微笑亭夜話
自転車泥棒会社
戦争の末期に陸軍の燃料廠へ自動車を徴収されてしまった。省線の駅から一里近くはなれて住んでいる私と家族は、自転車を使う他なくなった。しかし、5、6年前から家では自転車道楽にこりだし、フランス、イギリスのスポーツ車や日本の最優秀ものを6、7台もっていたので、病院の実用車を加えて10余台になり、どうやら困らずにいた。まだ孫が生まれたばかりなのに、イギリスの手製の美しい子供用自転車もかっておいた。こんな風に私と家族の美しい自転車は、ちょっと類がないので街に出るとみんなおどろいてみたものであった。
ところが空襲が激しくなって、東京へあずけておいたイギリス車がやけ、まもなく、市川の駅の近くにあずけておいた私のイギリス車は盗まれ、弟のがトラックにぶつかって大破し、もう一人の弟のが盗まれてしまった。自転車の盗難はますます激しくなりつつあるので、うちではこの上どれがとられるのか、と戦々恐々のていである。
きょうもやはり自転車を買って三日目に盗まれた友人の医者がきていうには、この頃の自転車泥棒は巧妙な会社組織になっている。各所に支社があって八方に調査員をおき、十分な視察と巧妙な手配をしてから窃取にかかる。鍵のかかっているのは、最もよい餌だ。
安心しておきっぱなしにしてあるから、ペンチでねじり切ればわけはない。それを連絡のある古自転車屋へはこぶとまたたくまに塗りかえられるし、改造される。そして別なところへ運んで、売りさばかれているのだという。
こうした何十人かの専門的な自転車泥棒にねらわれたら、どんなに警戒しても駄目らしい。万一みつけて追いかけても、逆にうしろにまわられて泥棒あっかいされるか脅迫される。警察でも手に負えないときく。困ったものだ。
こんど市川では自転車の相乗禁止令が出た。この交通地獄に相乗を禁止されるのは大打撃である。何とか解除してもらいたいものである。世界で最も優秀な自転車のできるのはフランスで、日刊自転車新聞まであるという。それからイギリスで、アメリカは自動車が発達しているので、この方はあまりさかんではない。そしてオランダと日本は、世界一に自転車を実用している国だ。
欧米の人たちからみたら、日本の自転車はうるさく、相のりなどは危なっかしい限りであろう。しかし、電車や自動車が戦災で大半壊滅した現在うるさい、ちょこまこした自転車の右往左住するのを黙認してほしいと思う。そして日本では今まで許されなかった本式二人乗り自転車(タンデム)の新造を奨励してもらいたい。
一方MPの協力で自転車泥棒を取締り、嘘のような秘密の会社までできているなら、その本拠をつきとめてもらえれば有難い。輪禍という言葉は、いまでは怪我よりも盗難に使われ出しているのだ。
「夜想」式場隆三郎著、(株) 大元社、昭和21年7月10日発行より。
※式場隆三郎 1898-1965
大正・昭和期の精神医学者。新潟県生れ。新潟医専卒。精神病理学を専攻。
静岡脳病院院長、国府台病院院長などを経て、式場病院を開業。戦後ロマンス社社長となり娯楽雑誌を出版。日本医家芸術クラブ委員長。ゴッホの研究家でもあり、画家山下清を後援した。著に「文学的診療簿」(昭10)などがある。
[新潮日本人名辞典より]
私も40年前自転車を盗まれた。郵便局の前に5分程とめておいたところをやられてしまったのである。直ぐ警察に盗まれた自転車の写真を持って届けたのだが、いまだに出てこない。盗まれた自転車は、この随筆に書いてあるものと同じイギリス車だった。日本の自転車とちょっと変わっているので、見ればすぐ分かるのだが、見付からない。多分もうスクラップになっているのだろう。いまは諦めている。
この随筆から、敗戦直後の自転車事情を知ることができる。それに彼自身かなりの自転車マニアだったことが分かる。
以前盗まれた私の愛車
イギリス製のトライアンフ(Triumph )