2024年8月11日日曜日

レンツとアウティング誌 - 29

 レンツとアウティング誌 - 29

「OUTING」 スポーツ、旅行、レクリエーションのイラスト入り月刊誌

第 23 巻 1893年10月 - 1894年3月(合本版)

OUTING AN ILLUSTRATED MONTHLY MAGAZINE OF SPORT, TRAVEL AND RECREATION. VOL. XXIII. OCTOBER, 1893—MARCH, 1894. 

327頁、

言うまでもなく、私は思いがけない招待をすぐに受け入れた。スミス氏と一緒に、瀬戸内海の水先案内人であるH.J.カリュー船長にも会った。私たちは英語で社交的な会話をしたが、それは私にとって本当に楽しいひと時だった。

神戸を出発して以来の最新の重要なニュースが話題になった。すなわち、ペニンシュラ・アンド・オリエンタルの蒸気船ラヴェンナ号が、フランスで建造したばかりの日本の新型軍艦の千島艦に衝突したということである。両船は早朝、瀬戸内海で信号のミスにより衝突し、驚くべきことに、装甲艦はすぐに沈没した。この不幸な事故で61人の命が失われた。ペニンシュラ・アンド・オリエンタルの蒸気船は大きな損傷を受けたものの、長崎の乾ドックに無事到着した。

帝国鉄道は尾道までしか完成しておらず、広島まで建設中である。しかし、尾道からは中国街道に沿って日本の電信線が道案内として役立つ。翌朝、私は日本の蒸気船で海峡の急流を渡り門司に向かった。そしてすぐに海岸沿いに大里と小倉の方向へ進み、赤間関の小さな港ははるか後方に見えた。九州の北部を通る国道は長崎街道と呼ばれている。

しかし、小倉から黒崎や木屋瀬の小さな街を通るこの道はあまり利用されていない。この道は全体的に起伏が激しい。直方では平地で、飯塚から山の麓にある内野までの道は素晴らしい。この地区は柔らかい瀝青炭層で知られている。採掘された石炭は男女の労働者によって川まで運ばれ、その後船に積まれて下流の海岸まで運ばれる。この島には、日本本土と同じように、神社には独特な鳥居がたくさんある。海岸沿い、田んぼ、森の中で、私は同じような二つの鳥居を見た。一つは笠木が反っていて、もう一つはまっすぐで、2 本の柱の上に立っている。神社への参道には必ず鳥居がある。


絵のように美しい一帯

以下は参考資料
「少年世界」第1巻第14号 名著普及会 1895年7月号
国会図書館所蔵資料


註、千島艦事件は、1892年11月30日に日本海軍の水雷砲艦千島がイギリスの商船「ラヴェンナ号」と衝突、沈没した事件。この事件は、単なる海難事故にとどまらず、当時の国際法や日英関係に大きな影響を与えた。


箱根の湖畔の鳥居 1897年
Tempelthor am See von Hakone
国際日本文化研究センター所蔵資料

栢山神社

註、鳥居の材質について
普通、鳥居の構造は、二本の柱と柱の上に乗せた「笠木」、その下に水平に通された「貫」という柱から成っている。 材質は、古くは檜や杉などを用いた木造だったが、後世には石・銅板・コンクリートなどで造られた。