2024年8月4日日曜日

レンツとアウティング誌 - 22

 レンツとアウティング誌 - 22

「OUTING」 スポーツ、旅行、レクリエーションのイラスト入り月刊誌

第 23 巻 1893年10月 - 1894年3月(合本版)

OUTING AN ILLUSTRATED MONTHLY MAGAZINE OF SPORT, TRAVEL AND RECREATION. VOL. XXIII. OCTOBER, 1893—MARCH, 1894. 

245頁、

東海道が街の境界にある川の西側に続いていることを知り、半時間ほど街を回った。川には古い舟や小舟が群がっていた。川を渡った後、桑名までの堤防や平地、灌漑用の溝や運河で水田を二分していることに気づいた。景色はそれほどでもなかった。道路は、16マイル全体にわたって主にこれらの平地上につくられ、水田から15〜20フィートの高さにある。場所によっては田んぼがほぼ水浸しになり、そのような場合、人々は小舟から稲を刈り取っていた。桑名の東4マイルの小さな村では、湾の一部を小舟で2回渡らなければならなかった。これらの舟は、船頭がバランスをとりながらオールを操ると、規則的に揺りかごのように揺れた。

午後6時までに私は桑名に到着した。その日の64マイルは、日本でこれまでで最も長い平坦な区間であった。

朝になって、道は四日市まで平坦で素晴らしいことがわかった。そこから石薬師、庄野、亀山を経て関までやや上り坂だった。ここで私は別の山脈のふもとにいた。その頂上は雪で覆われていた。実際、4 マイル先の小さな町、坂ノ下を通り抜けるときに小雪が降った。ここから山脈の頂上までは、箱根に似た恐ろしい坂道だった。しかし、この区間は未舗装道路で、日本人の人足の助けを借りて、私はついに頂上に到達した。今回は短い上り坂に救われた。反対側の土山と水口までは、ほぼ 14 マイルにわたって比較的楽な下り坂だった。道は完璧に砕石舗装されていて、私がこの不毛で険しい丘陵地帯を自転車で走り抜けると、住民たちは畏敬の念を抱きながら見守っていた。時には、棒の両端に重い荷物を担いだ人足が、道に十分なスペースがあるにもかかわらず、横に広がろうとすることもあった。荷物の振り子運動で、彼はひっくり返りそうになった。

水口で、太陽が遠くの岩山の背後に沈み、山の空気がすっかり冷たくなったころ、この日の楽しい旅は終わった。

朝、私を起こした日本人の娘が窓の外を指差して「雪」と言った。案の定、白い雪のマントが家の屋根と周囲の緑の山々や丘を覆っていた。日本では1月まで雪は降らないが、山岳地帯ではいつでも雪が降る可能性がある。私は暖かく身を包み、手袋を買って、ぬかるみと雪の中を32マイル離れた京都に向けて出発した。三雲、石部から草津までのルートは、いつも山を抜ける下り坂の道であった。


245頁
雪! きっと、白い雪のマントだ