2021年1月19日火曜日

自転車の復権

 この記事は1991年5月15日発行の会報「自轉車」からである。

  既に30年前の内容だが、未だに改善の変化は感じていない。むしろ環境も自転車専用道路の整備もまったく進んでいないし、むしろ後退しているのではないか、と思えるほどである。
 昨年からのコロナ禍で、環境は少し改善されたと言われるが、あらたにマイクロプラスチックの問題が浮上してきているし、考えようによっては、このコロナ禍も人間が作り出した災害といっても過言ではない。鳥インフルエンザも然りである。
 家庭からの雑排水の処理は改善されたとはいえ、近くの用水路を見るとあいかわらずペットボトルやゴミの入ったレジ袋がそのまま捨てられている。
 車の信号渋滞についてもひどくなっている。都市部の平均時速はいつも30キロ未満だ。とてもスムーズな交通管理がなされているとは言えない。信号渋滞によるガソリンの消費も馬鹿にならない。これはスピードを出さないことを優先にして、適正な交通管理がなされていないのである。かえって信号の切り替えが多くなり、赤信号にかわったにも関わらず突っ込んでくる車が後を絶たない。かえって事故が多くなっている気がする。

自転車の復権
 最近マスコミなどを中心に環境問題がよく論議されるようになった。フロンガスによるオゾン層の破壊や二酸化炭素による地球の温暖化、今や地球規模で環境破壊が進んでいる。
特に先の湾岸戦争では、最悪なシナリオにより、大規模で致命的な環境破壊が行なわれた。
我々のまわりを見ても、自動車の排気ガスによる大気の汚れや、家庭からの雑排水のたれ流しによる河川の汚濁など、環境はますますひどくなるばかりである。
 大都市における交通渋滞は慢性化し、たった10キロメートルの道程でも車で1時間もかかる時さえある。
 ところで、自転車程便利で、自由で、そして健康的な乗り物はない。日本の夜明けと共に現われた自転車、明治初期のうちは物好きな連中の遊び道具のような物であった自転車だが、次第にその実用性が認められ、明治25年には、陸軍や郵便局で使用されるようになった。大正期になるとほぼ完全な国産化も始まり、あらゆる商業活動等にはかかせない重要な交通機関となった。以前は人力車がその主役を演じていたが、だんだん自転車の発達と共に衰退し、ついには駆逐されてしまった。それは自転車の有効性を証明する一つの歴史的事実でもあった。
 現代は自動車の時代と言われる。しかし自転車の重要性はなんら変わっていない。むしろ自然との調和とか、健康的なスポーツという面から見直され、その重要性はますます大きくなっている。米国のワールドウォッチ研究所編集の『地球白書』 90・91年版でも、自転車の見直しを呼びかけている。
 自動車の道路は日本国中整備され、はりめぐらされているが、自転車が本当に安心して快適に走れる道はどこにもない。交通事故の犠牲者はいつも弱者である歩行者と自転車である。経済中心の競争社会の世の中で、常に弱い者が犠牲となる。福祉や慈善は、紙の上や評論家の口の中にあるだけでなかなか地上におりてこない。
 地球的規模で環境破壊が進むいまこそ、害のない、便利で健康的な自転車が見直されるべきである。