レンツとアウティング誌 - 4
「OUTING」 スポーツ、旅行、レクリエーションのイラスト入り月刊誌
第 22 巻 1893年4月 - 9月
「OUTING」 AN ILLUSTRATED MONTHLY MAGAZINE OF SPORT, TRAVEL AND RECREATION .
VOL. XXII APRIL - SEPTEMBER 1893
レンツの世界自転車旅行
・・・興奮した日本人の一人が私をスカウ(平底船)から突き落そうとしたときに親切なオセアニックの士官たちが通路を開けてくれたので、自転車とカメラを背負った私は無事に甲板にたどり着くことができた。
日本人は全員操舵席の前に、中国人は船の後方に移された。この二人種はあまり親しくないようだからである。
8時に船は錨を上げ、横浜から東行きで入港したばかりの蒸気船ゲールク号とすれ違った。
私たちは島々の間の月明かりの光景を何時間も楽しみながら航海し、その熱帯の美しさに満足して船を降りた。
ハワイ島は活火山があり、モロカイ島には約700人のハンセン病患者の居住地がある。もちろん、この恐ろしい病気の地を訪れようとする人はほとんどいない。政府はハンセン病患者を居住地内に留めておくことで、この病気を撲滅したいと考えている。
朝、私たちはタホアリと呼ばれる最後の小さな岩の多い島を通過し、3,486マイル離れた横浜へ連れて行ってくれるまで青い海と空しか見えなかった。この船には全部で850人が乗船しており、その大部分は中国人であった。彼らはドミノ、トランプ、その他のゲームで昼夜を問わずギャンブルをして時間を過ごしていた。アヘン喫煙者のために小さな船室が設けられ、そこでは常に15人から20人ほどがこの致命的な麻薬を吸っていた。
船室の乗客は、海上旅行者がするように、ゲームをしたり、会話をしたり、デッキを歩き回ったり、その他の方法で時間を過ごしていた。午後になると、士官と船室の男性乗客の一部はクリケットの試合に熱中し、ボールが船外に落ちないように船の両側にはネットが張られていた。(続く)
註、一部東洋人に対する偏見も伺える。当時の状況は分からないが混雑した平底船に自転車と荷物を背負って乗船したのはどうなのか。中国人がアヘンを吸うようになった一番の原因はなにか。屈辱的なアヘン戦争を忘れてはならない。この辺のことも考えあわせて読む必要があろう。