レンツとアウティング誌 - 24
「OUTING」 スポーツ、旅行、レクリエーションのイラスト入り月刊誌
第 23 巻 1893年10月 - 1894年3月(合本版)
OUTING AN ILLUSTRATED MONTHLY MAGAZINE OF SPORT, TRAVEL AND RECREATION. VOL. XXIII. OCTOBER, 1893—MARCH, 1894.
247頁、
朝は太陽が明るく輝いていたが、日本人を急がせる方法はないようで、9時半にようやく出発できた。大阪の街道は依然、淀川に沿って平地を弥勒寺まで続いている。遠くにいくつかの工場の煙突が見え、淀川には平底舟がさらに多くなっている。田んぼを抜けてさらに数マイル進むと、人口40万人の大阪に着いた。子供たちは、皆同じような和服を着て、通りに群がっていた。小さな男の子は、頭髪の真ん中の丸い部分を除いて、たいてい髪を剃っていて、遠くから見ると頭の上に小さな黒い皿があるように見えた。それは滑稽だった。小さな女の子は、前髪と横髪を長くしていた。地方によっては、頭の中央の部分を剃り、その形を横長の四角形にしているところもあった。
大阪は活気のある街だ。淀川にかかる橋はとてもしっかりしている。日本全国でよく見るきちんとした制服と刀を身につけた警官に神戸への道を尋ねると、中国街道、つまり国道に案内された。国道は南海岸に沿って曲がりくねって赤間関(下関)まで続いている。
この道は大阪を出発してから非常に狭く、わずか6フィートほどであり、尼崎までは田んぼを抜けて走った。その後、西宮までいくぶん広くなった。道沿いの田んぼには米の代わりに綿花が実っていることもあったが、アメリカ南部の州に比べると収穫量は乏しい。国道は広くなり、住吉や神戸へと続く広い幹線道路となった。私は荷車で膨大な荷物を運んでいる牛とすれ違った。牛たちは人足に曳かれ、鼻孔に鼻環をつけていた。
神戸に入ると、丘の中腹にある宣教師や外国人の美しい家々から街と港が見渡せる。神戸は横浜よりも人口が少ないが、一般の観光客はおそらく神戸が一番気に入るだろう。同じ場所である兵庫と合わせると、神戸は横浜よりも大きい。通りは広く、商業地区はよく整備されており、より進歩的な印象を与えている。日本の内陸部を9日間走った後、オリエンタルホテルに着き、再び白人の中にいると、すっかりくつろいだ気分になった。港にはあらゆる国の船が停泊していて、横浜や東京を思い出させた。
もう一つの嬉しい発見は、神戸にはクッションタイヤの車輪に乗る自転車乗りが何人かいるということである。最も熱心なのはロバート・ヒューズ氏という中年の男性で、とても楽しい人で、長崎に行く途中、神戸の西 8 マイルにある彼の家に必ず立ち寄るようにと私に言ってくれた。神戸に 1 日半滞在した間に、私は宣教師の何人かを訪ねた。