ハーパーズ・ウィークリー誌
この資料は「ハーパーズ・ウィークリー」誌 1868年9月5日号
Harper's Weekly、A Journal of Civilization
Sept 5.1868
創業者はフレッチャー・ハーパー、創刊1857年1月3日~最終号1916年5月13日
ハーパー&ブラザーズ社、
ニューヨークに拠点をあった雑誌社。
註、お馴染みのイラストがあったので紹介する。特に一番下の図は多くの書籍に引用されている。
表紙
1868年9月5日号
571頁
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パリのヴェロシペード(一部抄訳)
PARIS ON VELOCIPEDES.
ヤング・パリスは今、ヴェロシペードに夢中になっている。そして、これらのマシンは今や、大都市の大通りを走り、迷惑がられている。
それらは、2つの車輪を備えたマシンであり、ライダーはその上に座って、足で推進する。
若者がヨット、ドライブ、またはスケートに出かけるのと同じように、パーティーなどへスピードを上げて出かけていく。
熱狂的なファンが、通りを駆け抜け、鉄道のように息を切らして走る姿が見られるかもしれない。
先日、アフリカの東海岸、モザンビークの近くからパリを訪れた、女王、ファティマ・ジャンベは、突然風のように現れたこのグロテスクな乗り物に恐怖を感じた。彼女の金切り声は記録に残されている。
2台のヴェロシペードが向かい合っているときは、警戒の叫びをあげることになる。
公道で、馬が怯えたため馬車がひっくりかえり溝に落ちた事件で、紳士は法廷に持ち込んだが、損害賠償は得られなかった。
この迷惑行為で、ナポレオンがパリの街路の改善を主張したこともあった。
ヴェロシペードは近い将来にニューヨークの若者は、セントラル パークや 5 番街でこれらの高速車両を運転することになるであろう。
何年も前にイギリスのロンドンで「ホビーホースのマニア」として、1819 年から 22 年までの 2、3 年間、公園に姿が現れ、ロンドン周辺だけでなく、近くのあらゆる道路でも見られた。・・・
1868年12月19日号の挿絵
上の図は、パリのヴェロシペード・レース、日曜日の午後
下は、アメリカン・ヴェロシペード
スケッチはセオドア・ラッセル・デイビス(188頁参照)
註、セオドア・ラッセル・デイビス(1840–1894、Theodore Russel Davis)は、19世紀の芸術家。
南北戦争が始まった1861年にハーパーズ・ウィークリー社に雇われた。