レンツとアウティング誌 - 32
「OUTING」 スポーツ、旅行、レクリエーションのイラスト入り月刊誌
第 23 巻 1893年10月 - 1894年3月(合本版)
OUTING AN ILLUSTRATED MONTHLY MAGAZINE OF SPORT, TRAVEL AND RECREATION. VOL. XXIII. OCTOBER, 1893—MARCH, 1894.
330頁、
道路は上方のわずか2マイルほどのところにあった。山の頂上には100フィート以上の深さの切通があり、反対側にはさらに2.5マイルの曲がりくねった緩やかな坂が続いている。この坂下の最後のカーブを曲がると、長崎とその港がようやく見えてきた。12月10日、ちょうど11時に、私は市内の外国人地区にあるベル・ビュー・ホテルに着いた。
私のサイクルメーターは、17日半の走行で960マイルを走破したと示していた。長崎街道は158マイルの長さである。これに中国道、大阪道、東海道の長さを加えると、東京から長崎までの正確な陸路距離は907マイルになる。
長崎の人口は約4万人で、中国人と200人の外国人、宣教師、役人、商人が含まれている。長崎に隣接して、自然の美しさにあふれた町が広がっている。遠くには丸みを帯びた森林の丘が何段にも連なり、さまざまな緑に覆われている。豊かな森の間には美しい谷と草原の斜面が広がり、その景色は美しい日本でもなかなか見られない絵のような光景だった。古い街は、豊かな木々にやさしく覆われ、寺院や茶室が点在する。絵のように美しい丘のふもとにひっそりと佇んでいると、ところどころに暗い影の渓谷があり、急流で銀色の輝きが半分隠れている。特に、ある高台から見た訪問者は、ぼんやりとした緑と紫がかった境界までの壮大な絵のように広がる陸地と水域を見渡すことができる。静かな丘と山の防波堤の内側には、世界で最も美しい港の 1つが輝いている。これは、長さ 4 マイル以上、幅は 1 マイル半から 4 分の 3 マイルまで変化する。よく守られた水域である。ほとんど波のないその水面には、常に軍艦や多くの国旗を掲げた船、無数の漁船や平底舟が浮かんでいる。非常に興味深い島の 1つは、悲劇の歴史を持つ「パペンベルク」(高鉾島)である。海に向かって垂直の崖があり、昔、何千人ものキリシタンの住民がこの崖から投げ落とされた。
ベル・ビュー・ ホテルとスミス・ ホテル、そして素晴らしいクラブは、外国人に自分が外国人であることをほとんど忘れさせる。公共の公園には、有名な諏訪神社(お諏訪さま)がある。私はバザールを訪れ、小さな店で美しい鼈甲細工やその他多くの骨董品を見た。しかし、日本の製品や芸術品は私の理解を全く超えるので、詳細には語れない。
長崎の大きな欠点は鉄道の接続がないことである。これは間違いなくそのうち解決するだろう。なぜなら、日本は非常に山の多い国ではあるが、シスキユー山脈やアメリカのロッキー山脈やアレゲニー山脈ほど鉄道建設が困難ではないからである。これらの山脈はすべて、何年も前に無事に鉄道が横断している。
私は心から残念に思いながら、非常に興味深い国と人々である日の出ずる国を去る準備をした。そして、目の前に新しい大陸がなかったら、私は 1 年間程のんびりしていたかもしれない。言語は比較的容易で、実際、内陸の街のいくつかでは、彼らの言語のいくつかの単語を簡単に覚えて、現地の人々を驚かせた。
食事はかなり大変だった。米、卵、魚は退屈なメニューであるが、海岸沿いの町のいくつかでは、肉、カニ、牛乳、その他の食品が手に入る。ホテル代は非常に安く、宿泊、夕食、朝食、入浴込みで50セントから1ドルの範囲だった。日本の貨幣は金の70パーセントしか価値がないことを考えると、通常請求される料金は安い。