レンツとアウティング誌 - 5
「OUTING」 スポーツ、旅行、レクリエーションのイラスト入り月刊誌
第 23 巻 1893年10月 - 1894年3月
OUTING AN ILLUSTRATED MONTHLY MAGAZINE OF SPORT, TRAVEL AND RECREATION. VOL. XXIII. OCTOBER, 1893—MARCH, 1894.
レンツの世界自転車旅行 菊の国で
ハワイから日本に向かう途中の太平洋の夕焼けは素晴らしかった。夕方ごとに、太平洋でしか見られない水面や空に、華やかな色彩が映し出され、水平線上の小さな雲は、空と水が言葉では言い表せないほどの壮麗さで溶け合い、輝く空間に停泊した小さな島のようだった。太陽が風のない波に沈むと、今まで見たこともないほど輝く月が、波打つ水面にきらめき、銀色に輝く道が海から果てしなく広がるように見えた。天候に恵まれ、航海中は幸運だったか、太平洋の夕焼けや月明かり以上に美しい絵は見たくないと思った。
三等船室の乗客にとって、夜は暑く、箱の中のイワシのように寝台に詰め込まれていた。中国人の多くは甲板で寝た。船員たちは誰に対しても親切だった。初めての航海だったので、すべてを見てみたくて、機関長と一緒に機関室を訪れた。そこでは、2 台の巨大な複合エンジンが17インチのシャフトで18フィートのプロペラを駆動していた。空気ポンプ、ボイラー給水装置、凝縮器、発電機があり、まるで陸上の大きな鉄鋼工場にいるかのようだった。炉は上半身裸の中国人の火夫によって燃やされていた。猛暑で汗が小川のように流れ落ちていたが、彼らは忠実にそして楽しそうに働いていた。昼夜を問わず稼働し、船首から船尾まで揺れ動いていたにもかかわらず、蒸気船の建造における完成度の高さには驚かされるばかりである。16~18日間海上を航行し続けたが、この汽船には何の異常もなかった。
11月5日の深夜、船は子午線を越え、東半球に入った。グリニッジの東の時間を計算するには、ここではカレンダーを1日飛ばす必要がある。したがって、11月6日は乗船者全員にとって空白の一日であった。船上の時間は航海計器によって毎日計算され、1日あたり300~320マイルの航行で20~23分進んだ。海は日本海岸から 500 マイル以内の地点まで穏やかだったが、その地点から風が強風に変わった。この緯度では時速約3 マイルの日本海流と逆に風が吹き、1日か2日は海が荒れた。未知の国にどんどん近づくにつれ、私の好奇心は驚くほど高まっていった。訪問を計画していたすべての国の中で、個人的には日本に一番興味があったからだ。出発前に日本についてよく調べ、かなり魅了されていた。ミカドの帝国についての知識が悲しいほどに不足していることはわかっていたが、それでも日本にいる間にもっと学べるかもしれない。他のすべての国については、運に任せ、或いは結果に任せるつもりだった。それらの国に関する学校での曖昧な知識を増やそうとは思わなかった。日本と全世界が思い通りに推移し続けていけばよい。おそらく今日、地球上のどの地域も、この奇妙な群島ほど多くの興味深い特徴を持ち、知的な観光客にこれほど魅力的な探検の場を提供している国はないだろう。