

旗とメガホンそれともラッパ
手放しで乗る自転車
日本自転車史研究会所蔵

この絵は自転車競技選手か

2023年6月22日木曜日

陸奔車の中川 説

 陸奔車の中川 説(一部修正版)

「陸奔車」で思い出すのは、確か昭和初期に新聞に掲載され、話題を呼んだ中川泉三氏の陸奔車についての記事である。

その記事の概要は以下のとおりであるが、結論を先に云えば、この中川説の陸奔車は四輪車で前輪がステアリングホイール、後輪が駆動輪で直接地面に接していたことになる。左右の車輪は「遊行車」と云われ、いわゆる遊び車でバランスをとる役割であろう。要するに子供用自転車につける補助輪の役目と同じである。

この後輪を直接の駆動輪とすれば根本的に、より自転車に近い構造となる。

下にある平石時光の図をよく見ると、梶棒の後ろにある「奔車」が「遊行車」よりも大きいのが気になるところである。それに「奔車」と云う言葉も気になる。これが主体的な駆動輪を兼ねている可能性も高い。その逆に「遊行車」は補助輪のようにも見える。

この左右の「遊行車」を外せば正にそれは二輪車であり、ミショー型の後輪駆動方式と云えるかもしれない。伝動効率から云っても直接後輪を回した方が、走行性能は増すはずである。それに軽量化も期待できる。

以前に製作された模型の「陸奔舟車」と後輪が地面に接地する「陸奔車」の模型を製作して、どちらが効率よく走行できるかを比較すれば、判断できるのではないだろうか。クランクの踏み力が後輪に直に作用するのでそれだけ効率が良いはずである。それにハンドルとステアリングホイールの構造からして、少し練習すれば左右の「遊行車」が無くともバランスを取ることができるようになるであろう。

これらのことを踏まえて模型を製作すれば、あるいは証明できるのではないだろうか。現在ある模型と一緒に走らせ、比較するのも一興かもしれない。

陸奔車の特徴を箇条書きにすれば、

一、木製自動車

二、四輪車

三、奔車が駆動輪

四、遊行車は補助輪

五、名前は「陸奔舟車」ではなく「陸奔車」

ということになろうか。 

以下は昭和10423日(火)発行、大阪朝日新聞19210號所載。 

二百年も前に自動車に似た“陸奔車”天文学者の彦根藩士が創製

天文学者の彦根藩士が創製、遺書中から原書発見

江州彦根藩士平石久平治時光は享保年間における天文学者として知られた人であるが彦根町史編纂史料蒐集中の史蹟研究家中川泉三氏はこのほど時光の子息彌右衛門重實が同町長松院境内の鉄塔中に埋めてゐた時光の遺書類中からはからずも陸奔車創製の原書を発見した。

陸奔車とは現在の自動車と同じ乗物で享保十八年に完成試乗に成功したもので、大正初期に舶来の自動車をわが国が輸入し騒いだがすでにそれよりも二百年前に邦人の発明した木製自動車のあることを知っては一驚せざるをえない愉快事で、当の中川氏は「全く今日まで隠れていた発明で邦人の誇りである」と雀躍して喜んでいる。

木製自動車の陸奔車は桐材を使って作られた小舟型の長さ九尺。外面は黒塗、中央に梶を立て、運転者が自らその梶を執って前進する。舟型の下には四輪車があり二輪は中央の左右に現はれ二輪は前後につけ車を隠してその前車。後車を奔車、左右二輪を遊行車と名づけ車は大小ある。速力は一刻に七里を走ると記されているからいまの時間で一時間三里半のスピードが出るわけで進止屈曲も梶によって自由でその原書の賛辞を訳読すると「手に舞し足にて踏む、実にこの器あり行かんと欲するものは足下にて住き、止まらんと欲せば直に止り、曲がらんと欲すれば掌中にて曲る鳴呼奇たる哉」と讃し、機関部は簡単なれど秘して図とせずと断って居るが。

この新考案発明品も当時の権勢者に容れられず「人間には足がある、危険の伴う乗物まかりならん」と叩き壊され文書によてのみその会心の創製を鉄塔下に埋め遺したものである。



新製船の矩(のり) 今、中の巧機(からくり)は、秘して図せず

図中、梶、奔車・遊行車左右・艣車  


駆動装置の図

上の図と比較すると奔車と遊行車の軸の位置が直線上に無い。

奔車からのクランク軸と遊行車軸が明らかにつながっていない。

遊行車に比べ奔車がはるかに大きい。

これは別の駆動装置の考案図であろうか?「秘して図せず」と云う言葉も気になる。

 


資料編

「時代文化記録集成」(4月分)時代文化研究会
1935年(昭和10年)発行 国会図書館所蔵

同上 

「大分県警察史」 2/2 大分県警察部
昭和18年発行
国会図書館所蔵

 

中川泉三(なかがわ せんぞう、 1869 525日~ 1939 1227日) について

日本の歴史家で、滋賀県内の多くの郡志や町志を編纂した人物である。1869年に近江国坂田郡大野木村で生まれ、父が早くに亡くなったため、母親に育てられた。独学で漢詩文や歴史を学び、文筆家としても活躍した。1905年から1939年までに、近江坂田郡志、近江蒲生郡志、近江栗太郡志、近江愛智郡志、近江日野町志などを完成させた。また、近江の聖蹟や曽我氏家記などの著作もある。彦根市史の編纂中に病没。

号は章斉で、徳富蘇峰や小野湖山などと交流があった。神社や寺院の由緒を明らかにし、条里制の研究などでも高い評価を得ている。 

「陸奔舟車」の名称について

以前から気になっていることは「陸奔舟車」のことで、これもどこで変わったか「新製陸舟車(しんせいりくしゅうしゃ)」や「陸舟奔車(りくしゅうほんしゃ)」に変わっていて、この用語がいまでは主流になり、定着していることに違和感を覚える。

日本自転車史研究会のデジタルライブラリーにある大須賀和美氏の、”250年前、彦根藩士「人力自走車」創製の記録(1729- 徳川将軍吉宗の代)をもう一度よく読んで欲しい。 

この資料の中に彦根藩士の平田時光が記録した「新製陸奔舟車之記」という資料があり、その中で「名は陸奔舟車の四字を以てす。(名以陸奔舟車四字)」とわざわざ書いている。 

どこで変わったのか?その大須賀氏の資料の中に確かに「新製陸舟奔車之記」との表紙があり、先の「名は陸奔舟車の四字を以てす。(名以陸奔舟車四字)」と矛盾している。恐らくこの違いはこれらの当時の資料をまとめて綴じるときに誰かが「新製陸舟奔車之記」と表紙を書いたのであり、それが平田時光なのか、誰なのか判然としないが、わざわざ「名は陸奔舟車の四字を以てす。(名以陸奔舟車四字)」とした本人が表紙を書いたとはどうしても考えにくい。 

やはり今後は、「新製陸舟車」や「陸舟奔車」ではなく「新製陸奔舟車」とすべきである。 

現代はネット社会でもあり、オープンAIChatGPTAIBard」などがますます利用され、原典の名称がいつのまにか変化し、それがネット上で拡散していく可能性があり、非常に危惧するところである。 

既にネット上では「陸舟奔車」が定着してしまっている。これを変えるのはほぼ不可能に近いが、これから自転車の歴史について、研究する人や記述する人は是非「新製陸奔舟車」または「陸奔舟車」にして欲しい。 

関連図書

雑誌、憲友 軍警会 [] (軍警会, 1935-06)

雑誌、時代文化記録集成 (4月分) 時代代文化研究会, 1935-05

雑誌、歴史地理 65日本歴史地理学会 編 (吉川弘文館, 1935-06)

中川泉三著作集 : 近江の史家 第6巻 中川泉三著作集刊行会 編

川瀬泰山堂, 1978

大分県警察史 2/2 大分県警察部, 昭和18

雑誌、時代文化記録集成 (1月分) 時代文化研究会, 1935-02

彦根市史 中冊 臨川書店, 1987

彦根市史 中冊 彦根市, 1962

250年前,彦根藩士「人力自走車」創製の記録(1729-徳川将軍吉宗の代)  大須賀和美 1983.03

2023618日、日本自転車史研究会 編

2023年6月21日水曜日

自転車関係資料 - 252

 自転車関係資料 - 252

この雑誌は明治38年に創刊された「清輪」である。

先輩格である「輪友」や「自轉車」の後に発行されたが、これからは国産自転車の時代が来るという意気込みが紙面から感じられる。

創刊号の表紙
1905年3月発行
国会図書館所蔵資料より

当時の自転車製造所や販売店の一覧

2023年6月20日火曜日

太平新楽譜

 太平新楽譜 : 明治開化風俗画帖

画:海室、芝大狂 著 1887年(明治20年)発行

下の画は明治20年代前半の自転車の種類とその形状をあらわしてる。

上は一見ダルマ自転車に見えるが、その下にダルマ自転車はあるので、和製ダルマ自転車かも知れない。一番下は三輪車であるが、この画だと駆動方法が判然としない。

いづれにしてもこの画はダルマ自転車時代の到来を思わせる。

太平新楽譜 : 明治開化風俗画帖
国立国会図書館デジタルコレクションより

「太平新楽譜 明治開化風俗画帖」は、1887年に出版された書籍で、明治時代の風俗を描いた挿絵集である。画は海室で、他にも複数の画家が参加していた。


2023年6月19日月曜日

絵双六

絵双六

これは絵双六の白黒コピーの一部、自転車のある部分を載せる。

自轉車 風をも厭ふ姫御前の風を切ってぞ走り行く。

令嬢と後からサイクリストが追いかけているように見える。


絵双六
明治39年1月1日発行
資料提供:斧 隆夫氏

絵双六(えすごろく)は、盤双六の影響を受けて発達した遊びで、紙に絵を描いてさいころを振って絵の上のマスの中にある駒を進めて上がりを目指すゲーム。江戸時代に始まり、明治、大正、昭和にかけて印刷物として大衆の間に広く流布した。
最近はあまり見かけない。主にお正月の子供の遊びで、雑誌の1月号の付録でもあった。
絵双六にはその時代を反映した様々のデザインがあった。

2023年6月17日土曜日

引き札 - 10

 引き札 - 10

この引き札も以前に白黒コピーでいただいたものである。

左側が欠けていて分かりにくいが、どうやら歯磨き粉販売商店の引き札のようである。

自転車の絵柄などから明治30年代後半と思われる。

資料提供:大阪の斧 隆夫氏
明治30年代後半

2023年6月16日金曜日

自転車と自轉車

 自転車と自轉車

自転車と自轉車の違いは?

一見どうでもよいと思われがちだが、当時の資料を重視するならやはり「自轉車」である。

日本自転車史研究会所の会報名も「自転車」ではなく「自轉車」と、当初から考えていた。これは当時の自転車専門雑誌である「自轉車」を意識して付けた名称であり、この雑誌にたいする敬意をも表している。

人の名前もそうだが、これは一つの固有名詞であり、実際にその漢字があるならば、それを使用すべきではないかと思っている。

陸船車と陸舩車も同様で、やはり「陸舩車」を使用したい。自転車史研究家の真船氏も”江戸中期の自転車「陸舩車」”日本自転車史研究会の会報「自轉車」第 42 号 1988 年(昭和63年)9月15日発行で、そのように表題を付けている。

それと、以前から気になっていることは「陸奔舟車」のことで、これもどこで変わったか「新製陸舟車(しんせいりくしゅうしゃ)」や「陸舟奔車(りくしゅうほんしゃ)」に変わっていて、この用語がいまでは主流になり、定着していることに違和感を覚える。

このブログのデジタルライブラリーにある大須賀和美氏の、”250年前、彦根藩士「人力自走車」創製の記録(1729年- 徳川将軍吉宗の代)”をもう一度よく読んで欲しい。

この資料の中に彦根藩士の平田時光が記録した「新製陸奔舟車之記」という資料があり、その中で「名は陸奔舟車の四字を以てす。(名以陸奔舟車四字)」とわざわざ書いている。

どこで変わったのか?その大須賀氏の資料の中に確かに「新製陸舟奔車之記」との表紙があり、先の「名は陸奔舟車の四字を以てす。(名以陸奔舟車四字)」と矛盾している。恐らくこの違いはこれらの当時の資料をまとめて綴じるときに誰かが「新製陸舟奔車之記」と表紙を書いたのであり、それが平田時光なのか、誰なのか判然としないが、わざわざ「名は陸奔舟車の四字を以てす。(名以陸奔舟車四字)」とした本人が表紙を書いたとはどうしても考えにくい。

やはり今後は、「新製陸舟車」や「陸舟奔車」ではなく「新製陸奔舟車」とすべきである。

自転車がいつのまにか差別用語の「チャリンコ」になり、いまでは「チャリ」が公共放送であるNHKも使用している。自転車を長年趣味としている人にとっては非常に不愉快である。

現代はネット社会でもあり、オープンAIのChatGPTやAI「Bard」などがますます利用され、原典の名称がいつのまにか変化し、それがネット上で拡散していく可能性があり、非常に危惧するところである。

既にネット上では「陸舟奔車」が定着してしまっている。これを変えるのはほぼ不可能に近いが、これから自転車の歴史について、研究する人や記述する人は是非「新製陸奔舟車」または「陸奔舟車」にして欲しい。


2023年6月15日木曜日

コロンビア・エキスパート

 コロンビア・エキスパート 

コロンビア・エキスパート 1885年

54インチの前輪を備えたこの美しい自転車は、明らかに自転車技術の進歩を物語っている。 フロント・フォークも同様である。

フレームは中空パイプ、リムは半円形、前輪のボールベアリングは交換可能である。

このモデルはデラックス版で、価格は125ドルであった。 

サドルは№3のパターン・カークパトリックで、少し後年のタイプである。

註、このコロンビア・エキスパートはスティーブンスが世界一周旅行に使用した自転車である。そして日本の自転車文化に大きな影響を与えた自転車でもある。


18頁
「アメリカからの自転車」 G.J.モエド著

2023年6月14日水曜日

ビクター号

 ビクター号

ビクター・モデル 1892年頃

このクッション・タイヤ・セーフティは、マサチューセッツ州ボストンのオバーマン・ホイール・カンパニー(OVERMAN Wheel Company) によって製造された。 

この自転車の魅力はなんといってもサスペンション・フォークである。 

これは、高品質のばね鋼で4 本のフレームから作られている。 

素晴らしいディテールは、後輪のブレーキで、ボール・ベアリングによってクランクシャフト上で回転する。 

タイヤは、クッション・タイヤの1.5 インチである。快適性を高め、重量を軽減するために、中空のソリッド ・ラバーである。このタイヤはオバーマン社の最高品質の 1 つであった。

アメリカの自転車工場は、このオバーマン社のような良い工場があり、堅牢な自転車が製作され評判になった。 

1892年、この自転車の価格は135ドルである。


26頁
「アメリカからの自転車」 G.J.モエド著より

2023年6月13日火曜日

スターの続き - 55

 スターの続き - 55

「アメリカからの自転車」 G.J.モエド著の間からヴェロラマのパンフレットが3枚出てきた。

表紙にアメリカンスターとカンガルーの写真が載っていた。

これらの2台は安全型自転車が主流になる前に一時的に流行した。

現在でもこの2車種はコレクターの間で人気高い。


パンフレット
ヴェロラマ国立自転車博物館
オランダ・ナイメーヘン

表紙
1991年頃のパンフレット

カンガルー自転車について
ダルマ自転車に代わる、より安全で快適な自転車として 19 世紀後半に登場した斬新的な発明品である。
1876年に設立されたイギリスのコベントリーに本拠を置くヒルマン・ハーバート・アンド・クーパー社によって設計および製造された。1884年2月にロンドンで開催されたスタンレー ショーで初めて一般公開された。
主な特徴は、直径 36 インチの前輪で、両側に 1 対のチェーン ドライブが装備されていた。 チェーンドライブは前輪のペダル下部に接続されていた。 この配置により、前輪が60インチのダルマ自転車と同等のギア比を得ることができ、スピードとパワーが向上した。後輪は小さく直径は 20 インチであった。

2023年6月12日月曜日

自転車関係資料 - 251

 自転車関係資料 - 251

「續々 世界商賣往来」 青山堂 1873年(明治6年)発行

ここに描かれている自転車も前回のものと同様にドライジーネとミショー型自転車が合体したような形状になっている。

「Velocipede」ヴェロシペードを「自転車」とすでに邦訳しているのも興味深い。


「續々 世界商賣往来」明治6年発行
国会図書館所蔵 14コマ

ヴェロシペード 自転車 とある
国会図書館所蔵 18コマ

表紙

世界商賣往来
国会図書館所蔵 52コマ


「世界商賣往來」は、明治初期に再版を含め数冊出版された本である。
商業に関する初歩的な国際知識を紹介する往来物の一つ。
橋爪貫一が著者で、加藤雷洲が挿絵を描いた。
この本は、日本の商業の歴史や現状、世界各国の商業の様子や特徴、貿易や通貨などの基礎知識を分かりやすく説明している。また、海外旅行や外国語の学習などにも役立つ情報が盛り込まれている。
当時の日本が近代化を目指して西洋の文化や技術を積極的に取り入れようとしたことがこの本からも分かる。

2023年6月11日日曜日

アメリカン・スター

アメリカン・スター 

アメリカン・スター 1884年

このアメリカ製ハイホイールセーフティは、ジョージ .W. プレッシーによって、1880 年 10 月 26 日に第 233,640 号及び1880 年 11 月 23 日に第 234,722 号で米国の特許が取得された。

プロトタイプは 1880 年に製作され、その後ニュージャージー州スミスビルの H.B. Smith Machine Company によって生産が開始された。 

初代スターは、フレームが重く、ブレーキが装備されておらず、スポークの交換が難しいなど、多くの欠点を抱えていた。 

このモデルは 1882 年に上記の問題を解決するために改良された。 

スミスは合計で 4000 台のスターを製造した。 

この自転車の特徴はなんといっても小さな前輪と大きな後輪の駆動方式である。 

駆動機構は次のように動作する。ドラムには戻り止めがあり、クランク・アームの下向きの動きによって歯車と噛み合う。同時に、青銅のバネが張られ、トラップアームが確実に元の位置に戻る。


19頁
「アメリカからの自転車」 G.J.モエド著より

2023年6月10日土曜日

自転車関係資料 - 250

 自転車関係資料 - 250

「泰西訓蒙図解」 下巻 田中芳男 訳 文部省、 明治4年12月発行

表紙
国会図書館所蔵

駕車部


自転車あり



『泰西訓蒙図解』は、明治初期に文部省が作成した西洋文化の絵事典。
この本は、子どもたちに西洋の事物や言語を教えるために、多くの挿絵とドイツ語、英語、フランス語で紹介している。例えば、野獣部では、ライオンやトラ、ゾウやキリンなどの動物の名前を教えている。また、駕車部では、馬車や荷車そして自転車も紹介している。この本は、西洋文化に興味を持つ明治日本人の姿を映し出していると云える。

自転車をよく見ると、ドライジーネとミショー型自転車が合体したような形状になっている。この時代(1871年)日本では、まだ自転車の形状とその認識が漠然としていたことが分かる。

2023年6月9日金曜日

ローバー・スター

 ローバー・スター

「アメリカからの自転車」 G.J.モエド著

ヴェロラマ国立自転車博物館、オランダ・ナイメーヘン

「BICYCLES FROM THE STATES」G.J. Moed

NATIONAAL FIETSMUSEUM VELORAMA, NIJMEGEN 1991.


28頁

「ローバー・スター」は、1892 年にH.B. スミス・マシン・カンパニーにより製造。
1892 年の広告には次のように記載されている。 
このタイプは、チェーン駆動の自転車と競合できる。 
ドライブはポニー・スターと同じである。 
しかし、それは成功しなかった。 スミスの自転車部門は閉鎖され、工場は屋外作業用機械の製造に変わってしまった。
この 「ローバー・ スター」は 、たった25 台だけで生産を終了した。

2023年6月8日木曜日

ポニー・スター

 ポニー・スター

「アメリカからの自転車」 G.J.モエド著

ヴェロラマ国立自転車博物館、オランダ・ナイメーヘン

「BICYCLES FROM THE STATES」G.J. Moed

NATIONAAL FIETSMUSEUM VELORAMA, NIJMEGEN、1991.


20頁

ポニー・スター
元”ザ・ホイールメン”の会長
ゲーリー・ウッドワード氏所有
1991年7月1日撮影


「ポニー・スター」は、通常のスターとは異なり、駆動輪が小さいため、安全性が大幅に向上した。 

註、この小冊子の発行年はどこにも記入がないので、取りあえず入手したと思われる年を記入した。1991年~1993年。

2023年6月7日水曜日

自転車関係資料 - 249

 自転車関係資料 - 249

「方今三府往来 : 一名・開花ノ魁」 山本与助 著、 岡本楳園 書

大野木宝文堂 明治8年1月f発行

馬車と自転車の画が左側の上段にあるが、やはり自転車は三輪車が描かれている。

この時代は自転車と云えば三輪車であったことが分かる。


「方今三府往来 : 一名・開花ノ魁」
国会図書館所蔵


「方今三府往来」とは、明治8年(1875年)に出版された山本与助著の紀行文である。一名「開化の魁」とも呼ばれる。この本は、当時の東京、大阪、京都の風俗や文化を紹介するとともに、横浜、神戸などの開港地の様子も描いている。山本与助は、幕末から明治にかけて活躍した文人で、岡本棋園と親交があった。この本は、岡本棋園が書き、長谷川貞信が挿絵を描いた。書肆は大野木宝文堂である、この本は、当時の日本の近代化や西洋化の進展を伝える貴重な資料と云える。

2023年6月6日火曜日

錦絵 - 9

 錦絵 - 9

東京名所 日比谷公園ノ景 明治39年12月15日発行 

東京市日本橋区馬喰町二丁目十四番地 綱島亀吉

赤い帽子をかぶったサイクリストが大きく描かれている。


東京名所 日比谷公園ノ景
日本自転車史研究会所蔵


綱島亀吉とは、明治時代の東京の地本問屋である。2代目まで続いた家業で、辻岡屋、辻亀、島鮮堂と号した。慶応の頃から明治期にかけて、横山町、御蔵前、浅草須賀町、浅草瓦町、馬喰町などで営業した。月岡芳年、守川周重、楊洲周延、3代目歌川広重、中澤年章、楊斎延一などの錦絵や地本草紙を出版した。明治34年から明治37年まで東京地本彫画営業組合の組合長を務めた。

2023年6月5日月曜日

団扇絵 - 8

 団扇絵 - 8

この団扇絵 は、以前から日本自転車史研究会のHPのトップを飾っていたものである。

新たにスキャンしたので掲載する。

郵便局で自転車が採用されたのは明治25年頃からで、当初は国産の木製ダルマ自転車も使用していた。


郵便料金表の団扇絵
明治30年代後半

団扇絵とは、日本の伝統的な美術の一種で、団扇の表面に描かれた絵画のこと。紙や布を竹や木などの骨に貼り付けて作られる。団扇絵の題材は、風景や花鳥、人物や歴史的な場面など多岐にわたる。団扇は、贈答品やお土産としても人気があった。団扇絵は、日本の文化や美意識を表現した独特の芸術である。


日本自転車史研究会のHPのトップ画面

2023年6月4日日曜日

自転車変遷概念図

 自転車変遷概念図

日本の自転車変遷概念図を作成した。極めて大ざっぱで多々異論があると思われるが、長年にわたり自転車資料を眺めて来て、この概念図に到達した感がある。

以前にも日本自転車史研究会の会報「自轉車」第48号 1989年9月15日発行に「日本における初期自転車変遷の試み」として同様な図を載せたことがあるが、それを更に簡略化して作成したのがこの図である。活字だけでは素っ気ないので関連する図も挿入した。

今後もこれをたたき台にして、より実態に近い概念図を作成したいと考えている。


自転車変遷概念図

概念図の説明、
江戸末期~明治19年、三輪車時代
ラントーン車の渡来に始まり、寅次郎の木製三輪車、レンタル三輪車の流行など。 
(註、ミショー型自転車(二輪車)は既に明治初期に存在していたが、極めてまれで、日本人が積極的に乗った形跡はない。)       

明治20年~25年、達磨自転車時代
スティーブンスの来日の翌年に、徳川慶喜がダルマ自転車に乗る、梶野などがコロンビア製ダルマ自転車を輸入販売、鉄砲鍛冶などが和製ダルマ自転車を製作。  
 
明治26年~明治35年、米国車時代
フランク・レンツの来日で、オバーマン社のビクター号が輸入され、梶野がビクター号のアッセンブル製造を始める、その後、主に米国製自転車が石川商会や双輪商会などにより積極的に輸入される。自転車俱楽部やレースも始まる。    

明治36年~大正3年、英国車・国産車時代
日英同盟などを契機にラーヂ号など英国車の輸入が増える。宮田製作所などが国産自転車の生産台数を徐々に増やす。

大正4年~昭和30年代まで、国産車時代
第一次世界大戦を契機に外国車の輸入が激減し、宮田、大日本、岡本などが国産自転車を増産する。その後は新興メーカーも数多く登場する。

10、11頁
会報「自轉車」第48号
1989年9月15日発行

12、13頁

2023年6月3日土曜日

自転車関係資料 - 248

 自転車関係資料 - 248

「通常物懸図教授法」 大月疇四郎 著 明治11年12月1日出版

これも前回同様に自転車として三輪車の図を載せている。

この時代「自転車」と云えば通常はこのような三輪車であったことが分かる。

17頁に、

鉄を以て製造し人これに跨り足にて車の羽(ペダル)を踏み、手にて梶(ハンドル)をとり自由に道路行くなり

とある。

日本での自転車の変遷は、江戸後期から明治19年までは形状の変化はあるものの三輪車が主流であった。

ミショー型自転車(二輪車)は既に明治初期に存在していたが、極めてまれで、日本人が積極的に乗った形跡はない。

自転車(二輪車)が通常物件になるのは、明治20年以降である。


表題
「通常物懸図教授法」 大月疇四郎 著
国会図書館所蔵

16頁

17頁


奥付

2023年6月2日金曜日

自転車関係資料 - 247

 自転車関係資料 - 247

この資料は「東京花毛抜」 (第2号) 1879年(明治12年)

服部応賀 (著)

自転車として三輪車が描かれている。日本の自転車の歴史においては、幕末から明治20年頃までは自転車と云えばこのような三輪車が主流であった。

下段、「・・・・馬鹿な自転車」

などと書いてあるところをみると、当時の自転車に対する批判的な評価を垣間見ることが出来る。

東京花毛抜 (第2号) 3頁
1879年(明治12年)12月1日出版
国会図書館所蔵

「東京花毛抜」 (第2号) の表紙


「東京花毛抜」は、明治時代に発行された風刺小説である。著者は万亭応賀(服部応賀)、挿絵は惺々暁斎(河鍋暁斎)である。明治7年(1874年)から明治13年(1880年)にかけて、東京府の鶴屋喜右衛門や山崎屋清七などから刊行された。

2023年6月1日木曜日

新刊「自転車の起源」

 新刊「自転車の起源」

今年の国際自転車歴史会議の会場で販売されていた新刊本の「自転車の起源」と云う本がアマゾンで販売されていた。

アマゾンのサイト


「自転車の起源」
1巻. 技術の進化
アルフレッド・アッツィーニ著

「Alle origini della bicicletta」
1. L'evoluzione tecnica
Alfredo Azzini

概要、
自転車は世界で最も広く普及し愛されている交通手段の1つだが、その歴史は長く、革新性と好奇心に満ちている。 
最初に自転車を発明したのは誰か?
時間の経過とともにどのように進化したか? 
現在の自転車の主な種類と用途は何か? 
自転車の技術進化の基本的な段階をたどりながら、この本は一つの回答を提示している。

結論として、自転車は、さまざまな時代や文化において人類とともに歩んできた。
その技術的及び社会的進歩は長く魅力的な歴史の結果である。
自転車は、人間の創意工夫が個人と大衆の利便性を向上させるためのシンプルで効果的なソリューションをどのように生み出すことができるかを示す一例でもある。

ビクター号関連 - 11

 ビクター号関連 - 11

昨日、フェイスブックにビクター号が写っている写真がアップされた。

店の前上段中央の自転車に注目。

 

ウォルターズ ・ショップ前
 写真提供:ウォルター・マー
投稿者はホイールメン・メンバーの
ジョン・スコドポール氏 


デトロイトの自分の店の前に立つウォルター。
1899年、ウォルターズ・ショップの住所は、ミシガン州デトロイト、グランドリバー アベニュー 198であった。

ウォルター・ロレンツォ・マーについて、
彼は自動車業界の先駆者でありエンジニア。デビッド・ダンバー・ビュイックと協力して最初のビュイック量産自動車を完成させた。 
1904 年から 1918 年までビュイック ・モーター カンパニーの初代チーフ・エンジニアを務め、1923 年までコンサルティング・エンジニアも務めた。
また、1903 年にマー・オートカーを生産した会社の創設者としても知られている。