友達の意見を聴いて見ました所が頗る宜かろうと云うことで、かたがた之をやり始めたのであります。なぜかと云うに勿論程度の問題であるが、適度に乗れば却て直腸周囲にうっ血を起すことを防ぐだろう。平生坐業を執って居るもので、運動することのないものには、自転車に乗る為めに、下腿を動かして直腸のうっ血を避けることが出来ると思います。
又近頃西洋から帰って来た所の人の話で、西洋では軽度の痔核のあるのに、自転車をすすめると云うことを聴いた。これは必しも私は保証はしないが、然し私は其時既に乗って居った。其一言の為めに乗ったのでもありませんが、とにかく人に依っては決して悪くはないと云うて居る。日本で軽度の痔核のあった人に医者が自転車を止めたと云う話がありますが、それは自転車の事を知らなかった医者であると思います。勿論大きな痔核があって、それが痛んで居るのでは出来ない話であります。又呼吸器に関係がある。勿論筋を甚しく働かせることでありますから、炭酸を余計排出することは分り切って居る話で、肺が余計に働く、従って呼吸が多くなる。大変呼吸が迫る。もう少し進むと肺の方にも血流が余計来ると云うことになる。併し呼吸器の弱い人には容易に勤められない。特に寒い時は気管支カタル、喉頭カタル、咽頭カタルを起すと云う恐れがあるので、若し練習する人は、風に向って疾走する際には、自然少しく身体を屈め、出来得るならば頭丈け下へ下げて、口を閉じて鼻で呼吸をすると云うことが出来れば、容易に風を防ぐことが出来る。是は実際のことであります。それから若し充分に頭を下げることが出来なければ、或は鼻で呼吸する。特に舌を前上歯にあてて、冷たい空気が直接に喉頭に当ることを避ると云うことを注意しております。此位でございましても、喉頭及鼻カタルのあるものには斯う云うことは出来ない。須らく治療して後自転車に乗って然るべしだ。それから心臓は此自転車の問題に付ては、関係が多いのでございます。「ボート」を漕ぐ時は、余計肺を使う、自転車に乗ると心臓を使うということを云って居るのです。心臓は余計注意しなければなりませぬ。
医者に見てもらって心臓の疾患のある人は自転車に乗っては行かぬ。然し心臓の疾患でも、脂肪心の如きであったならば、或場合には宜しい。それで自転車に乗ると、第一に血圧がひどく昂まる。一定時を経ると、其反動として血圧が却て低下する。脈をふれて見ると少し余計に圧する時は脈が弱くなる。加え重複脈を呈して来る。それで或人が平素六十八の脈を有って居ったが、三時間自転車に乗ったら百五十二の脈拍になった。それでも少しも休まずに同じような速力で乗って居って、其後に計って見たら百になった。それから少し坂を登ったら、百二十になった。其後一度脈の数が少なくなって来たが、又速力を出し、非常の力を用いた為めに、百五十になった。
それから三時間程経って百五十二、休憩して又三時間乗って即ち九時間目で脈が八十になる。それから、十時間目でやはり八十しかなかったのでございます。若し慣れないのに、そう骨を折って乗るというと、容易に心臓を侵すと云う徴候があるから、是は最も注意すべきことである。現に心臓を悪くしたが為めに、斃れたと云う報告もあります。又心臓の弁膜に異常があって、医者の止めたにも拘わらず、乗って死に垂々としたと云う例もある。其血圧が亢進すると云うことに付ては尚を申します。自転車に始めて乗るときは、渇き易いものであるから、往々直ぐ水を飲む、身体が熱くなった時に、水を飲むと、如何なる場合でも宜しくない。即ち風邪を惹起すと云う事があり、又血圧を一層増すと云うことになるから、是も戒むべき点である。又自転車に過度に乗った為めに、一時性の或は持続性の心臓の疾患を起したという報告もあります。彼の有名なミュンヘンのエルテルが即ち脱脂療法を発明した人であります。此報告には自転車に過度に乗りし為め、心臓の境界が右の方に広がって居り、脈は屡々結滞し、それから胸部には圧迫の感がある。或は膨隆の感がある。
肺動脈の第二音が亢進して居る。脈は減じて却って六十位になったものがある。恐らくは是は心臓の疲れた為めだろうと云う様なことも申して居ります。それが為めに、心臓の悪い人は危険であるから、過度にやっては行かん。
余りひどく骨を折らなくても百八十、二百位いになる。百七八十、二百五十位いになったと云うこともあります。心臓には余程影響するものでありますから、慣れない中に続いて乗ることは戒める、尤も軽いものは、暫くすると平日に復して仕舞います。
※明治34年済生医会第四総会に於ける入澤達吉博士の演説より。
医者に見てもらって心臓の疾患のある人は自転車に乗っては行かぬ。然し心臓の疾患でも、脂肪心の如きであったならば、或場合には宜しい。それで自転車に乗ると、第一に血圧がひどく昂まる。一定時を経ると、其反動として血圧が却て低下する。脈をふれて見ると少し余計に圧する時は脈が弱くなる。加え重複脈を呈して来る。それで或人が平素六十八の脈を有って居ったが、三時間自転車に乗ったら百五十二の脈拍になった。それでも少しも休まずに同じような速力で乗って居って、其後に計って見たら百になった。それから少し坂を登ったら、百二十になった。其後一度脈の数が少なくなって来たが、又速力を出し、非常の力を用いた為めに、百五十になった。
それから三時間程経って百五十二、休憩して又三時間乗って即ち九時間目で脈が八十になる。それから、十時間目でやはり八十しかなかったのでございます。若し慣れないのに、そう骨を折って乗るというと、容易に心臓を侵すと云う徴候があるから、是は最も注意すべきことである。現に心臓を悪くしたが為めに、斃れたと云う報告もあります。又心臓の弁膜に異常があって、医者の止めたにも拘わらず、乗って死に垂々としたと云う例もある。其血圧が亢進すると云うことに付ては尚を申します。自転車に始めて乗るときは、渇き易いものであるから、往々直ぐ水を飲む、身体が熱くなった時に、水を飲むと、如何なる場合でも宜しくない。即ち風邪を惹起すと云う事があり、又血圧を一層増すと云うことになるから、是も戒むべき点である。又自転車に過度に乗った為めに、一時性の或は持続性の心臓の疾患を起したという報告もあります。彼の有名なミュンヘンのエルテルが即ち脱脂療法を発明した人であります。此報告には自転車に過度に乗りし為め、心臓の境界が右の方に広がって居り、脈は屡々結滞し、それから胸部には圧迫の感がある。或は膨隆の感がある。
肺動脈の第二音が亢進して居る。脈は減じて却って六十位になったものがある。恐らくは是は心臓の疲れた為めだろうと云う様なことも申して居ります。それが為めに、心臓の悪い人は危険であるから、過度にやっては行かん。
余りひどく骨を折らなくても百八十、二百位いになる。百七八十、二百五十位いになったと云うこともあります。心臓には余程影響するものでありますから、慣れない中に続いて乗ることは戒める、尤も軽いものは、暫くすると平日に復して仕舞います。
以上は即ち生理的及び是から起る所の病的の関係をひっくるめて申したのでありますが、外科的の危険は勿論分ったことで、脛骨を折るとか腓骨を折るとか、大腿を折るとか、勝胱の破裂、尿道の破裂などを、衝突した為めに起したなどと云うことがあります。併しそれは先ず別な話でありますが、子供は自転車に乗ることは、骨の炎症を起し易いから、過度に乗らせぬ方が宜しい。それから幾歳から乗らせるかと云うと、満 12、3歳位からは、適度に乗らせるが宜しいと云うことになって居る。老人は多くは宜しくない。血管硬変の高度の人は医師の診断を受けてから乗る方が宜しい。それから生殖器の関係、「サッドル」の真中の凹んで居るのがありますが、あれは局部が圧迫されないようになるのであります。
是が若し真直に直立して居ると「サッドル」が尿道を圧迫するのでありますから、気を付けなければならぬ、淋疾などのあったものは再発したと云うことがあります。或は睾丸炎を其後発したと云うこともある。とにかく気を付けなければなりませぬ。それから背柱の曲がること即ち、側彎が起ることがあります。或は人によっては側彎を癒すために自転車に乗った人もありますが、「サッドル」の位置を能く注意してやることが肝要である。
背柱の側弯の起らないように、気を付けなければならね。それから自転車に烈しく乗って居る時に、殊に山に登る時に、右の方に心臓が広がって来たと云う報告もあります。非常に力を用いると肺の方の呼吸は止んでしまい、そうして肺の中の小循環の呼吸が一時止むため、血液の静脈血になる。それが一方の右心に滞留して居るから、右の心臓濁音が拡大する。とにかくそれは何れも度を過ごした時の話しで、適宜に乗って居りますれば、却って効能があります。大体の効能としては精神を爽快ならしめ、血液の循環を好くし、消化を好くし、殊に精神的な仕事をするものは鬱を散ずることが出来ます効があります。
それから先刻御話したのも一例でありますが、世の中には随分澤山走る人があるのです。伯林維也納間(ベルリン~ウイーン)の六百「キロメートル」を31時間で走った人がある。其外同じくマイランドよりミュンヘンを六百「キロメートル」を29時間半で走った人がある。又620「キロメートル」を28時間で走った人がある。1時間に 22「キロメートル」位の速力である。
一日も乗って居る人は、食物を腹中に入れて、水も身体に付けて走るのであります。併し是等は衛生上甚だ宜しくない。極端に行けば運動は却て当初の奨励の目的に反します。短い距離であると仏蘭西では 44 「キロメートル」を1時間に走って居る。44「キロメートル」は随分えらい。それから英吉利斯人では 45「キロメートル」、まだ烈しいのは 61 「キロメートル」を1時間に走った。殆ど日本の急行列車の倍位を走るのです。と云うことをしては、害になることは知れ切った話である。
で亜米利加には自転車のために起った病気を癒すと云う「自転車病専門医」と云うものがある。随分面白い専門医があります。追々日本にも流行って来るかも知れませぬ、伯林のクリニッケルのライデンは自転車の生理的のことを批評して居る。それは適度に乗るが宜い、最も愉快な運動である。又新鮮な空気を吸うと云うには困難なる大市街より、たやすく郊外に出るには自転車の様な便利な器械はない。是非自分は奨励する。但し勿論是は薬品と同様であるから分量は制限しなければならぬと云う位に注意して居るのであります。
又ライデンは會て伯林で婦人に乗馬を勤めたことがあって、今ではそれで大変行なわれるようになった。今度は乗馬に代ゆるに、自転車を是非男子及び婦人にも勤めたいと云って居る。女の自転車に乗ることは、此間小金井博士が御帰りになっての御話に、独逸あたりでは盛んに乗って居ると云うことであります。
又大分順序が錯雑致しましたが、是まで斯う云う風の報告があると云うことを、諸君に御話致して置きまして、それで宜しい積りでありますが。
従って読み従って述べましたと云うことに過ぎないのであります。若故に健康な人があって、どの位い乗ったら宜いかと云うことは、其人の身体にも依るから一概には云われませぬが、先づ一口に言えば、一度に30分か1時間位の運動は差支えない。其早さの程度も1時間に2里から2里半位に制限して、決して速いのはいけない。 時間2里から2里半位を程度として30分以上1時間半位ならば治療上に用いて危険は無い。過度に乗ると云ことは最も恐るべきであるから、それは注意すべきである。
(完)
是が若し真直に直立して居ると「サッドル」が尿道を圧迫するのでありますから、気を付けなければならぬ、淋疾などのあったものは再発したと云うことがあります。或は睾丸炎を其後発したと云うこともある。とにかく気を付けなければなりませぬ。それから背柱の曲がること即ち、側彎が起ることがあります。或は人によっては側彎を癒すために自転車に乗った人もありますが、「サッドル」の位置を能く注意してやることが肝要である。
背柱の側弯の起らないように、気を付けなければならね。それから自転車に烈しく乗って居る時に、殊に山に登る時に、右の方に心臓が広がって来たと云う報告もあります。非常に力を用いると肺の方の呼吸は止んでしまい、そうして肺の中の小循環の呼吸が一時止むため、血液の静脈血になる。それが一方の右心に滞留して居るから、右の心臓濁音が拡大する。とにかくそれは何れも度を過ごした時の話しで、適宜に乗って居りますれば、却って効能があります。大体の効能としては精神を爽快ならしめ、血液の循環を好くし、消化を好くし、殊に精神的な仕事をするものは鬱を散ずることが出来ます効があります。
それから先刻御話したのも一例でありますが、世の中には随分澤山走る人があるのです。伯林維也納間(ベルリン~ウイーン)の六百「キロメートル」を31時間で走った人がある。其外同じくマイランドよりミュンヘンを六百「キロメートル」を29時間半で走った人がある。又620「キロメートル」を28時間で走った人がある。1時間に 22「キロメートル」位の速力である。
一日も乗って居る人は、食物を腹中に入れて、水も身体に付けて走るのであります。併し是等は衛生上甚だ宜しくない。極端に行けば運動は却て当初の奨励の目的に反します。短い距離であると仏蘭西では 44 「キロメートル」を1時間に走って居る。44「キロメートル」は随分えらい。それから英吉利斯人では 45「キロメートル」、まだ烈しいのは 61 「キロメートル」を1時間に走った。殆ど日本の急行列車の倍位を走るのです。と云うことをしては、害になることは知れ切った話である。
で亜米利加には自転車のために起った病気を癒すと云う「自転車病専門医」と云うものがある。随分面白い専門医があります。追々日本にも流行って来るかも知れませぬ、伯林のクリニッケルのライデンは自転車の生理的のことを批評して居る。それは適度に乗るが宜い、最も愉快な運動である。又新鮮な空気を吸うと云うには困難なる大市街より、たやすく郊外に出るには自転車の様な便利な器械はない。是非自分は奨励する。但し勿論是は薬品と同様であるから分量は制限しなければならぬと云う位に注意して居るのであります。
又ライデンは會て伯林で婦人に乗馬を勤めたことがあって、今ではそれで大変行なわれるようになった。今度は乗馬に代ゆるに、自転車を是非男子及び婦人にも勤めたいと云って居る。女の自転車に乗ることは、此間小金井博士が御帰りになっての御話に、独逸あたりでは盛んに乗って居ると云うことであります。
又大分順序が錯雑致しましたが、是まで斯う云う風の報告があると云うことを、諸君に御話致して置きまして、それで宜しい積りでありますが。
従って読み従って述べましたと云うことに過ぎないのであります。若故に健康な人があって、どの位い乗ったら宜いかと云うことは、其人の身体にも依るから一概には云われませぬが、先づ一口に言えば、一度に30分か1時間位の運動は差支えない。其早さの程度も1時間に2里から2里半位に制限して、決して速いのはいけない。 時間2里から2里半位を程度として30分以上1時間半位ならば治療上に用いて危険は無い。過度に乗ると云ことは最も恐るべきであるから、それは注意すべきである。
(完)
※明治34年済生医会第四総会に於ける入澤達吉博士の演説より。
入沢達吉先生年譜より
宮川米次 編
1940.11
国会図書館所蔵