2024年8月8日木曜日

レンツとアウティング誌 - 26

 レンツとアウティング誌 - 26

「OUTING」 スポーツ、旅行、レクリエーションのイラスト入り月刊誌

第 23 巻 1893年10月 - 1894年3月(合本版)

OUTING AN ILLUSTRATED MONTHLY MAGAZINE OF SPORT, TRAVEL AND RECREATION. VOL. XXIII. OCTOBER, 1893—MARCH, 1894. 

324頁、

神戸からずっと道は平坦で、ときどき小さな丘があったが、次の 7マイルは低い山脈の尾根を上って行った。尾根の頂上に着く前に暗くなり、反対側を下り、さらに別の尾根を上らなければならなかった。傾斜は非常に緩やかで、2 番目の尾根の頂上に着くと、月が雲の向こうからゆっくりと出てきて、静かな景色に銀色の光を投げかけた。私は山腹を音もなく下り、ついに神戸から 67マイル離れた三石に到着した。

朝早くから、私は曲がりくねった道をたどった。道は低い丘を越え、その頂上からは田んぼの大きな谷戸が見え、あちこちに、木のあまり生えていない緑の山のふもとに小さな日本の集落がたたずんでいた。山や丘の斜面には、稲を灌漑するための巨大な貯水池が至る所にある。道は緩やかにうねり、西片上、一日市、富田の各街を通り、備前国の岡山に至るまで、非常に良好な状態であることがわかった。午後、街道は岡山の丘を越えて北に曲がり、真金に至った。そこでは谷は平らになり、周囲の丘や山は谷と平らになるように削られたかのようだった。道は真金から川辺、矢掛にかけて再び狭くなり、何百人もの日本人の男女が忙しく働いている田んぼ道を通り過ぎた。

日本ではどこでも米が生産されている。牛や豚を飼うことなどはあまり考えない。実際、牛乳を手に入れることはめったにない。しかし、鶏はたくさんいるし、卵はどこでも買える。畑では粗末な鋤で耕したり、時には道路で荷車を曳いたりするポニーが数頭いた。時々、子供たちが遊んでいる日本人学校を通り過ぎるが、小さな子供たちの多くはお手玉が得意だった。子供たちは自転車に非常に興味を持っていて、私が車輪を回すと大喜びで叫び、口を開けて驚いて見つめていた。


324頁

「最も古く、最も奇妙な橋のひとつ」 (326頁)

写真
挿絵と構図がかなり相違