大正期の雑誌「輪々」(大正11年発行)に下記の記事あり。
第一次世界大戦が1914年(大正3)に勃発してからは、欧米からの自転車及び部品の輸入が激減し、それに伴い国産車の量産体制が進んだ時代であった。
日本国内の輪界は宮田、岡本、大日本という自転車製造業を中心とした三社鼎立という時代をむかえたのである。
此際観過すべからざる事實は大日本自博車會社の勃興である。英国のラージ自陣車と提携し其熟練なる技術を基礎とし大正五年組織されたる大日本は宮田、岡本の間に介立して努力奮励の結果は早くも其存在を認められ、今や其能率に於ても生産力に於ても技術に於ても一步を抜くと稱さる、即ち現今の製輪界の競爭は京都の大澤商會及び名古屋の輸商を背景とする岡本工場と宮田工場及日米商店を背景とする大日本との三派鼎立の勢を以て本年度及び來年度の輪界に角逐すべく此競爭は又再たび昔日の劇甚を現出するにあらざるかを想像される。
大日本自轉車會社の勃興 6頁
「輪界の将来」 岡崎久次郎、記述