2026年1月29日木曜日

自轉車瓦版 第75号

 自轉車瓦版 第75号

昭和60年9月13日発行

★先日、友人から電話があり次のように話してくれた、「この前ブラリと赤坂の自転車文化センターに行った。2階に陳列されているアンティーク自転車をながめていたら、その中に十字号あった。確か瓦版の63号では文化センターにあるのはⅡ型のものだけと記されていたようだが、Ⅰ型とⅡ型の2台が並んで陳列されていた。「Ⅰ型も文化センターにある・・・」私が数年前見に行った時には、確かⅡ型のものしか置いてなかった。その後入手したのであろう。さすが自転車文化センターだ。

★日本で発行された自転車の歴史関係の図書は、極めてわずかだが、本場のヨーロッパやアメリカでは多数出版されている、現在入手可能ではないかと思われる書籍(英語版のもの)に次のようなものがある。

①Bicycle People、② Early Bicycles、⓷King of The Road、④Sturmey's Indispensable Hand book to the Safety Bicycle 、⑤The Moulton Bicycle 、⑥The Story of the Bicycle 、⑦The Victorian High Wheelers、⑧Staley & Sutton 1884、⑨ Bicycles of the Year (Old Ed. reprint 1877、⑩ Reprint Old Linley & Biggs. Practical Hints on Cycling、⑪ Eddy willy Cartoons、⑫ Strange But True、⑬ Simpson Bicycles 1896、⑭ Rover Cycles 1896 、⑮The Bicycle and the Bush. etc 以上の図書は確実に入手できるかどうかかりませんが、問い合わせ等を知りたい方は、事務局までご連絡下さい。(また、他に外国の本で入手可能なものをご存じでしたらご連絡下さい。)

Sturmey's Indispensable Handbook
 to the Safety Bicycle

King of The Road

2026年1月28日水曜日

ヴェロシペード特許関連 - 6

 ヴェロシペード特許関連 - 6

アメリカ合衆国特許庁

ウェストバージニア州ホイーリング在住のデビッド・J・ファーマー

特許第92,808号、1869年7月20日

改良型ヴェロシペード

本特許証に記載され、本特許証の一部を構成する附則

オハイオ州ホイーリング在住のデビッド・J・ファーマーは、新しく改良されたヴェロシペードを発明した。以下は、本特許証の一部を構成する添付図面を参照し、その構造と操作の完全かつ明確で正確な説明である。

図1は、図2の線z-zに沿った縦断面図である。

図2は上面図である

本発明の目的は、通常は陸上で使用するために設計されているが、水上でも同様に走行可能なヴェロシペードを一般向けに提供することであり、これにより、乗り手は湖、川、またはその他の水域に到着したときに、降りたり停止したりして乗り物を変更することなく、直接水域に乗り、水域を横切ることができる。・・・



明細書

2026年1月27日火曜日

自轉車瓦版 第74号

 自轉車瓦版 第74号

昭和60年9月7日発行

★書籍案内、①「これが BMX & MTBだ!」 平木康三著、小学館発行 ¥530-。

②「ぼくらのサイクリングコース」サイクルスポーツ臨時増刊 八重洲出版社発行  ¥700-。

★真船氏にお答えとお願い 

①「瓦版」第48号に糸車に「自転車」という名称のものがあり寅次郎がそれを借用したことも考えられる旨、記述されていますが、これは氏の感違いだと思います。乗物の「自転車」 の製作・販売の許可は明治3年5月。「自転車」どう名称の糸車の考案は明治4年です。糸車が1年遅いのです。この件については、明治48年「長野県政史」発行後まもなく私の職場に寄贈された時に読んで、参考カードを作成、また昭和58年8月9日~ 12日の4日間、長野県立図書館に資料調査( 個人的に)で訪問した時にも一応調べております。 (考案者の館三郎ご子孫の探索を中心として)。

今回の小論では「自転車」という名称の起源については明治3年までのものまで取り上げました。明治4年以降のものは関係がなく記述しておりません(紙数の制限もあり)。

 ②瓦版60号に『「寅次郎がこの車の名称を借りて・・・」 と書いたが、むしろ当時人力によって回転する車輪状のものが付いでる機械は糸車を含めて「自転車」という名称が一般的な使われ方であったようだ。』と書いておられますが、その事実を述べた資料・文献を是非ご教示いただけますようお願いいたします。私も相当調べたつもりでしたが、そのような文献は未見です。やはり調査範 囲が狭かったようです。(藤沢市、齊藤俊彦氏)

下のイラストは「ザ・ホイールマン」誌より

9頁
「ザ・ホイールマン」誌
 1883年発行

同上

2026年1月26日月曜日

ハンバー関連

 ハンバー関連

新型ハンバー・ビーストン・クラブマン(The NEW HUMBER BEESTON CLUBMAN)

の広告

クラブライダーとタイムトライアルライダーのために特別に設計
クラブマンのニーズを知り尽くした男たちによって設計され、自転車製造の第一人者によって組み立てられた、新型ハンバー・ビーストン・クラブマンは史上最高である。仕様を読み、ディーラーの在庫モデルをご覧になれば、その新しい改良点と機能が際立って優れていることがわかる。
フレーム:22インチ、73インチのヘッドアングルと71インチのシートアングル、レイノルズ531チューブを全面に使用。凝ったデザインのラグ。薄いテーパーシートステーとチェーンステー。
フォーク:レイノルズ531チューブの「D」ブレードとソリッドエンドで特別に設計。
ホイール:27x1/4ステンレススチール製高圧リムとステンレススチール製スポーク。
ベイリス・ワイリー・コンチネンタル・ハブ
タイヤ:ダンロップ 27インチ ロードレーシング
ギア:69.0インチと77.6インチ、固定ギア
チェーンホイール:3ピン着脱式、46T フランジ付きレーシングタイプ
クランク:6.1/2段。ペダル:レーシングタイプ
ブレーキ:軽合金製、フード付きレバー
価格:26.16.6ポンド
Sturmay-Archer製3速または4速ギアは注文に応じて供給される・・・

32頁
「バイシクル」誌、1950年1月25日発行

2026年1月25日日曜日

自轉車瓦版 第73号

 自轉車瓦版 第73号

昭和60年9月1日発行

★瓦版の70号に日航機の事故で亡くなった辻氏のことが書かれていたが、同じシマノ工業の塔本正吾氏(宣伝係長)もやはりこの事故に遭遇している。同氏の葬儀は8月24日堺市の東本願寺でしめやかに行なわれた。塔本氏は入社歴も古く、営業から宣伝係に変わり、殆んど一人でなにもかもやっていた人である。当研究会にとっても塔本氏を亡くしたことは大きなマイナスと思っ ている。(大阪市、高橋 勇氏)

☆世界自転車選手権で中野浩一が9連覇を達成。第52回世界自転車選手権はイタリアのバッサーノ・デル・グラッパで行なわれ 、8月24日のプロ・スプリント決勝で、同じ日本の松枝義幸を2-0で破り、みごと優勝した。1977年のサンクリストバル(ベネズエラ)大会以来9連覇をマークし、自己の持つ連勝記録をまた伸ばした。

☆会報“自轉車”のサイズが9月15日発行の第23号よりA5版になる。これは単に印刷の都合によるもので、内容的は以前と同様である。

★この瓦版は既にお知らせしたとおり、1ヵ月に1回以上定期的に情報等を寄せて下さる会員との連絡用(メモ)に発行しているものです。したがいまして全会員には発送されませんのでご了承下さい。なお、バック№を希望の方はご依頼下さい。1部20円(送料とも) で頒布致します。(情報等の提供者には従前より無料配布しております)


2026年1月24日土曜日

ホイールマン誌

 ホイールマン誌

第 2 巻 1883年8月 第5号

ナチュラルブリッジへの旅

フィラデルフィア出身の3人がバージニア渓谷を旅した記録の出版は、熱心なサイクリストにとってこの地域の魅力を多くのライダーに知らしめた。ルレイ洞窟とナチュラルブリッジを訪れ、ブルーリッジの山の景色を眺められるという期待に加え、連続した良好な道の斬新さはこれまで見たことのないことが分かった。一行は数年の経験を持つライダーで、装備の準備は完璧だった。

慎重に検討した結果であり、あらゆる点で満足のいくものであったため、その一行についての簡単な説明は興味深いものとなるだろう。

ワシントンのキャピタル・バイシクル・クラブのマックス・ハンスマン氏、クラレンス・G・アレン氏、L・W・シーリー氏は、ナチュラル・ブリッジを目的地とする3週間のツアーを計画した。提案されたルートは約500マイルの自転車旅行で、ハンスマン氏は48インチの「エクストラ」オーディナリーに乗っていた。・・・


「ホイールマン」誌
第 2 巻 1883年8月 第5号

註、 アメリカ・バージニア州のナチュラルブリッジ
巨大な石灰岩のアーチがそびえ立つ景観、周辺には歴史的ホテル、洞窟、サファリパークなど観光資源が多い。かつては先住民の聖地でもあったと言われ、文化史的な深みもあり、自然地形と人間の歴史が重なる場所である。

2026年1月23日金曜日

自轉車瓦版 第72号

 自轉車瓦版 第72号

昭和60年8月29日 発行

資料版、

「ザ・ホイールマン」誌

サイクリングに関する文学とニュース、イラスト入り雑誌

第1巻 1882年10月~1883年3月 合本版

ボストン ザ・ホイールマン・カンパニー  ワシントン通り608番地  1883年発行

THE WHEELMAN AN ILLUSTRATED MAGAZINE OF CYCLING LITERATURE AND NEWS

VOL. I 1883年

註、 The Wheelman誌は、1882年(ボストン)で創刊された。

発行元:The Wheelman Company(Boston)

印刷は高品質で知られる Rockwell & Churchill が担当し、毎号1万部以上刷られたと云われている

編集者:Samuel S. McClure、自転車王アルバート・ポープ(Pope Manufacturing Company)の依頼で編集を担当した。


自轉車瓦版 第72号

「ザ・ホイールマン」誌
 1883年発行

12頁

パウダーハウス・ロックはかなりの高さにそびえ立つ急峻な岩棚で、その頂上には、地方時代や独立戦争時代に弾薬を保管するために使われていた趣のある小さなレンガ造りの建造物がある。画家がそれをスケッチしている間、他の者たちは曲がりくねったチャールズ川と美しい田舎の村、デダムの美しい景色を眺めていた。デダムの元の名前であるコンテントメントは決して変更されるべきではなかった。
東の通りと間隙の向こうに、長さ4分の3マイルの運河の終点を見た。この運河は1639年にチャールズ川からモッシャー・ブルックに水を引くために作られたものだ。これはアメリカ合衆国で最も古い運河で、「ミル・クリーク」と呼ばれるチャールズ川とネポンセット川を結ぶ連絡路で、6つの町と3つの都市からなる島を形成している。・・・

2026年1月22日木曜日

ヴェロシペード特許関連 - 5

 ヴェロシペード特許関連 - 5

アメリカ合衆国特許庁

ボルチモア在住のエイブラハム・D・トンプソンとジェシー・マーデン・ジュニア

メリーランド州

1869年2月9日、特許第86,787号

改良型ヴェロシペード

本特許証に記載され、本特許証の一部を構成する附則

メリーランド州ボルチモア市および郡在住のエイブラハム・D・トンプソンとジェシー・マーデン・ジュニアは、新しく改良されたヴェロシペードを発明した。以下は、添付図面を参照した、その構造と操作の完全かつ明確で正確な説明である。

本書の一部を構成する添付図面において、図1は側面図である。

図2は上面図である

本発明の目的は、三輪自転車の構造を改良し、ペダルの動きを変えることなく速度と移動に必要な動力を調整・変更できるようにし、足でも手でも、あるいは両方で操作できるようにすることである。これらの目的を達成するために、車両の全体構造が大きく変更・改良されたため、いくつかの重要な利点がもたらされる。



明細書

2026年1月21日水曜日

ホイールマン誌

 ホイールマン誌

第 2 巻 1883年5月発行

ブラックヒルズを巡る夏の散歩、暑い8月後半の夜、旅に出ることを決意した・・・

シャーマンは、あの偉大な英雄にちなんで名付けられた。そしてこの記事の冒頭に名前の由来となった丘陵地帯を散策することを決めた。
反乱の舞台となったロッキー山脈の山頂は、ユニオン・パシフィック鉄道が山脈を横断する場所にある。

註、ブラックヒルズとは  
サウスダコタ州南西部に広がる山岳地帯で、松林が黒く見えることから「ブラックヒルズ」と呼ばれている。 ネイティブアメリカンの聖地、アメリカ建国神話の象徴でもあり、さらに野生動物・洞窟・奇岩・旧西部の街などがある地域。


「ホイールマン」誌
第 2 巻 1883年5月発行

2026年1月20日火曜日

自轉車 第13号 - 4

  自轉車 第13号 - 4

雑誌「自轉車」 第13号 快進社 明治34年8月5日発行

以下は広告、


宮城車店 自轉車 人力車
松下松太郎 自轉車製造修繕所

仁藤商店
クリーブランド
各種自転車販売修繕

石川商會の広告
三大發明兼備 ピアス
バネ枠
休脚制輪軸
無銷ギーア
直輸出入業
橫濱市尾上町六丁目八十九番地
石川商會
神戸市三ノ宮町二丁目
石川商會支店

石川商会 神戸支店
「自轉車」第9号 明治34年4月1日発行

2026年1月19日月曜日

ヴェロシペード特許関連 - 4

 ヴェロシペード特許関連 - 4

アメリカ合衆国特許庁

ウェストバージニア州ホイーリング在住のデビッド・J・ファーマー

1869年7月20日、特許第92,807号

陸上および水上自転車の改良

本特許証に記載され、本特許証の一部を構成する附則

オハイオ州ホイーリング郡およびウェストバージニア州在住のデビッド・J・ファーマーは、新しく有用な改良型陸上および水上自転車を発明した。以下は、本明細書の一部を構成する添付図面を参照しながら、私の発明が属する技術分野の当該業者が本発明を実施できるようにするために十分に完全、明確、かつ正確な説明である。

本発明は、ヴェロシペードの改良された構造、または陸上または水上での使用のために容易に変換できるようにするための特定の部品の配置に関するものであり、これらの部品は、使用に必要がないときは取り外し可能、または邪魔にならないように調整可能である。

本発明の改良点は、水上で乗り物を支持するためのフロートの新規な構造と配置、および必要に応じて水面から乗り物を支持するように調整可能なフロート、および使用していないときは取り外せるように調整可能なホイール、ならびに取り外し可能なフロートの配置と組み合わせて、必要に応じてドラフトホイールまたは外輪を形成するように変換できるように構成されたホイールの使用にある。図面では、本発明のヴェロシペードが水上で使用されている様子が示されている。

図1は、座席を取り外した平面図であり、その位置は点線で示されている。図2は、図1の線z-zに沿った垂直断面図である。・・・


明細書

2026年1月18日日曜日

佐藤半山関連

 佐藤半山関連

下の資料は明治期の月刊雑誌「自轉車」の編集長であった佐藤喜四郎の略歴である。

佐藤喜四郎の長男・佐藤成夫氏が記録したメモ書き。

亡父略歴
明治元年10月20日、福島県伊達郡半田村大字北半田字熊野1番地に生まれる。
父、佐藤彦三郎、母、よし、三男なり、(母よし、そろばん堪能教授す)
明治42年4月16日、半山と改名す。前名を喜四郎と称す。
分家に因りて明治32年5月17日戸主になる。籍を神田区小川町一番地に置く。長兄安太郎(安政6年生る)、次兄金六(東京にてコレラで死亡)、姉ふじ(安政3年)、家業は菓子製造卸小売、眞粉屋(屋号)、小学教員を終えて、桑折町教育養成所(?)に入り後、半田村の小学校教員たり、(15、6頃かー2年)15才~18才まで、18才の時に教員を罷やめて上京。然るに半田銀山の一技師に小学校の如き前途のびぬと勧められ上京18才。俸給5、6円程度か(最初は3,4円か)、中央大学近くの東京法学院卒業卒業後帰郷(半田村)したるが再び出京す。24才か25才の帰郷中、桑折税務署(当時保原から移転しているも少し)使用方を署長から直接25円給与するとかで就職方を勧められる。・・・

(一部読み取れない箇所あり)


1枚目
日本自転車史研究会コピー所蔵
資料提供:真船高年氏
以下同じ

2枚目

3枚目

註、佐藤喜四郎は、明治時代に創刊された日本最古の自転車雑誌『自轉車』の編集長として知られている。
『自轉車』は明治33年(1900年)8月に創刊され、当時としては画期的な第三種郵便物認可を受け、毎月1日に発行された。
内容は、 自転車競争に関する話題が豊富で、競技や技術、軍事利用など多角的な視点から自転車を取り上げ、目次には「自転車」「寄書」「雑録」「倶楽部彙報」「詞苑」などが並び、読者との交流も意識した内容であった。

ラッジ関連 - 11

 ラッジ関連 - 11

 1889年発行のラッジ・サイクル・カンパニー社の自転車と三輪車のイラスト入り価格表

発行年: 1889年

会社名: Rudge Cycle Company, Limited

30頁
ラッジ自転車 No.2
これは、高価なマシンに乗り換えたくないライダーのニーズに合わせて作られたマシンである。低価格で非常に高品質なマシンを提供するという目標を達成できたと考えている。多くの高価なマシンを凌駕する性能であることがお分かりいただける。両輪には特許取得済みのボールベアリングが取り付けられており、使用されている素材は最高級。摩耗部品はすべて丁寧に硬化処理され、ハンドルは上記のように曲げられている。別途、注文がない限り、すべてのマシンにスプーンブレーキとマッドガードが取り付けられている。取り外し可能なカウホーンハンドルバー。
このマシンは非常に低価格であるため、追加料金なしで標準パターンから変更することはできない。
仕上げ:エナメル仕上げ。部品はメッキ。
価格:12ポンド

31頁
ラッジ自転車3号
この自転車は、中流のサイクリング初心者のニーズを満たすため、多くの有力代理店からの要望に応えて発売した。
発売以来、多数の販売台数から見て、この自転車は大きな成功を収めたと言える。
前輪には当社の比類なきボールベアリング、後輪にはコーンベアリングが取り付けられている。弓型スプリング、中空鋼製バックボーン、中空鋼製フロントフォークを備えている。
仕上げ:エナメル仕上げ(黒)。明るいパーツ。シンプルなペダル。
1888年8月のバザール・エクスチェンジ・アンド・マート誌のレビューでは、「高級メーカーによる美しい自転車を求める人には、この自転車がまさにぴったりです。この自転車は驚くほどお買い得です」と述べている。
8:0:0ポンド

32頁
ラッジの特許取得済み非振動スプリングフォーク
これがなければ完璧な自転車ではない。
サイクリングは贅沢品になり、驚くほど快適な乗り心地。
「バイシクルニュース」のコメント:
「ラッジの非振動スプリングフォーク。ここ1、2日、ラッジの非振動スプリングフォークを装着した軽量の自転車に乗っています。これまでのところ、このスプリングはメーカーが謳う通りの性能を発揮しています。荒れた道や小さな障害物を乗り越える際のマシンの軽快さは驚くべきものです」
図1~3、特許取得済みの取り外し可能なスイングハンドル

裏表紙

2026年1月17日土曜日

ICHC関連

 ICHC(国際自転車史会議)関連

第35回国際自転車史会議は、ジャワ州クラテン、インドネシアで2026年5月16日〜20日の間に実施される予定。

プランバナン寺院の美しさと雄大なメラピ山に囲まれた場所で開催される。この会議は、単なる学術的な集まり以上のものであり、アイデンティティの祭りでもある。サイクリングの伝統、活気あるコミュニティ、深く根付いた精神文化を持つインドネシアでの開催は有意義である。
主催・協力団体
KOSTI(Komunitas Sepeda Tua Indonesia) インドネシア最大級の古自転車コミュニティ
Penny Farthing Indonesia(PFI)ペニーファージング文化の保存・普及団体

以下は小林恵三氏の著作集

小林恵三氏(フランス/日本)。19歳の時に自転車で日本一周旅行をし、それ以来自転車の歴史に興味を持つようになる。1993年にはドライジーネとミショーの自転車に関する論文を執筆し、ドライジーネ200周年とミショーの自転車150周年の記念事業にも積極的に参加した。

〇ミショー型の発明者:ミショー、オリヴィエ、それともラルマンか?

〇自転車史に関する資料と参考文献

〇 オリヴィエ兄弟 

〇カール・フォン・ドライスからピエール・ミショーまで、1818年~1861年

〇ミショー型自転車に関する番号

〇 パリのドライジェンヌ(ホビーホースまたはダンディホース)、1817年~1820年

〇フランスにおけるドライジーネ200周年記念の功績、1818年~2018年


ドライスからミショーまでのヴェロシペードの歴史
1817-1870
小林恵三 著 1993年発行 フランス語版

1818年から1983年の間に出版されたフランス語書籍一覧
小林恵三 著
フランス自転車連盟 1984年発行

2026年1月16日金曜日

ラッジ関連 - 10

 ラッジ関連 - 10

 1889年発行のラッジ・サイクル・カンパニー社の自転車と三輪車のイラスト入り価格表

発行年: 1889年

会社名: Rudge Cycle Company, Limited

27頁
ユース・バイシクル No.2
7歳から16歳までの子供に適している。
仕様:26インチホイール。前輪にスプーンブレーキ。両輪にスタンレーヘッド、5/8インチタイヤ。頑丈なフレーム。
仕上げ:エナメル仕上げ。メッキパーツ
価格:7.10ポンド

28頁
ラッジ新型レーシングバイク
このマシンは、イングランド、スコットランド、アイルランド、フランス、ドイツ、デンマーク、スペイン、ノルウェー、アメリカ、オーストラリアのアマチュアおよびプロの選手権で優勝した。
「ラッジ」レーサーはあまりにも有名なので説明は不要。そのすっきりとしたコンパクトな外観と、強度、軽さ、剛性を極めた特許取得済みのタンジェントホイールに注目していただきたい。ハンドルバーは、特に注文がない限り、上記のように中空で曲げられている。当社の有名な特許取得済みボールペダルとベアリングが取り付けられている。バックボーンとバックフォークは一体型であるため、破損の可能性が低く、軽量化されている。このマシンは世界で最も軽量、最強、そして最も剛性が高いと断言できる。22ポンドのマシンが14ストーンの男性(世界チャンピオン、R.ハウエル)によって定期的に乗られていることがその証拠である。ベアリングはフォークにろう付けされている。
仕上げ:エナメル
メッキパーツ
価格:18.10.0ポンド
54インチマシンの正味重量は、サドルとペダル一式で、21ポンド。
この有名なマシンは、1マイルを2分31秒8という驚異的なタイムを達成した。
1マイルから25マイルまでのすべての記録を保持している。

29頁
ラッジロードスター自転車 No.1
スポークは特殊鋼製で、ハブで突き合わせ、改良された方法で組まれている。今年、当社が使用した数十万台のうち、スポークが破損したことはない。ベアリングは、よく知られている「ラッジ」特許取得の防塵ベアリングで、ボールは硬化鋼で作られている。
車軸溝はスリーブなので、スピンドルの安全性を損なうことなく適切に硬化できる。ハブのフランジはベル型になっているため、ベアリングをそこに埋め込むことができ、スポーク間のホイールの幅を狭めることなく、トレッドを狭く快適にすることができる。ハブが狭いと、ホイールが座屈しやすくなる。改良された取り外し可能なハンドルバーは、乗り心地を大幅に向上させ、収納スペースも小さくてすむ。スプーンブレーキが装備され、ハンドルはライダーに適したドロップに曲げることができる。ペダルは当社独自のボールで、強度と軽量性のためにテーパーピンが付いている。ステップは調整可能。このマシンはレーサーと同じラインで作られており、外観、安定性、そして走りやすさにおいて比類のないものである。
仕上げ:エナメル仕上げ。メッキパーツ。
価格:18.10.0ポンド。

2026年1月15日木曜日

自轉車瓦版 第71号

 自轉車瓦版 第71号

昭和60年8月26日発行

☆この程、真船高年氏から”ザ・ホイールマン”のコピーを送っていただいた。この資料については以前瓦版の№.26で紹介。同氏が東京の雄松堂という古本屋から入手したもの。内容は 「THE WHEELMAN」誌が3巻に合本されており、 VOL.1は1882年10月~1883年3月, VOL.2は1883年4月~1883年9月、VOL.3は 1883年10月~1884年3月までとなっている。 1883年(明治16)と言えば、既にオーディナリー型自転車の最盛期を迎え、あらゆる点で完成された時期である。このためホイールメン誌の内容もオーディナリーでのツーリングやレースなどの記事である。
ところでこの雑誌は、 発行元のアメリカではどのような厂史的位置づけがなされているのであろうか。 興味深いところである。

ザ・ホイールマン
サイクリングに関する文献とニュース
イラスト入り
第 2 巻
1883年4月~9月
THE WHEELMAN
AN ILLUSTRATED MAGAZINE OF 
CYCLING LITERATURE AND NEWS
VOL. II
April-September, 1883

ザ・ホイールマン
第二巻 1883年5月
ブラックヒルズを巡る夏の散歩

スプリングフィールド・バイシクル・クラブ
ジョージ・M・ヘンディー

2026年1月14日水曜日

図書目録

 図書目録

パリ在住の自転車歴史研究家、小林恵三氏の最初の書籍は下の図書目録であった。

ΚΕΙΖΟ ΚΟBAYASHI

POUR UNE BIBLIOGRAPHIE DU CYCLISME

Répertoire des livres en langue française édités entre 1818 et 1983

小林恵三 著

サイクリングの書籍

1818年から1983年の間に出版されたフランス語書籍の一覧

フランス自転車連盟 1984年発行


自転車関係図書目録

サイクリング文献目録
序文

フランス自転車ツーリング連盟 - 文化・倫理・遺産委員会 2015年発行
サイクリング文献 2014年
(フランス語で印刷された書籍)
小林恵三氏によるサイクリング参考文献の更新と追加は毎年恒例の第 30 回目であり、この小冊子はデジタル化されたデータベースでは第 26 回目となる。
表示は現行の目録規則に準拠しているが、若干簡略化されている。本調査の範囲とは厳密に関連しないタイトル(定期刊行物や発行部数が非常に少ないものなど)、あるいは記録が不完全なタイトルについては、補足参考文献として記載している。
該当する場合は、主参考文献に追加する。一部の例外を除き、再版は体系的に記載されないが、データベースに注記として追加されている。

2026年1月13日火曜日

自転車年表 更新

 

自 転 車 年 表
西暦記     事
600年頃日本最古の車輪、車輪の直径は約1.1メートル、スポークが12本。 (飛鳥時代)
1200年頃三輪車の模型、長さは40センチ・幅21センチ、前輪の直径は9センチで後輪は欠損。 (鎌倉時代)
1420年パドヴァのジョヴァンニ・フォンタナ、手動式のウォーキングチェアを考案。(応永27年)
1516年マクシミリアン1世の豪華に装飾されたパレード用車両。(永正13年)
1649年ドイツ・ニュルンベルクのハンス・ハウチュ、自走式の四輪車を製作。(慶安2年)
1655年ステファン・ファーフラー(Stephan Farffler)、手動ペダル・クランク式自走三輪の車椅子を製作。 (明暦元年)
1662年大坂農人橋の住人、京屋七兵衛と京屋清兵衛は灌漑用の踏車を製作。 (寛文2年)
1690年フランス・ロシェルの医師 M.リチャード、馭者と後に乗る従僕(Footman)の足踏み式四輪車を製作。(元禄3年)
1724年頃興行師、竹田近江の人力自走車、陸舩車(りくせんしゃ)が 「璣訓蒙鏡草」三巻、多賀谷環中仙著(享保15年発行)に掲載。(享保9年頃)
1729年武藏国兒玉郡若泉庄北堀村の農民、正田門弥が「千里行車・せんりこうしゃ」と呼ぶ舟型四輪の人力自走車を製作。(享保14年)
1732年平石久平次、新製陸奔舟車(人力自走車)を製作、足踏み式ペダル・クランクとハンドルによる方向転換可能。(享保17年)
1781年頃三河国宝飯郡御油の戸田太郎大夫、木製の三輪車を作る。 (天明年間)、『欧州大戦当時の独逸』ベルツ花子 著 昭和8年発行
1817年ドイツのカール・フォン・ドライス男爵、ドライジーネを考案。この自転車はほとんど木で作られ、重さは18kg。その後の二輪車の発展に大きく寄与。
1818年ドライス男爵、パリのリュクサンブール公園で、ドライジーネを初めて公開。
イギリスのデニス・ジョンソンは、ドライジーネを改良し、特許を取得。これが流行して、ホビーホースとかダンディーホースと呼ばれる。
1839年イギリスのカークパトリック・マクミランが、後輪駆動の二輪車を考案。これにより二輪車として、初めて地面から足を離すことができた。しかし、この自転車は当時のものが1台も現存していないことから、疑問視する研究者もいる。
1855年ドイツのフィリップ・モリッツ・フィッシャーが前輪にペダル・クランクを付けた二輪のベロシペードを開発。
1861年フランスのピエールとエルネスト・ミショー親子は、前輪にペダ ル・クランクを装着した二輪車を製作。
1862年松平文庫(松平宗紀氏蔵・福井県立図書館寄託)の「御用日記」 に、「ビラスビイデ独行車」の記述がある。その資料には次のように書いてある。 「権六(佐々木権六)罷出ビラスビイデ独行車相廻り組立出来靭負(家老、中根雪江)も罷出御馬場辺御乗試被遊候」(文久2年)
1865年ミショー・カンパニー、ベロシペードの生産台数を400台に伸 ばす。自転車工場が一つの企業として確立される礎となる。
「提督の物語」(AN ADMIRAL'S YARNS) チャールズ・ホープ・ダンダス著、 1922 年発行に三輪車の写真(1865年とある)、1869 年のエリオット・ヴェロシペードに似ている、場所は横浜居留地か。(慶応元年)
1866年ミショーの下で働いていたピエール・ラルマンは、アメリカに渡り 、自転車の特許を取得。
1868年からくり儀右衛門(田中久重)、二輪車と三輪車を製造する。彼の弟子、川口市太郎の手記にある。
パリのサン・クルー公園で、最初の自転車レースが行われ、イギリス人のジェームズ・ムーアが優勝。
横浜居留地の外国人が、ラントン車で、横浜~東京間を往復。このことが、風刺漫画『ジャパン・パンチ』に掲載。(明治元)
1869年7月30日、ノーフォーク・バイシクル (THE "NORFOLK" BICYCLE)は、イギリスの雑誌「英国のメカニック そして科学と芸術のミラー」1869 年 7 月 30 日号(「THE ENGLISH MECHANIC AND MIRROR OF SCIENCE AND ART」July 30, 1869)に掲載。ベルト・ドライブ方式の安全型自転車。
パリで、最初のサイクルショーが開かれ、パイプ・フレーム、泥除け、ワイヤー・スポーク、前輪ブレーキなどの新しい発明品が多数展示。
パリの時計製造人、ギルメとメイヤーの両人がチェーンを使って後輪を駆動させるセーフティー型自転車を造ったといわれる。(明治2)
1870年4月29日、竹内寅次郎、東京府へ自転車の製造及び販売の許可を出願。
この頃版行された多数の錦絵に自転車が描かれている。特に三輪車が多く、ラントン車の影響を思わせる。
イギリスのジェームズ・スターレーとウィリアム・ヒルマンは、アリエルというオーディナリー型自転車を製作。スターレーは、その後も自転車の発展に大きな業績を残し、”自転車の父”と呼ばれる。
8月、大阪布令に、自転車行人の妨害少なからざるに付き、途上運転を禁ず、とある。
普仏戦争のバルフール包囲戦で伝令に自転車を使用。 (明治3)
1871年8月20日付の横浜毎日新聞の外国商人輸出入欄に、自転車二ツ、とある。
9月30日、イタリア人のエミール・ヴィアレンゴ・ド・フォルヴィル、変速システムを備えた後輪駆動の女性用二輪車を発明し、フランスで特許取得。 (明治4)
1872年7月18日付の東京日々新聞、東京府の車税に、自転車一ケ月6銭7厘、とある。(明治5)
1878年3月、竹内寅次郎が、東京府へ大型自転車の製造・販売の許可を申請。(明治11)
1879年梶野仁之助、横浜蓬莱町で自転車製造所を開業。 (明治12)
1881年2月1日付の東京横浜毎日新聞にスターレー、サットン製造の三輪車、横浜ブラット商会の広告あり。
3月1日~6月30日、東京で第2回内国勧業博覧会を開催。自転車の出品者は鈴木三元、斎藤長太郎、坂口清之進。
10月、福島の鈴木三元、東京府へ新発明三元車の製造発売願書を提出。(明治14)
1883年宮武外骨、自転車に熱中する。 (明治16)
1884年オーストリア・ハンガリー帝国陸軍は、初めて自転車部隊を編制。(明治17)
1885年ジョン・ケンプ・スターレー(ジェームズの甥)は、初めて前後輪同径の自転車ローバー号を造る。セーフティー型の原型といえる。
フランス陸軍第87歩兵連隊のジェラール大尉は重さ14キロの折畳自転車を考案。 (明治18)
1886年アメリカの自転車世界一周旅行者、トーマス・スティーブンス来日。(明治19)
1887年アメリカのオバーマン・ホイール・カンパニーが、前輪にスプリング・フオーク(サスペンション装置)を取り付けたビクター号を開発。 (明治20)
1888年東京浅草の向山嘉代三郎、帝国自転車製造所を開業。
イギリスのジョン・ボイド・ダンロップ、空気入りタイヤの特許を取得。(明治21)
1889年2月、横浜高島町の梶野自転車製造所、オーディナリーの挿絵が入った広告を新聞に載せる。
11月5日、福沢桃介がアメリカからビクター号(セーフティー型自転車)を携えて帰朝。(明治22)
1890年4月1日~7月31日、東京上野で、第3回内国勧業博覧会を開催。自転車の出品者は、山崎治兵衛(製造者・梶野仁之助)、向山嘉代三郎。
『乗方指南 自転車利用論 完』金澤来蔵著 普及舎 明治23年9月14日発行 日本最初の自転車専門書(明治23)
1891年国友鉄砲鍛治師がダルマ自転車を製作。(明治24)
1892年逓信省(現郵政省)、自転車を初めて電報配達に使用。 10月、宇都宮で行われた陸軍特別大演習で、中島中尉が初めて自転車を使用。
11月、フランク・G・レンツが自転車世界一周旅行で来日。
北越新発田の刀匠がダルマ自転車を製作。(明治25)
1893年我国最初の自転車倶楽部、日本輪友会設立。クラブ誌”自転車”を発行。
明治23年頃から自転車の修理及び試作車を手掛けていた宮田栄助、本格的に自転車の製造販売を開始。
森村兄弟、東海道をサイクリング。
ダーズリー・ペダーセンは、独創性のある三角フレームの自転車を製作。イギリス軍はこれをボーア戦争で使用。 (明治26)
1894年日清戦争勃発(明治27年7月-明治28年4月)李氏朝鮮をめぐる日本と清国の戦争。 (明治27)
1895年4月1日から7月31日、京都で第4回内国勧業博覧会を開催。自転車の出品者は、宮田栄助、梶野仁之助、橋本峰松。
アニーロンドンデリーが自転車世界一周旅行で来日。
ファニー・ブロック・ワークマン婦人、夫のウイリアムと自転車でアトラス山脈を越えサハラ砂漠に至る。 (明治28)
1896年1月19日、日本に初めて登場したオートバイ、ドイツのヒルデブラント&ヴォルフミュラー(Hildebrand & Wolfmüller)、十文字商会の十文字信介が輸入し皇居前で試運転。
渡辺修二郎著『自転車術』が、少年園から発行。(明治29)
1899年1月2日、JWM紙(The Japan Weekly Mail)、明治29年12月26日に行われた国府津~横浜間のレース結果を掲載。
7月24日、時事新報、森田自転車製造所の国産自転車が清国へ初輸出。
11月6日、JWM紙(The Japan Weekly Mail)、NBC(Nippon Bicycle Club)と大日本双輪クラブの合同サイクリングを実施。
(明治30年)
1898年11月6日、上野不忍池で、内外連合自転車競走運動会開催。(明治31)
1899年1月20日、毎日新聞、全国自転車乗熟練家投票。
4月29日、JWM紙、NBCの藤沢ー国府津間自転車ロードレース。
4月、自転車乗用速成術 村松武一郎著 横浜内外商事週報社 発行。
(明治32年)
1900年2月1日~、東野学士の自転車旅行。雑誌「今世少年」第1巻第2号 春陽堂 6月20日発行。
6月、アメリカのシッド・ブラック一座、東京座などで自転車曲乗りを上演。
8月、初の自転車専門月刊誌『自転車』創刊。
8月、鶴田勝三、ボーンらは自転車で富士登山を決行。
義和団の乱勃発(1900年6月20日-1901年9月7日)日本軍は第五師団(約8000人)を派兵。 (明治33)
1901年10月、月刊誌『輪友』創刊。(明治34)
1902年1月30日、日英同盟締結。
4月21日、徳島輪友会員宮崎紀元太、日本全国自転車旅行に出発。
劇作家の松居松翁著『自転車全書』刊行。
中村春吉、自転車世界無銭旅行に出発。 (明治35)
1903年読売新聞に小杉天外の『魔風恋風』が連載。
静岡県掛川市の松平義一郎、自転車で日本一周に出発。  (明治36)
1904年日露戦争勃発(明治37年2月6日-明治38年9月5日)朝鮮半島及び満州南部でロシア軍と激戦。一部伝令などに自転車を使用。 (明治37)
1905年2月15日、雑誌 ”清輪”を創刊、清水卓編集 清輪社。
11月12日、東京有志聨合大競走会 不忍池畔にて開催。 (明治38)
1906年埴 亀齢(はにかめとし)、三輪車を製作。(明治39)
1907年5月、大阪~日光間千哩レース 大阪新報主催。
11月16日、時事新報、東京・小宮山長造、京都・砂田松次郎の一騎打ちは砂田の勝利。 (明治40)
1908年月刊誌『輪界』創刊。
石川商会解散。(明治41)
1910年三越百貨店、白塗りX型フレームの自転車を使い、メッセンジャーボーイを組織。(明治43)
1914年2月20日、大久保素公(25才)、自転車世界一周旅行へ。
8月、探検家の菅野力夫 自転車で第2回世界探検旅行へ。
第一次世界大戦が勃発。自転車・部品の輸入が激減。国産車の量産体制化が始まる。(大正3)
1915年宇佐川正輝、自転車世界一周旅行へ。
前輪にガソリンエンジンを取付けたAutopedがアメリカで発売。(大正4)
1916年大日本自転車(株)設立。東京業平橋の工場で、国産ラーヂを製造。(大正5)
1920年自転車税の減廃運動が高まる。(大正9)
1922年上野で開催された平和記念東京博覧会の余興で、米人オスカー・バブコップが自転車曲乗りを公演。(大正11)
1923年9月、関東大震災により、一府六県の自転車業界は大打撃を被る。渡辺承策著『自転車の経済と其活用』刊行。(大正12)
1926年6月、川室 競(かわむろ きそう)選手、ツール・ド・フランス(第20回)に日本人として初めて出場。(大正15)
1928年全国自転車保有台数500万台を突破。(昭和3)
1929年輸出組合法により、日本自転車輸出組合設立。 (昭和4)
1931年満州事変勃発(昭和6年9月18日-昭和8年5月31日)柳条湖事件に端を発し、関東軍により満州全土を占領。 (昭和6)
1932年日本自転車工業組合連合会(自工連)設立。 (昭和7)
1933年岡山県の三森義雅(74歳)は津山から東京まで自転車で旅行。
国益チェーン(株)、宮田、新家、丸石各社の出資により設立。(6年後に大同工業KKと改称)(昭和8)
1934年日本サイクル競技連盟を結成。(昭和9)
1935年4 月 23 日付の大阪朝日新聞の記事に陸奔車という木製自動車あり。 (昭和10)
1936年日本サイクル競技連盟、国際サイクリスト連合(UCI)に加盟。
第11回オリンピック・ベルリン大会開催。
スイス・チューリヒでの世界選手権で、出宮順一選手が7位と健闘。
日本学生自転車競技連盟の結成。(昭和11)
1937年6月19日、芝公園競技場で第1回学生自転車競技大会を開催。
機械輸出部門で、自転車・部品・付属品の実績がトップを占める。
日本学生自転車競技連盟は、日本サイクル競技連盟に包含され、日本自転車競技連盟が発足。
(昭和12)
1939年9月、初の本格的トラック競技場、大宮公園双輪場落成。 (昭和14)
1941年太平洋戦争始まる。
国家総動員法に基づく、機械鉄鋼製造工業整備要項により、1,348社の自転車・部品製造業は113社に統合。(昭和16)
1942年マレー、ジャワ作戦で、銀輪部隊が活躍。 (昭和17)
1945年第二次世界大戦が終り、一部で自転車生産を再開。 (昭和20)
1946年各地の自転車工場が、賠償管理工場に指定。
宮田製作所、フレーム・パイプの接合に、フラッシュ・バット(電気溶接)技法を実用化。(昭和21)
1947年軍需工場から自転車メーカーへの転換が相次ぐ(三菱重工津機器など10数社)。
三菱重工、ジュラルミン製の十字号を発売。(昭和22)
1948年8月、自転車競技法成立公布。社団法人自転車振興会連合会設立。
11月、九州小倉で、競輪が始まる。
ブリジストン自転車、ダイカスト工法によるフレーム製作の開発研究を開始。
自転車工業会設立。(昭和23)
1950年完成車の統制廃止。
朝鮮動乱が始まり、大手軍需工場の“転換メーカー”は、自転車業界から姿を消す。
外国製自転車の研究事業始まる。(昭和25)
1951年自転車工業会を改組し、日本自転車工業会として発足。
第1回アジア大会(インド)の自転車競技各種目で、日本選手活躍。
第1回秩父宮杯日米対抗自転車競技大会開催。(昭和26)
1952年東大理工学研究所で、自転車走行時の空気力学に関する風胴実験を実施。
第1回読売杯全日本プロ・サイクル・ロードレース開催。
国内の自転車保有台数1、200万台を突破。(昭和27)
1953年モーター・バイクの流行により、自転車メーカーも参入。
自転車用電縫鋼管の量産体制確立(東芝鋼管)。
日本自転車輸出組合設立。(昭和28)
1954年日本サイクリング協会設立。 (昭和29)
1956年第1回全国高校自転車道路競走中央大会開催。
車籍登録始まる。(昭和31)
1957年世界自転車競技選手権大会(プロ)に、日本競輪選手初参加。
日本自転車競技連盟(FJC)が設立し、国際自転車競技連盟(UCI)に加盟。
財団法人日本自転車産業調査会設立。(昭和32)
1958年自転車税撤廃。財団法人自転車技術研究所設立。
自転車タイヤ工業組合が発足。(昭和33)
1959年日本自転車工業協同組合連合会発足。 (昭和34)
1960年国内自転車生産量300万台を越える。
10月、イギリスのアレックス・モールトンがモールトン型自転車で特許を取得。 (昭和35)
1961年ブチル・チューブのタイヤが普及。
自転車技術研究所で、4本車輪締上機A2型完成。(昭和36)
1962年軽快車、子供車が主要生産車種となり、需要伸びる。 (昭和37)
1963年財団法人日本サイクリング協会(JCA)設立。
アメリカ向け自転車輸出、大幅に伸びる。(昭和38)
1964年財団法人自転車産業振興協会設立。
東京オリンピック開催、八王子地区でピスト・ロードの自転車競技を行う。
10月22日、大宮政志選手男子個人ロードで36位と健闘。(昭和39)
1965年財団法人日本サイクルスポーツセンター設立(CSC)。 (昭和40)
1966年自転車道路建設促進協議会が発足。
スポーツ車のブームにより、多段変速機付き自転車の生産急増。 (昭和41)
1967年神奈川県、平塚市と大磯町の間を流れる金目川沿いに、延長13、4kmの自転車専用道完成。
東京・科学技術館で、第1回サイクルショー開催。
全日本実業団自転車競技連盟設立。(昭和42)
1968年日本競輪学校、静岡県修善寺町に移転。
神宮外苑サイクリング・センター開設。
財団法人自転車道路協会設立。(昭和43)
1969年国内自転車生産量400万台を越える。ミニサイクルの伸び率急増。(昭和44)
1970年自転車道の整備等に関する法律、公布施行。 (昭和45)
1971年財団法人日本自転車普及協会設立。
アメリカでバイコロジー運動が提唱。
ロールスロイスの技術者であった英国のハリー・ビカートンは、ポータブル自転車を設計し販売する。 (昭和46)
1973年第1次オイルショックの影響により、自転車生産量941万台の新記録達成。 (昭和48)
1976年都市近郊の駅に放置自転車が多くなる。 (昭和51)
1977年世界選手権自転車競技大会(ベネズエラ)で、中野浩一がプロスプリントレースに初優勝。(昭和52)
1978年第1回全国高校選抜自転車競技大会開催。 (昭和53)
1979年自転車安全整備士、組立整備士制度発足。 (昭和54)
1980年自転車の安全利用の促進及び自転車駐車場の整備に関する法律、制定。 (昭和55)
1981年5月を自転車月間と定め、諸行事を開催。
自転車文化センター開所。
6月1日、日本自転車史研究会発足。
8月20日、鳥取県米子市で日本初のトライアスロン大会となる、皆生トライアスロン '81を開催。 (昭和56)
1982年第1回国際サイクルロードレース大会が、東京と大阪で開催。
仙台でシティサイクルシステム(CCS)の実験が行われる。
マンテンバイクが流行始める。(昭和57)
1983年第1回国際デザイン・フェスティバルが大阪で開催。同会場では自転車の変遷を実車により展示紹介。(昭和58)
1984年3月、(財)自転車普及協会、自転車文化センターで、明治自転車文化展を開催。
オリンピック・ロスアンゼルス大会、男子スプリント競技で、坂本勉が銅メダルを獲得。 (昭和59)
1985年ブリジストン自転車、構造接着工法、開発。
国内でもトライアスロン競技が盛んになる。(昭和60)
1986年世界選手権自転車競技大会(アメリカ)で、中野浩一がプロスプリントレースに10連勝達成。(昭和61)
1987年日本最大規模のステージレース、“ツール・ド・北海道”開催。
10月、(財)自転車普及協会、自転車文化センターで、第1回ハンドメイドバイシクル展を開催。(昭和62)
1988年日本自転車競技連盟(FJC)が解散。(昭和63)
1989年サイクルスポーツカーニバルを東京ドームで開催。
ナゴヤで開催された世界デザイン博でオーディナリーによるレースが行われる。(平成元)
1990年世界選手権自転車競技大会が日本で開催(アジアで初めて)。
タンデムレースで高校生ペア(稲村・斎藤)が銀メダルを獲得。(平成2)
1991年アメリカ、オハイオ州フィンドレーで行われた第11回国際ベテラン自転車ラリーに日本から初参加。(平成3)
1992年財団法人シマノ・サイクル開発センターが開所。
2月、(財)自転車普及協会、自転車文化センターで、コンパクトサイクルフェア開催。 (平成4)
1993年4月7日、自転車基本法改正、防犯登録の義務付け等。
5月2日、日本自転車史研究会の自転車歴史資料館オープン。
11月1日、ヤマハ、電動アシスト付き自転車パスを開発。 (平成5)
1994年11月、(財)自転車普及協会、自転車文化センターで、アレックス・モールトン博士の 講演会とモールトン自転車の歴史展を開催。(平成6)
1995年阪神・淡路大震災で、切断された交通網に自転車が活躍。
7月1日からPL法(製造物責任法)が施行。
日本自転車輸出組合が解散。(平成7)
1996年6月、第83回ツール・ド・フランスに今中大介選手が出場。
7月、アトランタ・オリンピックで十文字貴信選手が千メートルタイムトライアルで銅メダル。
(平成8)
1997年4月20日、アースディ1997イン東京を開催、都内を自転車でパレード。
11月、シマノ自動変速機、快テック・オートDを開発。(平成9)
1998年ドイツの自転車史研究家、レッシング氏は、レオナルド・ダビンチが自転車を発明したとする説を否定。
運輸省は、地球温暖化の解決策の一環として電車に自転車の持ち込みができる制度を導入。
ナショナル自転車工業(株)は、世界最軽量のコンパクト車 トレンクルを発売。
9月5日、新潟県佐渡市で、アジア初のトライアスロン世界選手権開催。 (平成10)
1999年財)自転車産業振興協会の調査によると本年の輸入台数の総合計は4.263.367台で国産は5.590.578台。(平成11)
2000年(財)自転車産業振興協会の調査によると、本年は6月までで3.221.255台の輸入があり、国産車は2.640.847台。この結果、通年で輸入台数が国産台数を上回ることが確実。
”マビック”ブランドの競技用自転車部品を取扱うサロモン・アンド・テーラーメード社は7月からインターネットを使った商取引を開始。
8月、第11回国際自転車歴史会議が堺のシマノ本社で開催。
10月、ブリヂストンサイクルは英国ブラッドフォード市の高級自転車メーカー、アレックス・モールトン社と高級スポーツ自転車、ブリヂストン/モールトンBSM179、を共同開発。
東京北の丸の科学技術館に参加体験型自転車館 ”北の丸サイクル” がオープン。
横浜市MM21地区で初めてパークとサイクルの実験。(平成12)
2001年1月、自転車の温室効果ガスの排出量を環境省が調査したところ、一人が1㎞移動するのに排出される温室効果ガスは、自転車の場合約0.01kg、自動車はこの18倍。
日本自転車協会では、環境に優しい自転車に独自の基準を定め、今後 ”ハース(Hearth)” と呼び普及に努める。
8月、㈱シマノが、コンピューターによって自動的に自転車のギアチェンジとサスペンションを調節する『Di2』(Digital Integrated Intelligence)システムを開発。 (平成13)
2002年5月、自転車タクシー京都で快走、このタクシーを運営するのは環境共生都市推進協会(NPО法人)で地球温暖化防止京都議定書の採択をきっかけにスタートさせた。自転車はドイツのメーカーから10台購入。
8月、ヤマハ・ハイブリッドコミューター 、 ヤマハ発動機は、ガソリンエンジンと電気モーターを併用するハイブリッド式自動二輪車を開発。
12月、電動立ち乗り二輪車(並列二輪)セグウェイ発売。 (平成14)
2003年7月、自転車に初めて乗ったのは日本人だった?ペダル式自転車が、享保17(1732)年に日本で誕生していたことを示す資料を、東京の研究家が分析し、模型を復元した。 (平成15)
2004年6月、自転車を利用することで大気汚染など公害を防止する運動を展開している ”取手バイコロジー運動推進協議会” は、茨城県取手市内の地図に自転車に関する情報などを盛り込んだ(2004年版サイクリングマップ取手)を作製した。 (平成16)
2005年7月、温室効果ガス排出抑止の国際条約 ”京都議定書” 発効で排ガス対策がより重要となる中、苫小牧市は、6月の環境月間に合わせ、職員にマイ・カー通勤の自粛を促す庁内運動、エコ通勤運動を始めた。
9月、村田製作所が超小型センサーで姿勢を制御して走る自転車ロボットを開発。 (平成17)
2006年7月、”A-bike” 、英国の発明家、サー・クライブ・シンクレア氏は、新型のフォールディングバイク(折りたたみ自転車)を開発。 (平成18)
2007年6月14日、道路交通法改正案、道路交通法の一部を改正する法律(平成19年法律第90号)が成立。この改正の目的のひとつに自転車の交通ルールを厳格化したことがあげられる。携帯電話の使用や傘差し運転禁止など。(平成19)
2008年1月4日、神奈川県は、自転車が走行しやすい道路のネットワーク化を計画。自転車にサイクリングロードと、道路幅がある車道や歩道を組み合わせて実現を図る予定。自転車が走りやすい道路や危険個所などを載せた自転車マップ作成や、車道や歩道には自転車の走行部分をカラー舗装するなど。
7月24日、警察庁は、条件付きで解禁されることになった3人乗り自転車について、強度や安定性の向上など6項目の安全要件を取りまとめ、自転車メーカー各社に通知。(平成20)
2009年3月18日、三洋電機は ”ソーラー駐輪場” を徳島県庁に建設。
3月26日から茅ヶ崎で ”サイクル&バスライド” の試験運行開始、路線バスの外部前面に自転車を2台積載。
7月26日、別府史之、新城幸也の両選手は、ツール・ド・フランスの第96回大会(7月4日~7月26日)で日本人選手として初めて完走。 (平成21)
2010年3月25日、世界選手権スクラッチで盛一大が3位。
5月30日、新城幸也選手はジロ・デ・イタリア(第93回)に出場。これでツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアの2大グランツールを初めて完走した日本人となる。
同日、京都でアースライド2010を実施、地球環境を守るためには自転車を活用することが重要。
10月3日、オーストラリアのメルボルンで開催された世界選手権自転車競技大会個人ロードレースで、新城幸也選手が9位と健闘。 (平成22)
2011年3月8日、広島県呉市豊町に中村春吉(明治35年に自転車世界一周旅行)の碑を建立。
5月30日、別府史之、ジロ・デ・イタリアを完走、これで2009年のツール・ド・フランスに続く2度目のグランツールを完走。
7月4日、自転車運転中に携帯電話を使用した女子高生が神奈川県道交法施行細則(画像注視)違反で摘発。5月1日の一部細則改正後初めて。
9月18-19日、2011トライアスロン世界選手権シリーズ横浜大会開催。
9月23日、神奈川県の茅ヶ崎館で ”貞奴とその時代の自転車展” 開催。 (平成23)
2012年7月1日、女子競輪復活 平塚競輪場で ”ガールズケイリン” としてスタート。
9月10日、東京都自転車対策懇談会、自転車のナンバープレート表示などを提言。
10月22日、ランス・アームストロング、ドーピングでツール7年連続総合優勝タイトル剥奪。 (平成24年)
2013年1月21日、東京地検、信号無視などを繰り返した自転車運転者を原則として罰金を求めて略式起訴方針。
2月14日、悪質自転車走行に講習会や罰則強化、道交法改正試案。
2月28日、越谷市で明治期に製作された三輪車発見。
3月25日、東京地裁、自転車部品の欠陥を認め、輸入元に約1億5000万円の賠償を命じる判決。
7月、ツール・ド・フランス100回記念大会 マイヨ・ジョーヌ(総合優勝)は、クリス・フルーム(イギリス)
10月26日、さいたまクリテリウムbyツール・ド・フランス開催。 (平成25年)
2014年3月21日、『Bicycle Design: An Illustrated History』英語版 Tony Hadland、Hans-Erhard Lessing(共著)を出版。
4月2日、自転車文化センター、東京・目黒駅前に新装オープン。
5月1日、”湘南平塚サイクルポリス”が発足。
5月3日、自転車博覧会 IN AOYAMA 5月3日~5月31日 伊藤忠青山アートスクエアで開催。
10月21日、兵庫県 自転車保険の加入義務化を検討。 (平成26年)
2015年2月18日、自転車世界選手権ポイントレースで上野みなみが2位。
3月18日、兵庫県、自転車保険を全国初の義務づけ。
㋄、add-e 小型のモーターを装着するだけで電動自転車になるアタッチメント オーストリア製。
10月24日、”さいたまクリテリウム” で別府史之選手が2位。
11月1日、開成町町制施行60周年を記念して、足柄ロングライドを開催。 (平成27年)
2016年7月7日、新城幸也選手、ツール・ド・フランスの第6ステージで敢闘賞を獲得。2012年以来2度目。
9月17日、World Human Powered Speed Challengeで世界最速の時速145kmを達成。
9月17日-11月27日、愛媛県立歴史文化博物で ”自転車ヒストリー 夢と希望をペダルに乗せて” 特別展開催。
9月29日、Uber Japan株式会社が東京でサービスを開始。 (平成28年)
2017年1月4日、フランスのロベール・マルシャン(105歳)1時間に22.5㎞を自転車で走り世界新記録達成。
2月1日、東京都の自転車安全利用条例が施行され、ヘルメットの着用や年に1度の安全点検を義務づけ。
7月23日、新城幸也選手、ツール・ド・フランスで完走、7回目。
12月2日、コンビニで自転車シェアリングサービスを開始。
12月20日、LINE、自転車のシェアリングサービスを開始。
12月23日、第1回自転車歴史コンファレンスがシマノ自転車博物館で開催。
(平成29年)
2018年3月2日、世界選手権、男子ケイリンで河端朋之が銀メダル。
4月12日、世界自転車デー、国連総会決議で毎年6月3日に決定。
7月1日、神奈川県、自転車賠償保険加入を義務化。
7月9日、セラミクスピード社(Ceramic Speed)がシャフトドライブ(DRIVEN)を発表。
7月21日、インドの古い寺院で自転車のレリーフを発見。
8月9日、東京五輪、自転車ロードレースのコースを組織委が発表。
8月23日、アジア競技大会2018、男子ロードレースで別府史之が銀メダル。
12月2日、(公財)シマノ・サイクル開発センター主催の第2回自転車歴史コンファレンスを神田駅前ビジネスセンターで開催。
(平成30年)
2019年1月10日、東京五輪、自転車ロードのボランティア募集。
2月23日、24日、2019年ハンドメイドバイシクル展を東京流通センターで開催。
7月21日、東京五輪、自転車ロード、テストイベント開催。
10月17日、ブリヂストンサイクル、パンクしない自転車の最新モデルをRATIO and Cで展示。
10月31日、ホープとロータス(Hope TechnologyとLotus Engineering)は、斬新的なデザインのトラック競技用自転車を発表。
(令和元年)
2020年1月11日、(公財)シマノ・サイクル開発センター主催の ”第3回日本自転車史コンファレンス” 静岡市役所で開催。
1月25日、26日、2020ハンドメイドバイシクル展を科学技術館で開催。
3月25日、新型コロナウイルスの世界的蔓延で本年開催の東京オリンピック・パラリンピック大会を1年延期。
11月25日、防災する自転車Ⅱを発売。 (令和2年)
2021年1月26日、一般社団法人ジャパンサイクルリーグ(Japan Cycle League、略称 JCL)設立。
2月9日、㈱シマノ、コロナ禍の自転車人気で増益。
2月9日、自転車雑誌などの(株)枻出版社、東京地裁へ民事再生法の適用を申請。
2月13日~3月21日、自転車文化センターで、オンラインハンドメイドバイシクル2021を開催。
2月19日、コロナ禍の自転車利用拡大で、自転車摘発25,000件超(昨年交通違反)。
2月28日、イタリアの古代遺跡ポンペイ近くで約2000年前の馬車を発掘。
3月21日、㈱シマノ、創業100周年を迎える。
4月30日、ホダカ㈱、90周年記念のニューマルキン号を100台限定で発売。
6月1日、日本自転車史研究会が創設40周年。
7月24日、東京オリンピックの自転車個人ロードレースでリチャル・カラパス(エクアドル)が金メダル、新城幸也選手が35位と健闘。
8月8日、東京オリンピックのオムニアム(自転車トラックレースの複合競技)で梶原悠未選手が銀メダル。
9月28日、電動キックボード、警視庁が安全指導を実施。
10月23日、コロナ禍で電動アシスト自転車のバッテリー盗難各地で相次ぐ。
10月24日、世界選手権の女子ケイリンで佐藤水菜が銀メダル。
10月26日、ホバーバイク、富士スピードウェイで実演飛行。
11月27日、”自転車の進化”(Evolution des Fahrrads)ドイツ語版 Hans-Erhard Lessing、Tony Hadland 共著を出版。
(令和3年)
2022年1月22日-23日、2022年ハンドメイドバイシクル展を科学技術館で開催。同会場で”東京自転車歴史研究フォーラムin HMB”も実施。
3月24日、シマノ自転車博物館記念誌(Bicycles Human Dreams)を発行。
3月25日、新しい「シマノ自転車博物館」が堺東駅前にオープン。
4月8日~9月25日、トリノ自動車博物館(MAUTO)で、「モトゥス・自動車前史」という企画展に陸奔舟車のレプリカを展示。
9月、「モトゥス 自動車の前史・Motus The prehistory of the automobile」発刊。
11月30日、ChatGPT公開。
12月4日、「東京自転車歴史フォーラム」を開催。1865年の三輪車写真など。
12月20日、改正道路交通法の施行期日に関する政令が閣議決定、2023年4月1日から全ての自転車利用者にヘルメットの着用が義務。
(令和4年)
2023年1月19日、警察庁、電動キックボード基準を満たせば自転車並みの扱い。
1月21日-22日、2023年ハンドメイドバイシクル展を科学技術館で開催。
2月、Microsoft社、対話型のBingのAIチャットをリリース。
3月21日、Googleが開発した会話型人工知能Bardをリリース。
4月1日、自転車のヘルメット着用、努力義務化始まる。
4月15日、16日、東京ビッグサイトで、CYCLE MODE TOKYO 2023を開催。
5月12日、「自転車の起源」1巻. 技術の進化 アルフレッド・アッツィーニ著を発刊。
5月13日~16日、第32回国際自転車歴史会議 (ICHC)はイタリアのクレモナで開催。
7月1日、一定の条件を満たした電動キックボードに限り、16歳以上は免許なしで利用可。
8月3日、自転車の交通違反に「青切符」 警察庁が反則金制度導入を検討。
8月21日、水素使った燃料電池の電動アシスト自転車、山梨で実験。
9月24日~10月25日、エリック・ナイトとマーク・ケネディ、137年前のトーマス・スティーブンスの長崎から横浜までの再現旅行を達成。
12月21日、警察庁、自転車にも「青切符」導入へ。
(令和5年)
2024年1月21日-22日、2024年ハンドメイドバイシクル展を科学技術館で開催。
2月8日、グーグル生成AIのBardがGeminiに変更。
3月3日、野口商会120周年記念カタログを発行。
3月4日、「ツール・ド・北海道」昨年の死亡事故を受け今年の大会開催を見送る。
3月5日、自転車にも「青切符」、道交法改正案を閣議決定。
4月2日~2025年3月23日、シマノ自転車博物館、特別展「古文書から紐解く 江戸時代に考案された自転車」展を開催。
4月6日-7日、CYCLE MODE TOKYO 2024 東京ビッグサイトで開催。
5月13日、OpenAIの最新AIモデル「GPT-4o(オー)」を発表。
5月17日、自転車の交通違反に青切符、改正道路交通法が成立。
5月17日~22日、第33回国際自転車歴史会議、ドイツのシュタット・ヴェーレンのトールハウスで開催。
5月19日~26日、UCI公認国際自転車ロードレース「ツアー・オブ・ジャパン2024」を開催。
5月25日、シマノ2023年度調査・分析期末発表会を開催。
5月26日、2024年ジロ・デ・イタリア、タデイ・ポガチャル (UAE Team Emirates) が総合優勝。
6月18日、「シュタイアー・ウェポンホイール:古い自転車の魅力」ヴァルター・ウルライヒ著(Das Steyr-Waffenrad: Der junge Zauber eines alten Rades、Walter Ulreich)を発刊。
7月21日、タデイ・ポガチャルが26年ぶりとなるジロ・ツールの「ダブルツール」を達成。
8月3日、パリ・オリンピックの個人ロードレースで日本代表の新城幸也は、56位と健闘。オリンピック出場は4回目。
8月30日、自転車のスマホ“ながら運転” 11月から法律で禁止、罰則科されることに。
9月18日~19日、自転車産業振興協会主催のJapan Bike Showが有明GYM-EXで開催。
10月16日~20日、デンマークで行われた2024年世界選手権トラックで山﨑賢人(ケイリン)、佐藤水菜(ケイリン)、窪木一茂(スクラッチ)が金メダル。
10月21日、新刊「サイクリングのパイオニア」マイケル・トゥーヒー著、The Cycling Pioneers Michael Toohey Publication Date: 21 October 2024 (令和6年)
2025年1月25日-26日、2025年ハンドメイドバイシクル展を科学技術館で開催。
1月27日、中国版生成AIのDeepSeekが話題になる。
2月19日、xAIが最新AIモデル「Grok 3」を発表。
2月19日、バイクシェアでドコモが自転車型の電動バイクを導入。
3月1日~2日、大阪府吹田市の万博記念公園で「サイクルモードライド大阪 2025」を開催。
3月15日、株式会社カワサキモータースジャパンは、「noslisu(ノスリス)」の2025年モデルを発売。
4月19日~20日、東京ビックサイトで「CYCLE MODE TOKYO 2025」を開催。
4月23日、自転車文化センターで「自転車の歴史展」開催。
4月24日、警察庁は、道路交通法の一部改正に伴い、自転車の交通違反に交通反則切符(青切符)を導入。2026年4月1日から施行。
5月18日、堺国際クリテリウムレースを開催。
5月21日、Google AIモードの新機能を追加。
5月23日~25日、第34回 国際自転車歴史会議、フランスのラ・ショセ・サン・ヴィクトルで開催。
7月28日、ツール、ポガチャルは2年連続、4度目の総合優勝。
8月7日、最新モデル「ChatGPT-5」、1年3カ月ぶりに刷新。
8月14日、マシュー・リチャードソン、200mFTT(フライングタイムトライアル)で世界新記録となる8秒941を記録。
9月9日、米グーグル、AIモード検索、日本語で提供。
10月25日、トラック世界選手権の男子オムニアムで窪木一茂が銀メダル。
10月26日、UCIトラック世界選手権最終日の女子ケイリンで、佐藤水菜が金メダルを獲得。
(令和7年)

初編、1996年11月22日
最終更新日、2026年1月9日
日本自転車史研究会 大津幸雄 編

2026年1月12日月曜日

IVCAより

 IVCAより

昨夜にフェイスブックに投稿されたIVCA(国際ヴェテランサイクル協会)の記事と写真によると、自転車歴史研究家の小林恵三さんが逝去されたとのことです。

謹んでお悔やみ申し上げます。

以下は投稿記事

IVCAは、友人である小林恵三氏が2025年12月14日に76歳で逝去されたことを、謹んでお知らせいたします。長年にわたりIVCAの会員であった小林氏は、自転車史研究家(特に1817年から1870年の自転車史)として、また自転車生誕150周年記念事業の再現に情熱を注いだことで知られていました。小林氏を偲び、次に自転車に乗る際には、ぜひ「万歳」と声を掛けてください。

ドミニク・ルフェーブル

IVCA会長

フェイスブックより

ドライスからミショーまでのヴェロシペードの歴史
1817-1870
小林恵三 著 1993年発行 フランス語版

2026年1月11日日曜日

元祖EV

 元祖EV

EV(Electric Vehicle)は、電気をエネルギー源としてモーターで走る自動車のことである。ガソリンエンジンを使わず、バッテリーに蓄えた電気でモーターを回して走行する。 走行中にCO₂や排気ガスを出さないために、環境負荷が少ないと云われているが、次のようなデメリットもある。バッテリーが高価なため車両自体の価格が高い。充電に時間がかかる。充電施設が少ないため走行距離に不安あり車種によっては長距離ドライブができない等。

先日たまたま「ホイールメン」誌を見ていたら、気になる記事と図が目に留まる。果たしてこれが世界最初のEVなのか定かではないが、初期のEVであることは確かである。

〇エアトンとペリーの電動三輪車(Ayrton and Perry's Electric Tricycle)

2月8日(1883年)にグラスゴーのセント・アンドリュース・ホールで行われたエアトン教授の講演で、電動移動に関する最も興味深い例は、エアトン教授とペリー教授の発明である電動三輪車であった。エアトン氏は、聴衆の歓声の中、ホールの中央をこの三輪車に乗って登場した。聴衆は、このテーマについて非常に興味を持ったようである。この三輪車がグラスゴーで展示されるのは今回が初めてと思われる。

しかし、ロンドンの街では少し前からお馴染みで、そのパワーの蓄えの限界まで実用性を証明してきた。改造された機械はグラスゴーのハウ・マシン社製のもので、三輪車が通常支えなければならないよりもはるかに大きな重量に耐えなければならない。車輪の強度、張力、剛性を考慮して選ばれたものと思われる。機械から踏み板、チェーン、歯車が取り外され、新しい動力装置を取り付けるために再配置されている。

これは三輪車のフレームに吊り下げられた二次電池である。教授たちはこれらの電池に様々な種類のセルを使用し、重量と比較した容量をテストした。図のMは約45ポンドの0.5馬力のモーター。座席の下に配置され、ピニオン(P)と大きな歯車で噛合したスピンドルを回転させる。この歯車は三輪車の44インチの駆動輪の車軸に固定されている。ピニオン付きのモーターのスピンドルは駆動輪の約20倍の速さで回転するため、三輪車が時速8マイルで走行しているとき、毎分約4000回転する。

Cは整流子で、電動モーターと回路内の蓄電池の数を調整することで速度を変えることができる。また、整流子は電力を徐々に増減させることもできるため、突然の電力流入によって機械が振動することはない。

Aは電流を測定する電流計と、モーターの起電力を示す電圧計。これら2つの装置によって、ライダーは任意の瞬間に費やされた力の量を計算することができ、バッテリーを充電する前に、走行する路面に応じて速度を調整する。

LLは道路を照らし、必要に応じて電圧計と電流計を点灯させるための2つの白熱電球である。これらの電球で使用される電流は、バッテリー内の2つの蓄電池から供給され、モーターでも使用できる。平坦な道路で時速6マイルの平均速度で使用する蓄電池は約150ポンドの重さで、1時間あたり約2馬力、または2時間で1馬力に相当する電気エネルギーを蓄える。

会長のラッセル氏は、未来の旅人と宿屋の滑稽な絵を描いた。彼は三輪車を馬に、バッテリーをその動物の胃に例えた。旅人は馬にオート麦を与える代わりに、機械に電気を与えるだろうと云った。オート麦は無駄になるか、馬は与えられた飼料に全力を出さないかもしれないが、電動三輪車は、必要なパワーや速度に実際に必要な以上の電力を消費しない。

エアトン教授とペリー教授は、展示された三輪車にいくつかの改良を加え、モーターとバッテリーのサイズと重量を軽減したとしている。おそらくペダルを機械に取り付け直し、足の力を電気エネルギーと組み合わせて使用​​できるようにすることで、乗り手を疲労させることなく運動させ、電動力を節約するだろう。


147頁
「ホイールメン」誌
第 2 巻 1883年5月発行

148頁

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このエアトンとペリーの電動三輪車よりも2年早い1881年にフランスのトゥルーヴェはシーメンス社が開発した小型電動モーターの効率を向上させ、充電式バッテリーを用いて、イギリスのジェームズ・スターリー社製三輪車に搭載し、世界初の電気自動車を発明したと云われている。この電気自動車は1881年4月19日、パリ中心部のヴァロワ通りで試験運転に成功したが、特許を取得することはなかった。 

トゥルーヴェの電動三輪車
Trouvé made the first electric vehicle.