2024年8月10日土曜日

レンツとアウティング誌 - 28

 レンツとアウティング誌 - 28

「OUTING」 スポーツ、旅行、レクリエーションのイラスト入り月刊誌

第 23 巻 1893年10月 - 1894年3月(合本版)

OUTING AN ILLUSTRATED MONTHLY MAGAZINE OF SPORT, TRAVEL AND RECREATION. VOL. XXIII. OCTOBER, 1893—MARCH, 1894. 

326頁、

宴会はうまくいき、その最中に日本人商人が外国人に気に入られるように、缶詰の牛肉を3缶くれた。私は喜んでそれを受け取り、馴染みのあるものを見つけてうれしく思った。

広島を過ぎると、幹線道路は硬い大理石の板のように滑らかになった。幹線道路は主に海岸に沿って伸び、初日市と玖波に出入りする大きな防波堤の上に建設されている。海岸に伸びる高さ75フィートから100フィートの小さな岩山が切り開かれ、玖波の1つはトンネルが掘られ、自転車愛好家を喜ばせること間違いなしの道路が建設された。これらの切り込みに爆破の痕跡はなく、すべて地元の石工によって切り出されたことは間違いない。海岸沿いには小さな漁村が点在し、これらの人々の主な産業はイワシ漁で、その魚は住民によって商売用に加工される。干潮時には何百人もの女性が貝を求めて砂浜を一生懸命に掘っているのを見た。

さらに 5 マイル、絵のように美しい海岸沿いを走り、その後街道は再び内陸に曲がって岩国に着いた。私が自転車を降りたとき、その日のサイクルメーターは田万里からちょうど 60 マイルを示していた。

翌朝、私は今まで見た中で最も古くて奇妙な橋の一つを渡った。岩国で川に架かるこの橋は 5つのアーチで構成されており、それぞれが互いに独立して橋脚から橋脚まで半円を描いていた。この橋を渡るのはまるで巨大な樽を5つよじ上るようなもので、一人で歩くだけでも大変なのに、荷物を運んだり、荷車で重い荷物を曳いたりする苦労は言うまでもない。その橋は日本独特のもので、そのカーブの上にのぼれば誰でもすぐに分かるだろう。

川沿いに少し走った後、道が低いが非常に急な山を越えて曲がっているのに気付いた。この山の向こうにはまた別の苛立たしい高さがあり、その向こうには3つ目の山がある。実際、柱野、玖珂、今市を経て花岡に至る24マイルの道は、山が多く、険しいが美しい緑の土地を通っていた。徳山に向かって山道を下ると、遠くにかすかに光る瀬戸内海が再び見えた。福川で再び岩の多い海岸に出て、そこから高い半島を越えて遠海に向かい、そこから街道は再び平地となって宮市に至った。京都と同じように、私はある祝祭から帰​​路につく住民の大群とすれ違った。遠くから見ると、彼らの赤と緑の毛布(註、褞袍と思われる)はまるでアメリカインディアンの集団のようだった。私は派手な服装をした人々と楽しく過ごした。下り坂はたくさんあり、私は殆どを速く走った。時々カーブを曲がって、おしゃべりしている歩行者の集団に猛然と突進した。大声で叫ぶと、彼らは必ず風に舞うもみ殻のように追い払われ、ちょっと振り返っただけで驚いた顔をした人も多かった。とはいえ率直に言って笑い声もかなりあった。

宮市西から街道は再び内陸に伸び、別の山を切り開いて登って行った。その山の頂上近くで、道はほぼ半マイルのトンネルが通っていた。ところどころに石油ランプが置かれていたが、それでもトンネルを抜けるとほっとした。なぜなら、通り過ぎる間、人足たちは絶えず互いに警告の叫び声を上げ続けていたからだ。その先は、小郡までほぼずっとずっと続く坂道で、速度が一定になる程度の勾配だった。山中、舩木を経て厚狭まで、国土は丘陵と山岳が続いていた。埴生から小月まで、道は長い田んぼの連続を縫うように進み、豊浦でついに瀬戸内海が最後に再び見えた。今度は徐々に狭まり、赤間関の海峡に至った。

埠頭に着くと、海は平底舟やあらゆる種類の船舶で賑わっていたが、夜が迫り、蒸気船は海峡を渡るのを止めていたので、赤間関に留まることにした。

ここで、大坂から360マイルに及ぶ中国街道は終わる。

東京から京都までの東海道とほぼ同じだが、道の両側に木々が生い茂り、日陰であまりよくない。しかし、山の傾斜は東海道の一部よりも緩やかであった。私がちょうどまた日本食を食べようとしていたとき、地元の少年が名刺を持って来て、赤間関で唯一の外国人であり、古くからの住人である商人のマティセン・スミス氏と会って食事をするようにと頼んだ。


326頁

以下は参考資料
岩国錦帯橋 明治38年 絵葉書
江戸東京博物館所蔵資料

サイクルメーター
VIETER CYCLOCTER 木版画
Overman Wheel Co.1890年

註、当時のサイクルメーターの一つ。レンツが何処の製品を使用していたか?
恐らくビクター号同様にオバーマン・ホイール社のものではないかと思っている。

以下は、各種サイクルメーター。
「THE MODERN BICYCLE AND IT'S ACCESSORIES」1898年発行

118頁

119頁

120頁