レンツとアウティング誌 - 27
「OUTING」 スポーツ、旅行、レクリエーションのイラスト入り月刊誌
第 23 巻 1893年10月 - 1894年3月(合本版)
OUTING AN ILLUSTRATED MONTHLY MAGAZINE OF SPORT, TRAVEL AND RECREATION. VOL. XXIII. OCTOBER, 1893—MARCH, 1894.
325頁、
矢掛で道は再び丘や山々を回り込んでいた。一日中強い西風が吹いていたため、私は矢掛に一泊することにした。
この旅で初めて盗難に会う。一流旅館であるはずのこの場所で盗難にあった。私の部屋を担当していた日本人の仲居は、私が風呂に入っている間に服を掛けるのに並々ならぬ注意と十分な時間をかけていた。仲居が部屋から出ると、私の財布がなくなっていた。女を呼び戻してそれを見せろと云ったところ、女は私たちが財布を探しているすきに巧みにそれを床に落とした。寝る前に中身を調べたところ、驚いたことに10円札がなくなっていた。その夜は騒ぎ立てしたくなかったので、朝までその件は黙っていた。
夜中、日本人たちは女の狡さをささやき、クスクスと笑う声が聞こえた。朝、別の仲居が私の部屋に朝食を運んで来た。最初に料金を支払い、私は前夜私の部屋にいた仲居を呼んだ。女は理解しようとしたが、私が求めていた女性以外の全員が姿を現した。そこで私は自分で探しに行き、その女を私の部屋に連れてきて、他の女たちには立ち去るように言った。その女はその出来事にすっかり怯えていた。私が財布を落とした経緯を話し始めると、私が知っている日本語を全て話し、私が怒っていることを女に知らしめる程度の英語を付け加えた。
女は両手を前に突き出し、10ドルといくつかの些細な書類を持って戻ってくると、真剣に許しを請い求めた。旅館のスタッフ全員は何が起こったのかを知っているようで、皆とても怯えていた。日本人は大抵正直だが、他国の人間と同様、彼らの中にも泥棒がいる。
気分があまり良くなかったので、早々彼らに別れを告げて、谷を下って神辺と今津まで自転車を走らせた。ここから街道はついに有名な瀬戸内海に向かった。尾道と三原では、街道は水辺に沿って走り、魅力的な景色が広がっていた。荒涼とした小さな島々が、まるで水面上に突き出た山のように見えた。奇妙な形の帆船が数多く浮かんでいて、日本独特の風景に活気を与えていた。尾道から中国街道は再び平地に沿って本郷まで続き、そこから尾根を越えて内陸に曲がる。頂上までの上り坂は5マイルの距離で非常に緩やかだったが、反対側の下り坂は忘れられないものだった。ほとんど暗くなっていたが、危険に挑戦し、ようやく無事に麓にたどり着き、田万里まで行って一夜を過ごした。ここで幸運にも、自分の好きなように調理されたビーフステーキを食べることができた。朝になって、別の尾根道を登らなければならないことが分かった。頂上までは4マイルもなかったが、かなり大変だった。
西条台地まで緩やかな下り坂だった。そこからは、完全に平坦な道を走り、狭い山間の峡谷に出た。そこから道はゴロゴロと流れる小川の脇を6マイルほど下って上瀬野に至り、山々の間を曲がりくねって進んだ。ついに、8マイル行ったところで、自転車から降りなければならない坂が現れた。谷はここで海田市まで広がり、再び瀬戸内海の海岸に出た。今度は広島県の県庁所在地だ。ここで楽しい経験をした。好奇心旺盛な群衆に囲まれていたにもかかわらず、私はエビを堪能することにした。