2024年7月28日日曜日

レンツとアウティング誌 - 15

   レンツとアウティング誌 - 15

「OUTING」 スポーツ、旅行、レクリエーションのイラスト入り月刊誌

第 22 巻 1893年4月 - 9月 合本版

「OUTING」 AN ILLUSTRATED MONTHLY MAGAZINE OF SPORT, TRAVEL AND RECREATION .

VOL. XXII APRIL - SEPTEMBER 1893

116頁、

衣装は豪華で、ヘアセットには細心の注意を払われている。窓にはガラスはなく、木の格子だけなので、通行人は遊女と自由に会話できる。このようにして、区画ごとに妓楼が次々と並んでおり、すべて明るく照らされ、隠す気配は全くない。

これらの遊郭は組織的かつ注意深く運営されていると言われており、日本の恥ずべきことに、このような施設は外国人を除いて、一言も話題にされない。実際、日本人は姉妹たちの中から妻を選ぶことが多いと聞いた。日本では結婚は単なる形式であり、法的な儀式は行われない。夫はほんのわずかな口実で離婚を成立させることができる。横浜にも同じような状況があるが、東京ほどではない。また、茶屋にも非常に怪しい性格のものが多いことも発見した。

半日が経って、私は日本政府からパスポートを受け取り、アメリカ大使フランク・L・コームズ氏の助けを借りて、陸路を通って長崎まで旅することができる。東京のアメリカ公使館の通訳であるウィリス・ノートン・ホイットニー博士も、ベテランの自転車乗りとして私にかなり興味を持ってくれた。彼は、日本各地の道路、鉄道、人口に関する非常に貴重で興味深い本を編纂している。

11月18日の午後、私はようやく日本を旅する準備ができた。

横浜への帰路をたどっていると、サーカスの一団が通り過ぎた。2頭の小さな象が行列の先頭に歩き、6人ほどの黒人と2、3人のアメリカ・インディアンとカウボーイがそれに続いていた。

彼らはただ、自分たちの道でもあるかのように行進し、周辺住民を見下していた。こうした一行が日本を旅行することを許されたことは残念なことだ。彼らのマナーは、外国人に対し好印象を与えない。実際、私はその行列を無事に通り抜けるのに非常に苦労した。行列はわざと道に広がり、私がアメリカ人だとわかっていても、行列のメンバーは不遜な態度を取った。

横浜に近づくと雨が降り始め、道は泥だらけになったので、私はイギリス人街で一夜を過ごすことにした。

翌日、私は東海道沿いの数マイル離れた戸塚まで走った。長い坂道の泥沼を自転車を押して上ったが、そこでは多くの労働者と荷車が泥の中で悪戦苦闘していた。それから大船まで坂を下って楽に走り、狭い人力車道を南へ鎌倉方面に向かい、田んぼを次から次へと通り過ぎた。田んぼでは日本人の男女が膝まで水に浸かって稲を刈っていた。これらの田んぼは灌漑用水路で十分に水が供給されている。この国は起伏が激しく、雨のため道は走りにくかった。

鎌倉の高台に着く前に、道は切通しになり、両側は垂直の壁があり、その間隔はわずか15フィートだが、高さは150フィートある。

鎌倉には世界的に有名な青銅製の大仏があり、642年の歴史がある。私は横浜の友人2人と会う約束をしていたが、地元の人たちに自分がどこへ行きたいのか理解してもらうことができず、盲目的に長谷まで自転車を走らせ、その間、四方八方で大仏を探していた。最後に私は長谷の警察署に立ち寄り、紙に大仏のスケッチをした。これは粗雑な絵だったが、地元の人たちはすぐにそれとわかり、大仏の場所を教えてくれた。鎌倉に急いで戻ると、イギリスのノッティンガムのチャールズ・E・ヒル氏と横浜のジョージ・S・ネルソンという私の友人がいた。彼らは人力車に乗っていて、道中ずっと地元の人たちに私を尋ねてくれていた。地元の人たちは私が歌いながら自転車に乗っていると、子供たちにキャンディーが欲しいかと聞いていると言っていたが、それは空耳である。

私たちは一緒に鋳造された巨大な青銅の鋳物である大仏を訪ねた。銅は周囲の丘から採掘されたと伝えられていた。


116頁

以下は参考資料
A Concise Dictionary of the Principal Roads
 Chief Towns and Villages of Japan
by W. N. Whitney 1889.

同書掲載の地図

「日本の主な道路、主要な町村、人口、郵便局などの簡易辞典」
東京米国公使館通訳の W. N. ホイットニー博士が公式文書から編集。
1889年


註、鎌倉大仏は重さが約121トンあり、青銅でできている。しかし、大仏の鋳造が始まった13世紀半ば、日本では青銅の主原料である銅の生産が落ち込み、国産銅が不足していた。これほど大量の銅をどのように入手したのか。鎌倉大仏の青銅を分析した結果から、大仏の材料は中国華南産であることが明らかになった。一説には、当時の中国から大量に輸入されていた銅銭(宋銭)が大仏の鋳造に使われたともいわれている。

 中国の銅銭が本当に使われたのかは定かでないが、現在では鎌倉大仏に青銅以外の素材が使われていることは知られている。
(ナショナル ジオグラフィック日本版2023年6月号により)

大正期の撮影
(白黒写真を手彩色)

写真は、ナショナル ジオグラフィック英語版1921年7月号より