2024年7月1日月曜日

銀輪部隊

 銀輪部隊

「Gun 銃・射撃・狩猟」第14巻 第11号 1975年(昭和50年)11月1日発行

この号の79頁に銀輪部隊の記事あり、


表紙
日本自転車史研究会所蔵資料
以下同じ

78頁
左下写真
マレー戦線でゴム林の中を走る自転車小隊

79頁
右上の写真は
マレー戦線でクアラルンプールの町に突入した自転車部隊

80頁

81頁

82頁

83頁

84頁


第28回 銀輪部隊(自転車部隊の仕組み) 寺田親雄
「日本軍は開戦前に、マレーの各地に秘密に自転車の貯蔵庫さえも準備するような周到な侵略準備をした」―チャーチル回顧録
はじめに
日本陸軍には正式に自転車部隊と呼ばれた部隊は存在していない。大東亜戦の初めにマレー半島を疾駆した自転車歩兵の集団を当時新聞では「銀輪部隊」とかき立てたが、これは南方の強烈な陽射しに車輪を銀色に輝かせながら走りかつ戦う日本軍には珍しいカッコいい情景を文学的に表現した俗称でこれも制式名ではない。

自転車の隊列が前線を走り回る近代的とも前近代的ともいえるシーンはすでに大東亜戦前の第2次欧州戦争の初期の段階でポーランドやベルギーに突入するナチス・ ドイツ軍の写真に多くみられたが、これも機動装甲化の完備する前の便宜的な使用法でドイツ軍に自転車部隊の正式名があったとは寡聞にして知り得ない。

明治の終りから大正にかけて自動車の発達につれては欧州先進各国の陸軍はめざましい勢いで機動化 ー モータリゼーション ーし、戦車の出現と共に装甲を加えて機甲化されていった。

わが陸軍も当然のことながら世界の大勢に遅れてなるものかとはじめ大阪造兵廠で軍用自動車の試作開発を始め、東京ガス電気など民間の会社で開発を続け、次々と新型の偵察用乗用車や自動貨車と称するトラックを軍に供給し始めた。
だが悲しいことに当時の日本の国力は(あるいは終戦時まで)先進各国の実力にはるかにおくれ、技術のおくれは車の性能の質的な弱さで現われ資源と生産性の低さは、遂に終戦まで全般的な機動化を行ない得なかった量的劣勢として現われた。そこで考えられたのが国力相応 に、当時日本の市民レベルで十分に普及していた乗り物自転車の活用であった。
自転車はその出現とともに戦地では馬代わりに利用され、伝令や連絡兵がこまめに使いこなした。支那事変中、中国大陸でも部隊ごとの自転車装備は現われなかったが黄塵泥濘の土地では自動車よりもはるかに重宝に使われていた。・・・